俊カフェ界隈の歴史 その6
take
前回までのあらすじ
その1~その3 は『俊カフェ』の建物の歴史。その4 から俊カフェ界隈をお散歩しています。
お向かいは札幌最古の学校の流れをくむ資生館小学校。地下の「メモリアルホール」には150年の歴史が展示されています。敷地の南西の角には『どんぐりころころ』を作曲した卒業生・梁田貞の胸像があります。
市電の停留所『資生館小学校前(西創成)』の(西創成)には住民の思いが込められていました。グランド側の南4条通りの道幅は45メートル。この道幅にも歴史上の事件が関わっていました。歴史の痕跡を探せば,どんどん見つかる界隈です。
俊カフェ界隈は「札幌」のはずれ!!?
俊カフェ散歩で「私たちが今いるところは札幌のはずれです」と言うと,たいがいの方は驚かれます。ここでいう札幌とは明治初めの「札幌区」のことなんですが。
地図中の右側,青い太線で囲んだところが「旧札幌区」で,その外側が「旧山鼻村」です。俊カフェから西へ2丁歩くと山鼻村ですから,俊カフェが「旧札幌区」のはずれにあることがお分かりいただけましたでしょうか?
札幌区と山鼻村は町の区画が4度ずれていました。合併してからあちらこちらで道路をつなぎ合わせましたから,ふだんは気がつかないのですが,地図をよくご覧ください。札幌区の青い道路と山鼻村のオレンジ色の道路は平行ではなく,ちょっとだけ寄り添っています。この4度のずれがよ~く見える場所があります。それは俊カフェ散歩でご案内いたします。
(写真)札幌と山鼻の境界線に面している骨董品店
住所に残る「山鼻村」
実は,山鼻村の痕跡は《道路のずれ》のほかに住所にも残っています。
同級生のK君から「札幌に転勤になりました,近くに来たよ」と挨拶状が届いたときに,ハッと気がつきました。そのハガキに彼の新住所が『中央区南4条西10丁目1003 - 4』と書いてあったのです。
「おいおい,南4条西10丁目に番地が1000も必要か? そんなに広くないだろ。んっ,待てよ!!! これは…」 私は『札幌歴史地図 明治編』を取り出し,山鼻村のページを開きました。が,細かくて老眼の私には読めません。そこでインターネットで同じ地図を開いて拡大しました。「やっぱり!!!」 K君のマンションの場所は『旧山鼻村1003番地』の場所だったのです。
調べてみると,旧札幌区と旧山鼻村の境界付近には山鼻村時代の番地をそのまま使っているところがたくさんあります。転勤したK君が偶然にも旧山鼻村に転居してくれたおかげで,私は《住所に残る山鼻村の痕跡》に気づいたというわけです。
偶然見つけた Lákura
俊カフェ散歩の準備で札幌と山鼻の境界付近を自転車で走っていたとき,レトロなレンガ造りの建物が目に入りました。takeは古い建物が大好物!!! 塀が札幌軟石で建物はレンガという組み合わせもオシャレです。「誰もいないのかな?」と思いながら近づいていくと,中からピアノの音が聞こえてきました。明かりもついています。誰かいるようです。
次の瞬間,takeは不法侵入していました。ドアノブに手をかけたらクルっと回ったのです。中へ入っていくと,ピアノを弾いていた方と鉢合わせ!!!
はゆきさん「びっくりした~」
take「素敵な建物だったので,勝手に入ってしまいました。ごめんなさい」
これが鳥居はゆきさんとの出会いでした。建物の名前はセレクトショップ Lákura。はゆきさんが自分の目で選んだモノだけを売っています。ピアノ演奏もお仕事です。この日はピアノの練習中でした。
はゆきさんは心の広い方で,突然おじゃましたtakeにレンガの蔵を案内してくれたうえに,俊カフェ散歩で訪問することもOKしてくれました。
このレンガの蔵は築100年で質屋さんの蔵として長く使われていたようです。2019年の秋には北海道新聞でも紹介されました。母に守られているような安心感を与えてくれる空間です。「いつまでも,ここにいたい…」と思ってしまいます。心地よさの秘密は《建物が積み重ねてきた時間の蓄積 + はゆきさんの心の広さ》に違いありません。
開店日などはホームページを見てください。
https://lakura.amebaownd.com/
ちなみにLákuraの住所は 中央区南4条西9丁目1009-3 です。もと札幌区か山鼻村か…,もうわかりますよね。
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