(加筆)宮崎達也くんのこと
2019年の春に書いたものを少しだけ加筆です。状況に変化がありましたので✨
太字が加筆部分です。
2017年12月23日、大阪はキンチョウスタジアム。
この日、明治と対戦したのは、京都産業大学だった。
大学選手権3回戦、キャプテン不在のなか法政と戦い、24点差を逆転して準々決勝の舞台にやってきた。
明治と京産には力の差があると思って見ていたし、後半ノートライの状態から京産にリードされ、あれ?あれれ?となったのが正直なところ。それでも、試合を見るうちに、京産の小柄な選手に目が吸い寄せられていった。
それがHO宮崎達也選手。頸椎損傷で入院中のキャプテン、中川将弥選手に代わり、HOをつとめていた。
162cmの宮崎くんが明治の大型FWに全く怯むことなく、負けん気全開でぶつかっていく。この試合、後半20分以降に堀米選手(当時4年現リコー)、梶村選手(当時4年現サントリー)、山村選手(現4年)に相次いでトライを奪われたが、最後に意地のトライを奪い、京産大は明治を相手にわずか6点の差で敗退した。
泣きじゃくる宮崎くんを見て、京産大のことを忘れないでいようと決めた。キャプテンの分まで力を尽くして戦い、ワントライワンゴールで逆転できるところまで明治を追い詰めた彼らのことを。
翌年の夏、菅平で法政と京産のオープン戦を観戦する機会に恵まれた。雨の中、久しぶりに見た宮崎くんのひたむきなプレーは変わっていなかった。
実際、東京住みで関西のチームを追うのは難しい。今シーズン、関西リーグを一度は見に行きたいと思っていたのに、結局かなわなかった。
12月1日のサンデースポーツで、2017年の大けがから復活し、京産大のサポートを続ける中川将弥元主将と大西監督のきずなが取り上げられ、さらに斉藤健仁さんが4yearsで宮崎くんについて詳述されている。大西監督の引退きっかけだけでなく、京産大への注目は集まっていたと思う。
2019年12月15日、風の強い熊谷ラグビー場で、グラウンドに立った京産大フィフティーンの中でひときわ小柄な宮崎くん。そっか、5回生なんだ本当は。
京産大といえばスクラム。対する日大も、今年スクラムを進化させることでここまで来た。
通常、フロントローがスクラムを組む時はHOが両手をあげ、そこに両PRがくぐるようにしてHOがジャージをしっかりと掴む。でも、京産大は…宮崎選手が右PRに抱き着くようにして両手でジャージを丁寧に重ねて持ち、それから左PRと組む。手が小さいから、腕が短いから、ジャージを離さないようにした工夫なのかな、と思って見ていた。
先制し、逆転され、追いつき、また引き離される展開。勢いはあるのに、スクラムも押せているのに、DFのほころびを突かれ、ゲインされる。どうしても手が届かなかった。
スコアは京産19-日大24。ワントライが勝敗を分けた。
これをもって大西監督引退。そして、最上級生たちも。
日大の歓声が途切れないスタンドで、彼らにカメラを向け続けた。
報道陣に囲まれた大西監督がスタンドに丁寧に頭を下げている。そのかたまりの後ろに、宮崎くんと中川元主将、そしてFLの城間くんの姿があった。
光量不足でぶれてるし、ピントもひどいけど、伝わってくるものがある。
宮崎くんはトップリーグでラグビーを続けるそうなので、プレーがまだ見られるのは本当にうれしい。
大学ラグビー、お疲れさまでした。これを書くことを快諾してくれてありがとう。これからも応援してます。
その後の宮崎くん
この年、大学を卒業した宮崎くんが入団したのがトップリーグの宗像SANIX BLUESでした。ところが、2022年5月31日に28年間の活動に終止符を打ちます。
熱烈なファンも多く、社会貢献も多数してきたこのチーム。所属選手は散り散りになっていきました。
ところが。2022年11月、サントリーサンゴリアスの新規加入メンバーの中に達也くんの名前があったの!
うれしかったなあ…
というわけで、これからはライバルチームのメンバーとして(わたしはゴリゴリのワイルドナイツファンですから😎)、近くから応援させてもらいますね✨
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