sui sui 3周年に添えて。

2019年6月22日にsui suiというアイドルグループが誕生した。struggle underground idol。略してスイスイ。
3周年のワンマンライブ(6/18 心斎橋ANIMA)を前に、少し自分自身の振り返りをさせてほしい。
(※書いたあと、めちゃくちゃに長くなってしまったこと改行のみでシンプルにまとめたのでめちゃくちゃ読みにくいこと反省しています®)
とは言え、ここ最近の自分と言えばsui suiのライブに行く事も少なくなり偉そうにすべて知ってるかのように書いてしまうのはおこがましい気持ちもあるのだけれど、最近sui suiを知ったよという人にも"昔はこうだったんだ" "こう言う感じだったのか"というのが新鮮に嫌味なく伝わればと思う。だって、僕とこれを見てくれている貴方はきっと同じくsui suiの事を好き同士だと思うから。

僕がsui suiというグループを知ったのは、ご存知われらが代表、鉄平さんが当時はお互い観客として違うグループの現場で僕が一方的に把握していて、その人がアイドルグループを作ると言うのがTwitterでオタク仲間と話題となっていて「きっと面白いグループなんだろうな」「冷やかしついでに行ってみようか」なんて今思えば随分軽い気持ちだった。
確か、お披露目ライブ前の6/3にロフトプラスワンウエストという心斎橋にあるトークイベント等がよく行われるライブハウスがあり、鉄平代表と当時のサウンドプロデューサーのゼロツさんが「アイドルの作り方」だとかなんとか言うテーマのトークイベントを開催するとの事で、仕事終わりにふらっと立ち寄ってみた。
そこで入場からイベント前までの時間に、デビュー前のsui suiのメンバー3人(1人は欠席)が自己紹介と6〜7月までの決まっているライブのスケジュールが載ったビラを配っていた。これが初めて僕とsui suiメンバーとの出会いになった。
Twitterで既に顔写真がアイコンとして公開されていたし、リプ返も行っていた事からすぐに実際会ってみてメンバーを把握出来ていたと思う。可愛いくて何処かたどたどしい、まさにこれからデビューを控えたアイドルという感じ。そんな印象だった。
そんな中、1人俯いてチラシをもったまま立ちつくしてるショートカットの子がいた。喋ってる声も小さすぎて何を言っているか正直分からない。「えっ?」って聞き返すと「実際見たらぜんぜん可愛くないでしょ、ごめんね」って早口で蚊の鳴くような声で目を合わせてくれない。(緊張してたのかもしれないけど、あまりやる気が感じないし、可哀想だけどきっとすぐ辞めるとか言って消えちゃうんだろうな。こんな地下アイドルなんて星の数ほどいるんだろうし。何か始まる前から切ないなぁ。)って思いながらトークイベントを見ていた。

そしてデビューライブの日を迎える。socore factoryという堀江にある縦長に狭いライブハウスが超満員である。s.u.iでフロアがモッシュで揺れ、我先にと上がるリフト。レゲダンで踊り狂わされ、キミタチで泣き、僕のすべてで虜となっていた。初ライブとは思えないような堂々と観客を煽るメンバー達。この前見たショートカットのやる気なさそうな彼女も笑顔がこぼれてる。すごいなこれがsui suiか。

そこから毎週のように週末も平日もsui suiに通う日々が始まる。お披露目ほど人はいなくても、平日夜の空いてるライブハウスなんて「神現場だ」なんてスカスカのフロアでもライブを楽しんだ。その度に一緒に馬鹿な事をするオタク仲間も増えた。口上にチェッカーズのギザギザハートの子守歌を入れたり、SEにおたくが「ひーふーみーよー」ってカウント入れたり、ガチ恋を「言いたいことがスイスイスー!」とか、七夕にライブするってだけで何故かオタク全員浴衣着てきたり、名古屋出身のメンバーが初めて地元でライブする時にサイリウム代わりに味仙のテーブルの木札を客に配りまわって振ったり、人が本当に少ないライブではオタク同士で推しメンを交換するという謎な行動をとりメンバーを困惑させ泣かせたり、生誕に勝手にTシャツ作ったり、ハロウィンに仮装(なぜか女装)したり、前日にメンバーがツイッターでサンリオの○○のキャラが好きだとツイートしたら翌日のライブではそのキャラの被り物をしてリフト上がっていたり、初めての東京遠征でメンバーには内緒で行けないフリだけしといて大阪からこっそり向かうもお目当て特典の事前物販で全チェキ撮れるので内緒に来てるの結局バレたり、そういう馬鹿な事を楽しそうにする愛すべき集団だった。時にそれは「身内ノリ」「○○○○の現場に行かなくなったオタクの墓場」だと叩かれた。しかし当時をリアルで通っていた僕からすれば、顔は知ってるけどそこまで仲良くはない人だったり、全然知らない人、最初はSNSで叩き合ってたけど現場で意気投合した人たちでライブを一緒に過ごしていく中で一緒に仲良くバカをするようになったsui suiが作った縁だと思う(現在もそうだが)。けれどライブやパフォーマンスには正直で、今じゃ考えられないかもしれないが「1部と2部とライブがあったけど2部は全然ダメだった」とか「推しメンが可愛いだけでそれ以外は見てない」とか「今日は良かった。いつもよりマシだった」とかメンバーが傷つくだろう事も平気で言い放つし特典会でもメンバー泣かせたりした。でも超早いオープニングアクトの枠だったり、15分枠しかなかったり、辺鄙な所でのライブでもみんな駆け付けてライブを見ていた。今思えばオタクの推し方として間違ってるだろうとは思いながら馬鹿な事やりながらも、なんとなくその言葉を糧に次のライブで応えてくれてたような気がしていた。誇らしげに言うなら「芯」みたいもので繋がっていたのかもしれない。だから早くみんな「その次が見たい」となっていたんだと思う。

そして年が明け、念願のワンマンライブをデビュー翌年の1周年の6月に心斎橋JANUSで行われることが発表される。一周年でワンマンライブなんて昨今のアイドルグループの中では遅いくらいである。普通ならそれまでの段階ではやくワンマンしろよって文句のひとつも出るくらいだが、オタクは我慢していたんだと思う。曲数の少なさ、動員数、パフォーマンスの不安定さ、口にはしなかったけれどオタクも(まだまだだろうな)とは感じていたに違いない。だからこそワンマンライブが発表されたときの皆の盛り上がりは凄かったと思うし、素直に嬉しかった。「おめでとう、大変だったよね。でもよくここまで頑張って来たよねぇ」って。

そしてコロナ禍がやってくる。予定されていたライブが次々と中止され、例にも漏れず1周年6月のワンマンライブは延期(中止)されてしまう。別にsui suiだけではない。どのアイドルだってバンドだって同じ境遇だ。ライブのない1周年の記念日にオタク同士で集まってお祝いしようと動画を撮って発信したり非力ながらオフ期間でもメンバーのモチベーションを支えた。オタク同志で「コロナが明けたらまた通常運転に戻るからオタク辞めんなよ」みたいな心配もあったと思う。そんな矢先の7月に2人のメンバーの脱退が発表される。現実に休止中に解散するグループや卒業していくアイドル達も多い中、ついに自分の推してるグループからも2人居なくなってしまった。1番に心配に思ったのは残された2人と、脱退した2人のオタクのみんなのこと。このメンバーとオタクでいつまでも馬鹿なことしながら泣いたり笑ったりをずっと続けて行けると思っていた。それはどこまでも時間が掛かってもめちゃくちゃ大きい舞台に絶対辿り着けるだろと思っていた。

心にぽっかり穴が空いたまま、憂鬱な夏を過ごす事になり、まわりは段々と制約もある中ライブハウスで少しながらも活動が再開されていく。やっとライブが見れるのかな。でもあの4人のsui suiはもう見れないのかと気の遠くなる様な暑さの中に、突如アナウンスされた"再起動"と題された主催ライブが開催される。百鬼朱紀と猫戸彩凪の二人体制で継続されたsui suiのコロナ禍での再出発ライブが決まる。正直2人でまた活動してくれる安堵と、4人ではないsui suiを見る悲しさがあった。そしてANIMAに詰め掛けた人に見せてくれたライブは2人の悲壮なくらいの確固たる決意だった。
言葉にしたら安っぽいが、ここで披露されたスタンドマイクで歌いあげるMYWAYと言う楽曲があり(現体制になってからは恐らく1度しかまだ披露されていないのだが)その歌詞を勝手に自分で解釈すると、2人になって辞めようと思ったり立ち止まったりした事もあるがこうやってまた歩き出す。「生かされた意味を知るのかと」「不器用で未熟な僕らのそうMYWAY」これほど今のオタクを含めた自分達にハマる曲は無いなと感じた歌だった。もしもこの先にこの楽曲が披露される事があれば、どうか少しでもこの2人体制でコロナ禍のど真ん中の苦しい時期に生まれた大切な曲なんだなと感じて聞いてほしい。きっと今の4人が歌っても素晴らしい心に響く大事な曲だと思うから。

そして2人にとってもオタクにとっても苦しくも我慢の2人体制へと突入していく。
脱退した2人のオタクも現場から段々居なくなり、そもそもコロナ禍と言うこともありオタク自体の全体数も減るなか、声出しモッシュリフト禁止、客同士のソーシャルディスタンスを保つなど今まで通い詰めたオタクにとって個人的に以前と比べ消化不良の残るライブとなっていく。この頃からオタクは好き放題やっていた4人体制から、2人を大切に見守っていく様になっていった様な気がする。それがsui suiらしいかどうかは分からないけどステージで歌う2人が本当に尊くて大切で壊れそうでもろくて、だけど強くて。そんな中に年末にサウンドプロデューサーのゼロツさんが離れるニュース、ますます2人の事が心配で苦しくなっていく。こういう時にオタクは色々邪推をするもので、ありも無い事を自分の憶測で好き勝手にツイートしそうなものだが、実際に現場に足を運んで2人のステージを見た者はみんな2人を信じて着いて行く気持ちになったに違いない。
そのゼロツさんが離れる前にゼロツさんのバンドセットで行われた12月の2人の生誕祭のライブで猫戸彩凪さんがMCで言った事が今でも頭に残っている。
「コロナ禍にライブをするという事でやる側にも来る側にも色々制約があって、休止期間中にSNSしか皆と触れ合う(コミュニケーションをとる)事しか出来なくて、でもこうやってライブをしてきて、本当に大事な事は一人一人と目を合わせてライブをする事なんだと思いました」
確かこう言うニュアンスの言葉を涙ながらに言っていたと思う。確かにコロナ禍に主催ライブで生誕祭を行うから来て欲しいとは言い難く、オタクも行きたくても行けないオタク、ライブに行ける人行けない人との間の軋轢が生まれてくる、そう言うやりとりをSNSで見ていた彼女達は声を大にして「絶対ライブに来て欲しい」なんて言えるはずがない。でもステージに立ってみて感じたことを用意されていた言葉ではなく、素直に自分自身あのステージの上から見た瞬間をつむぎ出しだMCで涙ながらに喋った彼女の言葉は素晴らしくてカッコ良かった。(過去の現場に来てた人しか知らないちょっとしたネタバレを、こう言うところで書いちゃう僕も本当は粋じゃないんだけれど許して欲しい。)
あのロフトプラスワンで俯きながら自信なさそうにチラシを配っていた女の子が、1年半でこんなにたくましいアイドルに変わったのかと感慨深い気持ちになった。彼女自身の努力も勿論だがそれを根底から支えてきた運営陣、相棒の百鬼朱紀、そして何より猫戸組のオタク達、ライブで悪ふざけする者、ネタに走る者、批判もするが褒める者、純粋に真っ直ぐに応援する者、SNSでライブにはなかなか行けないが不平を漏らさず応援する者、推しメンでは無いがずっと応援している者。苦しみながら、もがきながらアイドルになっていったんだよね。

そんなこんなで翌年3月に新メンバー3人と新しい楽曲のリリースが発表される。この時から写楽ユーキ、月御葵已、亜鞠和音の個性的な3人が加わる事になる。約半年、グループ最小の2人体制で駆け抜けてきたsui suiが大きく変わろうとしている。先ほど2人体制を「我慢の時」と書いてしまったが、5人になるのがゴールでは無くて、2人でsui suiを続けてくれた事。そしてそれを暖かく見守ってくれた3人が待ってくれた事。それは決して我慢の時ではなく5人が成長して結果新体制へと行くための大切な時間だったのかもしれない。実際に2人でライブをこなしていくタスクに加え新体制での練習もあったのかと思うと本当に頭が下がるし、新メンバーはライブのない中もお披露目の為のレッスンをしていたのかと思うと「sui suiに入ってくれてありがとう」という言葉しか出てこない。お披露目前に百鬼朱紀が「sui suiを辞めようと思っていた」という言葉を聞いてどれだけ2人体制の時(それを支えた3人も加えたsui sui)が苦しい時間だったのか想像できる。

そして怒涛の様に5人体制のsui suiは、新しい衣装と新しい楽曲「感情解放戦線」というRE Debutと呼ぶに相応しい攻撃的な疾走感溢れるナンバーを引っ提げ関西のみならず関東にも精力的にライブをこなしていく。音楽プロデューサーが変わり新しい楽曲がsui suiらしいからしくないかで言えば、らしくなくて「カッコ良い」楽曲だった。今までは何処か挑戦的で、泥臭い感じだったのに対して「カッコ良さ」「洗練された」感があり正直どこか距離を感じた自分がいた。でも5人が魅せるステージを見て来たらどんどんそれがsui suiになっていくのだ。変な言い方だが馴染んできて、ライブを見たら「いつもの昔から変わらない全力で楽しいsui suiのライブ」なのだ。
このコロナ禍で僕らオタクもライブの楽しみ方も変わっていった。新メンバーによる新しいオタクと仲良くなったり、リフトが出来ないならソロパートや落ちサビとか、周りのみんながしゃがんでソロパートを歌うメンバーのオタクだけ立たせたり(※通称おがわ。リフト)
コロナでライブに来れてないオタクの為に頼まれてもいないのに勝手に代行チェキ撮ってサプライズで送りあったり。
「身内ノリ」だのなんだの叩かれたこともあったが、その指摘は間違えてはいない。古参と呼ばれる人がおまいつを作り、そのおまいつが色んな所で新規のオタクを巻き込んでそう言う馬鹿な事を繰り返して「身内」を作っていったのだ。人間だもの、同じ現場にいつもいて繰り返しそんなライブを一緒に見てきたらそうなるだろう。

別に売れなくてもいいからこのクラスの箱でこのオタク達でずっと永遠に中学生の夏休みみたいな遊びずっと続けてたらいいのになあなんて思ったりもした。たしか堺ファンダンゴでめろん畑とGASOLINEとのスリーマンの後、堺の港を酒呑みながら大声で歌いながらオタク達とダラダラ歩いていた時だ。いい大人が同じアイドルを好きだという理由だけでここまで仲良くなれたり泣いたり出来ることってなかなか無いだろう。な、なんて。
でもそんな甘ったるい理想が突如崩れることになる。
百鬼朱紀卒業。
自分の推しメンがついに卒業してしまうことになった。初期メンバーで猫戸彩凪と共に今を作った百鬼朱紀。いろいろ整理して落ち着こうとしても今までのライブがひとつひとつ大人になるのを邪魔して込み上げてくる。オタクを建前上隠している親や仕事の同僚にも心配される。どうしたらよいか分からん。ただただ泣いて、ツイッターも開けず、塞ぎ込む日々だった。こんな俺でも心配してくれるオタク達の優しさが痛かった。残された推しを見れるライブはもう既に少なかった。東京愛媛ホーム大阪名古屋。素直に全部行かなくちゃと思った。
卒業発表後に初めてライブを見た箱は新宿Marsだった。
たしか関西ではシュガーピルズというこれまたsui suiとも縁の深いアイドルのラストライブがあり行きたい気持ちを押し込めて僕は新幹線に乗っていた。ライブを見たらいつも通りの楽しいカッコイイsui suiだ。それが余計に泣けてきた。
ライブ後になんとなく朱紀ちゃんと話辛いなぁ、なんて思いながら僕は猫戸彩凪さんの列に並んでいた。そこで猫戸さんが何も言わず「ブリたんごめんね、ダメだった。」って目に涙をためて泣いてくれた言葉を僕は多分ずっと忘れられずにいる。その涙だけで僕はsui suiのオタクでよかったなあなんて改めて思った。まだ俺のオタク人生終わってないのにさw
そのあとのライブも遠い面倒な遠征なのに「朱紀ちゃん最後だから」ってなかなか普段は関西圏出ないオタクも付き合ってずっと一緒にいてくれたり、いつも以上にお酒を飲み笑いただただ何も言わずずっと一緒にいてくれたキミタチに今この場を借りて礼をいいたい。ありがとういい薬です。
そして朱紀ちゃんは卒業して行き、僕はいったい朱紀ちゃんの居ないsui suiのライブをどうやって見たらいいのか。どんなライブでいれるのか。翌日の難波meleという小さいライブハウスでのスタートだった。朱紀ちゃんが抜けて4人になったまた再出発のsui suiの。当日向かう電車の中での和音ちゃんのnoteに涙が止まらなくなった。そして4人のsui sui(現体制)のがむしゃらで真っ直ぐなライブとオタクの熱気と推しメンの居ないステージのsui suiともうあの声で歌われる事のないパートやダンス、フォーメーションに僕はカッコよさと少しの寂しさ、そして疎外感を拭えなかった。生意気言うと大勢の中にいても孤独を感じでしまった。メンバーもオタクもライブももちろん好きだ。でもやっぱり自分にとってライブとは…というモノをずっと考えさせられた1年だった。

さてさてめちゃくちゃ前置きが長くなったが、百鬼朱紀卒業から約1年を迎えつつあるsui suiがようやく辿り着いたワンマンライブが東京と大阪で始まる。初めて東京でライブをしたギュウ農フェスは関西のおまいつだらけ、対バンでもどアウェイヒヨヒヨライブだった彼女らが結成から3年で東京でワンマンをソールドアウトさせたのだ。
世間ではフツーの事なのかもしれない。むしろ遅いかもしれない。でもこれはオタクとアイドルと遠回りしても歩んできた偉大なる価値のあるライブなのだ。そして前回のワンマンでソールドアウト出来なかった大阪でのワンマンも埋めたのだ。ソールドアウトとかワンマンのライブとか気にしなかったら本当にどうでもよくちっぽけな事なのかもしれないけれど、これをここまで根気よく読んでくれたあなたならこの喜びと価値を分かってくれるはずだ。だってあなたもsui suiが大好きだろうから。

さあsui suiのワンマンライブツアーの東京と大阪がいよいよ始まる。始まるぞ。

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