一回立ち止まって見てもいいじゃないか
数年前、NHKのプロフェッショナルで”「挾土秀平」さんの回の放送を時より思い出す。
挾土秀平さんは、左官職人である。
私自身土木監督経験者のため左官職人さんは身近な存在でもあった。監督駆け出しの時、その当時の社長の取り計らいで一時的に左官のお仕事を学ばせていただいたことがある。
短い期間であったがその時の技術ももちろんだが、考え方や物の捉え方がその後の非常に勉強になった。
その左官職人挾土秀平さんの中で、「職人は、臆病であれ」という。
”不安の中に成功がある”という。
そのフレーズは、確かにと納得できる私がいた。
これは左官職人だけに共通したものではない。
私もいろいろな局面にて成功もしくは失敗の結果が出る状況がある。
その中で、人は成長したり、挫折したり、心が強くなったりする。
必ずしもそれがその人に必要なものかはわからないものでもあるが、その時間に、場所に、機会にいるわけである。
私もかなり小心で、臆病だ。
一歩前に進むごとに悩み、心配する。
なぜ悩むのかは、失敗することが怖いからである。
しかし、私は結局の落としどころは”失敗してもいいじゃないか”である。
その気持ちが吹っ切れる、落としどころまで持って行くので右往左往する。
おそらく悩みが始まる時点で、すでに心の落としどころは分かっている。
しかし、一度右往左往してみる。
なんかお約束のように。儀式のように。
ため息をつき、立ち止まって見て、心痛めてみて、回り道をしてみて。
そうしないとおそらくは前に進めないのだと思う。
壁を越えるにも準備運動や勢いをつけないといけないのもあるからかと思う。
実はその立ち止まることで見えるものがあるんだと、私自身本能で感じているのだと思う。
人生の中で、壁にぶつかる時や困難な時、”しょうがない”というフレーズで片付けることが多い。
でもただのしょうがないで終わらすのか、一度立ち止まって周りをみてみてしょうがないというもので終わらすのかでいつか出てくるものが、違う。
ただのしょうがないで終わらすときは、自分に言い訳をするときであると思う。
自分に言い訳をすれば、それより前に進むことの怖さを自分なりで納得させてるだけである。
だから、臆病になって”大丈夫か””困ったなぁ”と挾土さんみたいに口癖にしながら、自分からは絶対逃げないと思っているのではないか。
私の中でもずっと臆病の連続
だから、仲間がいる。前に進むときにはみんなで進む。
そんな一瞬一瞬が忘れられない思い出を作ることになる。
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