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俊カフェ界隈の歴史 その3

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 前回までのあらすじ

 『俊カフェ』の建物を巡る旅,第3回。
 100年前にここを建てた助川貞二郎は,馬車鉄道と路面電車を開通させて,札幌の発展に貢献した1人です。
 1942(昭和17)年,鶴岡新太郎・トシ夫妻が「北海道女子栄養学校」の校舎としてここを借りました。鶴岡学園は大きく発展し,2020年現在6つの学科を持つ北海道文教大学になっています。

助川貞二郎のもうひとつの顔

 さて,実業家としてたいへん活躍した助川ですが,社会福祉事業にも力を入れていました。
 もともと妻・ヒデが行っていた《釈放者を保護・更生する事業》を発展させ,1915(大正4)年に釈放者に住居と仕事を提供する施設を作ったのです。この施設は「札幌大化院」といい,100年を過ぎた現在も南1条西17丁目にあります。こちらも100年!!! 驚きです。

札幌大化院

 1929(昭和4)年に助川が亡くなった後,「札幌大化院」の院長となったのは助川の息子・貞利でした。貞利といえば,父が始めた電車事業を助けるために東北大学理学部助手を辞めて札幌にもどり,除雪用のササラ電車を発明した人です。
 父の保護更生事業を受けついだ貞利は社会福祉の活動を続けました。北星学園が大学を設立するときには社会福祉学科を創設して主任教授となり,1967(昭和42)年には北星学園大学の学長に就任しています。

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 助川貞利と鶴岡トシはともに北海道開発功労賞を受賞しています。
・助川貞利 1971年,第3回北海道開発功労賞(社会福祉部門)受賞
・鶴岡トシ 1975年,第7回北海道開発功労賞(教育部門)受賞

金田さんと一緒に入居した人は…

 鶴岡学園が1994(平成6)年まで使っていたこの建物。次に入居したのは現在1階で美容院『華宮』を経営する金田敏晃さん。そして2階が鈴井貴之さん。「えっ,あのミスターですか?」「そうです!!!」「いま俊カフェがあるここを使っていたんです!!!」
 金田さん曰く「2階は広いから稽古も公演もできるよと声をかけたら,劇団事務所もここに移ってきた」とのこと。鈴井さんの劇団「OOPARTS(オーパーツ)」です。人気者集団TEAM NACSの所属事務所クリエイティブ・オフィス・キューの会長として超有名な鈴井貴之さんですが,この建物で稽古をしていた時期があったのです。
 伝説的深夜番組『水曜どうでしょう』の開始が1996(平成8)年ですから,鈴井貴之さんや大泉洋さんがテレビでブレイクする少し前のことです。

↓ 鈴井貴之さんもここで稽古していた(写真は現在の俊カフェ店内)

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そして「俊カフェ」へ

 鈴井貴之さんの劇団のあと,伊藤亜由美さん(オフィス・キュー現社長)のベトナム料理店「フーコック」やハーブ料理店「じりりた」を経て,2017(平成29)年5月に古川奈央さんの『俊カフェ』がオープンしました。
 古川さんは美容院『華宮』の客として金田さんと仲良くなり,折々で《俊太郎さんへの愛》を語り,「とても個人的な谷川俊太郎展」(2015年)を経ていつか常設を...という話もしていました。そこで2階が空くことになり,「ここでやってみない?」というお誘いが来たそうです。いろいろな縁で100年の建物が『俊カフェ』につながったわけです。
 俊カフェ開店の詳しい経緯は古川奈央さんの手記をご覧ください。
 古川奈央『手記 札幌に俊カフェができました』ポエムピース,2019年

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 こうして見てくると,この建物に関わった人たちの活躍に驚かされます。助川貞二郎 ~ 軟石を運んで札幌の建物を強化。現在も続く路面電車。
助川貞利 ~ 北星学園大学の社会福祉学科を創設,福祉の専門家を養成。
鶴岡トシ ~ 栄養学校を発展させて北海道文教大学の基礎を築く。
鈴井貴之 ~ 北海道の事務所から全国規模で活躍する芸能人を輩出。

 金田敏晃さんはこの建物を『KAKUイマジネーション』と名づけました。ここはまさに《イマジネーション(想像)の揺りかご》と言えるでしょう。

100年前の屋根裏を見せていただきました

 あるとき俊カフェで古川さんと話していたら,偶然金田さんが上がってきて『そんなにこの建物が好きなら,ちょっと見に来るかい』と美容院『華宮』の屋根裏を見せてくれました。
 「これは柾屋根(まさやね)じゃないですか!!!」とtakeは大興奮。
 実は,その1か月前に古民家ギャラリー鴨々堂の解体をお手伝いして,屋根の柾をはがす体験をしていたのです。「ここには柾が残っている~」と感慨ひとしお。
 柾屋根は,トタン屋根(赤や青の鉄板の屋根)が普及する昭和30年代以前に北海道で一般的だった屋根の種類。A4判サイズくらいの薄い木片(柾)を少しずつずらしながら載せた屋根です。昭和30年代までは柾を並べて屋根をふく職人さんが活躍していたといいます。
 金田さんがこの古い建物と会話をしながら大切に使っているように感じました。

華宮 柾屋根 4

 さて次回はこの建物を出て,いよいよ俊カフェ界隈へ散歩に行きます。

参考文献・取材協力
『さっぽろ文庫 41 札幌とキリスト教』255ページ「助川貞利」     金田敏晃さん(KAKUイマジネーション1階の美容院『華宮』の経営者)
    金田敏晃さんには,この場を借りてお礼申し上げます。

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