「経験も実績もない」人間は政(まつりごと)に参加できないのだろうか。2021年の土佐清水市長選挙が終わり出てきたコメントに思うコト

2021年の土佐清水市長選挙が終了した。
結果は僅差で現職である泥谷市長が当選。

それに関する私のまとめは昨日のnoteに書いたので、コチラも見ていただければと思う。

さて、一夜明け今朝の高知新聞から抜粋の市長のコメントがコチラ。

「(選挙戦は)十分な手応えがあった。(接戦になったことは)自分でも考えられない。経験も実績もない方に清水を委ねる方が大半いたことは、私の市政運営に対する批判だと思う。謙虚に受け止め、さらに市民に寄り添って基本政策を徹底したい」

みなさんはこのコメントを読んでどう思われただろうか。私は非常にモヤモヤした感情を抱いた。

「経験も実績もない」

この部分が非常にひっかかるのだ。
ココで言われる経験とは、いったいナニを指すのだろうか。

政治の経験で言えば誰しも生まれながらの政治家はおらず、自分の意志で志し支持を受けて選ばれるのが政治家なのだから、経験を問うコト自体がナンセンスだと私は思う。

もう一つ考えられるのは選挙の話をすると議論の中で出てくる、行政の経験だろうか。

この手の行政経験を問うコトも私はナンセンスだと考えている。

行政がわかっていなければ動かない行政というのは行政の機能が停止していると言わざるを得ない。

時代に応じて選ばれた人間を支え共に良くするのが行政ではないのかというのが私の考えだ。

今回の選挙でこれだけの僅差となった理由がココにたると私は考えている。

今のままの行政に対して約半数の有権者がこれまでの対策からの転換を望んだ結果がこの票差に直結しているのだ。

対戦相手の中山義介氏は救命救急師として現場の経験などがあり、コロナ禍における対策を行政ではなく、その道のプロに求める声の多さではないか。

だからこそ問いたい。
選挙における経験、実績とはなんなのか。

経験、実績がない人間は政(まつりごと)ができないのか。

私は違うぞと声を上げたい。

政治は市民のモノだ。
市民が選んだ人間が代表して政治を行うのだ。

だから、対戦相手に対して「経験も実績もない」と評価するのは間違っている。

評価するのはあくまでも市民である。
政治は常にソコに軸足を置くべきである。

また、今回当選した市長を支持した8名の市議を始め側近の中に今回の発言を諌める人間はいないのか。

支える側の人間が声を出さなければいけない。
それが支持する者の役目ではないだろうか。

今後4年間の市政を担う3期目を支える8名の市議の方にも私は注視していきたい。

土佐清水市が良くなるためにはどうすればいいか。
ソレは市民が常に政治に興味を持つコトから始まる。

だから、私は一介の市民ではあるが、こうして政治に対する意見を発信している。

どうか、一人でも多くの人にとって政治が身近なモノであるように願いながら。

ほいたら、また。

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