ウサギのうーたと僕

悲しいお話。
頭がぐちゃっとする。

読んだら悲しい気持ちになると思います。
ごめんなさい。

先週うーたが死んだ。

原因はわからなくて、夜中にガタガタと騒ぎだしてご飯が欲しいのかと思ってペレットをあげた。少しかじった後

急に元気が無くなって翌日にぐったりしていた。

病院に連れていって診察しても原因がわからなくて、ウサギに詳しい病院に探して連れて行こうと思って一度家に帰って、その夜にケイレンが始まって体温が下がり出したので湯タンポにタオルをひい寝かせた。

1度よろよろと立ち上がって、大きな声で鳴いてそのままぐったりとして死んでしまった。

突然でなんだか、よく分からない。今も。

信じられなくて、まだ暖かいのに触った時には死後硬直が始まって、心音が聞こえなくて、よく分からなくて

生き返るんじゃないかと心臓を押して、そのままずっと待ってみたけどうーたの身体はカチカチになっていった。

今もなんでこんな事を書いてるのかわからない。
わからない。

ぜんぜんわからない。

何も考えずの文章を書いてる。


死んじゃった物について書くなんてダメな気がする。

でも、よく分からない。ずっと。
頭がぐるっとして、ウサギが死んで悲しい。

僕は悲しい。

ただ、5文字で済むそれだけなのに。

こんな悲しい事みんなに見て欲しくないのに。

でも、心は悲しいってそれだけじゃなくて、なんでかわからない。書きたいと思った。

お気持ち表明って奴なのかな。こういうのダメなのかな。悲劇のヒロインみたいで気持ちわるいかな。

でも
よく分からない。

心がドキドキする。なんでだろう。

うーたは死んじゃった。なんでだろう。

ペットの死は初めてじゃない。
実家でペットは飼ってた。

ハムスターのハムちゃんも
フェレットのキョロちゃんもポンちゃんも

凄く悲しかった。

うーたと一緒にいた期間は短い。
うーたは6月生まれのまだ子ども。

一緒にいたのは1ヶ月とちょっと。

書いてびっくりした。本当に 短い。
でももっと長く感じる。

https://twitter.com/tiojobtzp/status/1286873320630050816?s=19

うーたうーたうーた 。
うーた。

うーたはかわいい。

うーたは尻尾がぽんぽん。

足の裏がふわふわ。

うーたはバナナは大好き。


寝てる僕の顔を舐めるのもベッドの上でピョンピョンするのも大好き。

うーたの仕事はふわふわする事。
僕がパソコンで作業してる時は、デスクの隅っこにあるキーボードの上でずっとふわふわしてた。

うーたは赤ちゃん。
灰色のネザーランドドワーフ。3ヶ月とちょっと。

ペットショップで友達のウサギとじゃれてた。

よくベッドの上でおしっこするから叱った。
叱ると走って逃げて、お風呂場でじっとしてた。

けど名前をよんだら来てくれる。
飛びはねる。かわいい。 まるい。

撫でると歯をぷきゅぷきゅ鳴らす。

うーたごめんなさい。

こんな所に書いても仕方ないのに。
うーた、何がダメだったの?

うーたは初めて自分の意思で飼ったいのち。
家族じゃなくて僕が決めて、お世話してゲージのお掃除。水の取り替え。

うーたの世界は僕の部屋と僕だけ。

この狭い部屋がうーたの全部。
僕とうーた。二人で一つの世界。

うーたごめんなさい。
もっとバナナあげれば良かった。

お友達と離してごめんなさい。

頭がぐちゃぐちゃして泣いてる。
わかんないどうしたいのか

うーたは まるい。
うーたはふわふわ。

初めて抱っこして手の上に包んで、僕が面倒を見るいのちだって思った。

全部僕が生殺与奪握ってて、軽いのに重くて
大好きで本当にうーたが大好きで

僕は一人きりだと凄くリアリストで冷静で論理的で

ウサギの事をいっぱい調べた。

ウサギは死んだらお月様に帰るってウサギのブログで読んで気持ち悪いと思った 。

死んだら無になる。
僕らが日々生き物を殺してる。
虫だって命なのに見た目で選別する



だから飼育は人間のエゴでうーたを飼ったのは寂しいからできっと

でも、うーたといると「かわいいね~」「まるいね」っていっぱい話かけて赤ちゃん言葉でバカみたいで

いつ死んでもいいとずっと思ってた。

凡庸なまま死ぬなら、70点の幸せにこの尖った心を毒されてしまって生き延びるなら死ぬ方がいいと思ってた。

オトナになった。

彼女からの「卒業したら結婚しよう」という話

ずっと一緒にいようという約束

未来が見えた。捨てられない物ができて、だから保守的になって

だから動けなくなって、そのまま70点の幸せをオーバードーズして死んでしまうのが見えて嘔吐した。

沼にハマったら人はもがく。けれど、その沼がハチミツなら人は沈んでいる事にも気づかず死んでいく。

僕は賢いからしっかりわかっていた。

自己肯定感がどうとかいうインターネットはクソでウソつきで

僕はリアリストだからしっかりわかっていた。

「人それぞれだよね」「でも結婚してよかったよ」「逃げればいい」とかそう思いたい人々が自分の舌で耳をふさいでいることも、責任もとらずに善人を気取りたい一番残酷なひとたちだってことも。

僕は論理的だからわかっていた。

死んでも天国に行かない事を。死者にとって黄金の棺は無意味でそれは残された物のためでウサギも月になんて帰らない事を

僕は正しい事をたくさん知っている。

僕は本当の事もたくさん知っている。

でも、暑い日の昼下がりにうーたが顔をペロペロなめてくれて

綺麗な音楽が流れていて、その時に感じた幸せを70点の幸せなんて呼べない事をわかっていなかった。

うーたが死んだあと、いっぱい死後の世界を調べて

ウサギは死んだらお月様に帰るって、そんなわけないのに

いっぱい調べて

でも、うーたが無になるなんて言えないのに

なのに知ったフリをしていて

一か月しか一緒にいなかったのに。

うーたは丸くてふわふわ。

幸せだったのかな。そんな事わかるわけないのに。

僕がそう思いたいだけなのに。

お祈りなんて自分のためなのに。

どうしたらいいかわからない。

少し落ち着いてきた。

何が書きたいのかわからない。

うーたごめんなさい

うーたありがとう

僕は楽しいときに、無意識に写真をいっぱい撮る

仕事してた時は、写真は増えなかった。

写真フォルダーにはうーたがたくさんいる。

楽しかった。って。言っていいのかな。

何が言いたいのか、なんでこんな事を書いたのかわからない。

でも、言葉があってよかった。

僕は悲しいって5文字で済むことを、こんなにたくさんの文字で書く意味なんてなくて

でも、言葉があってよかった

うーたはお月様に帰ってる。

そんな言葉があってよかった。

これまでも、これからもいっぱい死を経験する

いつもなれなくて頭使っていつも間違えて忘れて思い出して

いつかきっと薄れて、それをずっといつもこれから繰り返して

こんな事書いて

ごめんなさい。

うーた、一緒にいてくれてありがとう。

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