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俊カフェ界隈の歴史 その7

take

前回までのあらすじ

 その1~その3は『俊カフェ』の建物の歴史。その4から俊カフェ界隈をお散歩しています。
 お向かいの札幌市立資生館小学校には150年の歴史があります。『どんぐりころころ』を作曲したのは卒業生・梁田貞でした。
 市電の停留所『資生館小学校前(西創成)』や南4条通りの45メートルという道幅にも,歴史の痕跡がありました。
 またこの界隈は明治初めの「札幌区」と「山鼻村」の境目でもあります。その境目で築100年のレンガ造りの倉庫を見つけました。

森良三商店 1

ビルの谷間に骨董品店

 札幌と山鼻の境目に骨董品店を見つけました。「森良三商店」。先代のお名前だそうです。曽祖父は畳屋さん。畳の張替えの時にお客さんからいただいた「ふすま」や「欄間」を店先で売っていましたが,正式に古物商の資格を取って骨董品店を始めたのが1919(大正8)年とのこと。100年をこえた老舗です。
 単独で骨董品店を営むのは大変で,現在は複数のお店の骨董品を並べて『骨董時代村』として商売をされています。
 半年ほど前にお邪魔したときは『裕福な中国人が日本に鉄瓶を買いに来ている』と鉄瓶の手入れをしていました。どこの国でも職人は減る一方のようです。
 takeの両親は農家の生まれです。祖父母の家に遊びに行くと,おがくずストーブに鉄瓶が載せてあって,そのお湯でいつでもお茶を飲めました。なつかしい思い出です。

7丁目アーケード

狸小路7丁目

 今度は俊カフェの裏側,狸小路7丁目を歩いてみましょう。狸小路といえばアーケード。takeの子ども時代にテレビCMで『1丁目から8丁目,ぐるりときれいなアーケード。狸小路は,狸小路は楽しい街よ』と歌っていたのですが,実はアーケードがあるのは1丁目から7丁目までで,8丁目はありません。
 そのアーケードも「1丁目から6丁目」と「7丁目」では趣が全然違います。
 6丁目までは1982(昭和57)年完成の2代目アーケード,さらに平成の改修で電光掲示板などを整備しました。7丁目は1960(昭和35)年の初代アーケード,改修した形跡もない『ザ・昭和』です。でも,takeは7丁目のほうが落ち着きます。

幸乃園

日本茶専門店「幸乃園 安中茶舗」

 7丁目の老舗を2つだけご紹介します。
 狸小路7丁目を歩いていると,とても香ばしい香りがします。ここは1927(昭和2)年創業の日本茶専門店「幸乃園 安中茶舗」。俊カフェ横の路地をぬけて狸小路7丁目に出ると,そこが「幸乃園」です。毎日お茶を焙じています。
 「お散歩のガイドをするからには,まず自分が味を知らなければ・・・」と試しに買ったほうじ茶でしたが,takeはすっかりファンになりました。とにかく香りがいいんです!!! とても落ち着くんです。このほうじ茶を飲んだら,ティーバッグのほうじ茶は茶色いお湯にしか思えなくなりました。

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 店内には急須,湯飲みなど茶器もたくさん揃っています。「ティーバックで慌ただしくお茶を飲む生活はそろそろやめたいな」というあなた。まずは,「幸乃園 安中茶舗」のほうじ茶を急須で淹れていただくことをお勧めします。
 「ほうじ茶100グラムお願いします」と言ったら,どうやって売ってくれるか・・・ここには書きません。ぜひ,お店に行って買ってみてください。

う月食堂 昭和10年

お母さんが1人で頑張っている「う月食堂」

 7丁目の西端にある創業昭和10年(1935年)の「う月食堂」。店内は少し雑然とした感じの昭和の食堂。ご主人亡き後,お母さんが1人で切り盛りされています。はじめて伺ったとき,ほかにお客さんがいなくてお話を伺うことができました。ラッキーでした。
「映画館の人がポスターと一緒に招待券を持ってきて,よく映画を見に行ったよ」と映画全盛時代のお話し。
「角地は良いというけれど,落ち葉がたまるし,除雪も大変なのよ」と意外なご苦労が...。
「テレビ取材は嫌だね。外を歩きにくくなる」と昔気質なお母さんは,オムライスや豚汁定食が看板メニューだと語っていました。takeもいただきました。とってもグ~です。時間に余裕のある時に,ぜひお試しください!!!

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