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井坂勝之助 その2

上杉信三
 
勝之助、竹蔵と二人、鍵屋の二階座敷で飲んでいる。
そこへ梅が
『殿さま、お客様が訪ねて来られてますが……』
『おいらを?名はなんと?』
『上杉信三様です』
『何やら、お見かけしたことがあるような……よく思い出せませんが…』
『うえすぎ……しんぞう…?』
『あまり覚えが無いが、お通ししてみてくれ』
 
『お見えです』と襖の外。
『ああ、お通ししろ』
梅が襖を開ける。
と、一人の浪人が平伏している。
勝之助
『まっ、入られよ』
『かたじけない』
浪人、襖の前に端座する。
「面をあげられよ」
 
『おや、そこもとは、いつぞや祠の前の路上で…』
『その節は、誠に申し訳もござりませぬ』
その折、剣技において劣り、それにもまして人間的に自分が卑小に感じられ、涙が止まらなかったという。
その後、勝之助の噂を聞くにつれ、ますます自分がいやになり、一時は自害も考えたらしい。
その後、禅寺に籠り座禅を組むうちに、勝之助へ、見栄も外聞もかなぐり捨て、弟子入りする覚悟を決めたという。
 
『おいらは剣術道場をやってるわけじゃねぇよ』
『勿論、存じ上げております』
人間として、弟子入りしたいらしい。
さらに、子分でも……と、
勝之助ほとほと困った。
聞いていた竹蔵、
『だんな、よろしいのでは?』と言う。
勝之助、上杉なる男を、じっと見つめる。
暫しの間の後
『あい、分かった』
 
上杉信三、『ははっ』
平伏する。
 
それから、数ヶ月。
上杉は、勝之助のはからいで、豪商堺屋の用心棒を兼ねた雑事を受け持っている。
余談であるが、この上杉、めっぽう達筆であり、学もあるという。
自然、堺屋主人の祐筆を務めるようになり、公文書の起草すらするようになっているという。
堺屋からは、この上ない方を紹介していただいたと、勝之助、大いに感謝されている。
聞けば、上杉は貧乏旗本の三男坊であったらしいが、無頼が過ぎて勘当され、あぶれ者のような生活を続けていたという。
『分からぬものだな竹蔵』
『拙者には分かっておりました』
『こやつ、言いおるわ』
『だんな、これでまた仕事がやり易くなりますな』
『うむ』
勝之助、腕組みをし黙考する。
 
竹蔵を通じて、将軍より勝之助に指示されることは、次第に難しいものになっている。
最初のうちこそ、幕閣の加工されたものではなく、良くも悪くも世情をそのままに報告するようなものだったが、それが次第に、『何とかならぬのか』になり、今では『何とか致せ』に変わってきている。
 
この時代日本は、今でいう社会主義国であり、当然のように官僚が賄賂により政治を壟断するようになる。
そうなれば、正義も何もあったものでは無い。
政治の中枢で正論など言おうものなら、失墜は目に見えている。
幕閣であり政治の中枢にいる勝之助の父、井坂直弼も頭をかかえるところである。
直弼、大器量の男でじたばたしない。
決して性急な手は打たず、じっと耐える。
葦の生えるだけの湿地帯であった関東の地を、日本一の城下町に作り上げた家康を思うのである。
『わしは権現様にくらぶれば、まだまだじゃ』が口癖である。
そんな直弼を、将軍は目にかけた。
将軍、直弼には多くを語らなかったが、『お主の次男坊に会ってみたい』
「な、何と仰せで・・・」
「直弼、ちと耳が遠なったか、ははは・・・」
 
 
 
 


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