見出し画像

初詣でしっかり二礼二拍一礼する“正しい人”が信用できない

登場人物紹介
─ビンラディンが殺害されたときにポップコーンをブチ撒けて喜ぶアメリカ市民を見たときから正義というものが信用できなくなった少年。
GOたま─ゴータマシッダルタ、ブッダその人。僕のアイドル。
神社で祀られてる神─なんかいっぱいいる。


タイトル通り。裏通り。盆踊り。
人・人・人でごった返す元旦の境内、あの鐘を鳴らすのはアナタって感じで神主の貯金箱の前に列を成す初詣の人・人・人。
アナタが鐘を鳴らす順番が来ました。
アナタは神社の作法に則って二礼二拍一礼しますか?
僕はサッと拝んだらスッ横にどきますけどね。
後ろに大勢の人が並んでる状態で自分らのために時間かけるのは心苦しいですから。

はい、これで言いたいことの大部分は終わりました。
以下は補足です。

他人を思い遣ること無く、たっぷり時間かけてパンパンペコペコしてる人間に一年の福を授けてやる気になんのかって話ですよ。

…………神社の神サマだったらフツーに長い時間拝んでるヤツを贔屓するかもな…………。

だけど、僕のアイドル、GOたまはどう思うかな?
神仏習合?知らん知らん!
ブッダなら他人を思い遣って行動する僕を真なる人間だと認めてくれるは──
「そこのキミよ、キミはヒトに対して執着しすぎだよ。他人への期待という煩悩を捨てて、心を穏やかにしないと涅槃は遠いからね? それでは今日もレッツ托鉢!」
「………………」
ブッダファック。
ごーたまのファンやめようかな。


とにかくねぇ、僕は自己の利益で動いてるクセに正義面してる世の人人人が嫌いなんすよ恐ろしいんすよおぞましいんすよ。

よくある話だ。
どこにでも転がってる話だ。
全体の正義を考えた行動が個人の正義に叩き潰されるなんて話は。

その話はいい。
個人を利益を最大化させるように動くなんて当然の話だからな。動物なら。


マナーと礼儀の違いの話をしよう。
マナーっていうのは、お辞儀とか、瓶ビール注ぐときはラベルを上に向けるとか、実際の動作で示すこと。
礼儀っていうのは相手を尊重する心の在り方のこと。
だ。

ならね?マナーにばっかり気を取られて礼儀をおろそかにするなんて本末転倒もいいとこじゃない?
人人人でクッソ混んでるのに「鳥居の真ん中は通っちゃいけないんだよ!」とかクソクソクソですわ。

なんなん?中身を理解する頭がないから表面だけ動きを真似て礼儀を実践した気になってんすか?
つーか、マナー違反を合法的に殴って良い機会だと考えてる人いますよね?
自分の暴力性を発揮する大義名分を虎視眈々と狙ってる人が。

どうして人にもっと優しくできないんだ!

キリたやんが隣人愛を説いても人類は2000年同じ場所にいるよ。

まぁ、人が人に優しくするということが果たして人類にとって有益かどうかは分からないんですけどね。なにが“有益”かも時代で変わる。

僕の言ってることは全部言葉遊びさ。
言葉に意味なんてない。人間の感情に意味なんてない。自我など存在しない。
ごーたまが教えてくれたことだよ。
「我思う、故に我無し」
これが仏教とかいうクソ宗教の核心だろ?そうだろ?
「そうです」
な?

僕という自我は存在してないし、僕の主張は正しくないから、皆さんはどうぞ個人の利益の最大化に努めてくださいな。
万人の万人に対する闘争状態を続けてくださいな。
その間に僕は…………僕は……?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?