わが青春想い出の記 14 東京へ発っ前日

 東京へ旅立つ日の前日、自分は2人のために時間を作った。10時に行くと言っておいたが、落ち着かないので9時に洋子の家に着いた。兄夫婦、それに母親も用事があるとかで既に外出しており、洋子だけが部屋で待っていた。
 洋子は、いつもの洋子とは違い、今まで一度も見せたことのない淡いピンク色のスーツを着て薄化粧までしていた。今まで何度も見ているが、こんなに美しい洋子を見たことがない。
「今日はまた一段と美しい」。
「お世辞が言えるようになったのね」。
「僕は単純な人間だからお世辞がうまく言えないが、今日は飛びっきり美しい」。
「あーら、お上手ですこと。でも嬉しいわ。当分、2人は逢えないと思いますし、出来るだけ美しい気持の、いい思い出を残しておきたいと思いまして・・・」と、言った。
それは自分が考えていたものと全く同じであった。

 2人は散歩するのも不快ではなかったが、8月の日中である。散歩するには暑かった。それに同じ日本の領土とは言っても、本土への渡航は外国扱いのため、東京に行くにも予防注射やパスポートの発給申請、それに使う写真なども用意しなければならない。自分は疲れていた。それで2人だけで静かに過ごせるところがいいと思っていた。幸いこの部屋は2人だけである。6ヶ月が過ぎて帰って来たら毎日こうしていられるのだ。そう思いながら2人だけの生活が始まったような錯覚さえしていた。しかし、洋子は接吻以上のものは許そうとはしなかった。自分もそれ以上のものを要求しようとは思わなかった。

 2人はオセロゲームやトランプゲームで時間を過ごしたが、対戦成績では何度やってもオセロでは洋子に勝てなかった。反対にトランプゲームではこちらが勝った。ゲームを楽しみながら
「本当に早く半年立つといいですね」。
「その時、どんなに嬉しいでしよう。その喜びを100倍も200倍にもするために東京へ行くようなものですよ」。
「あなたはそう言いますが、それを信じる人はこの世界中で1人しかいないと思いますわ」。
「その1人に僕は全てを捧げますよ。本当に僕は世界一幸福者だと思っております」。
「世界で2番目でしょう?」。
「それなら1番は誰です?」。
「わからない?。随分と頭の悪い人ねー」。
「あなたのことだと言いたいならそれは2番目かそれ以下だろうよ」。
「嘘、うそ、私の方が一番だわ」。

こんな無邪気な会話も楽しかった。しかし明日旅立つ人が呑気にしてもいられない。晩ご飯は家族揃って食べることに決めてあったので、ご飯前には帰ることにした。
「時々手紙頂戴ね」。
「あなたもね」。
「私、それは書くわ。でも文章が下手だなんて言わないでね」。
「僕だって下手だから。それよりもからだを大事にしてよ」。
「大丈夫。私は恥ずかしいくらい丈夫なの。兄がよく
「お前は病気になっても気がつかないだろう。気がついた頃には治っているだろう」、と言うくらい丈夫なのよ」。
だが、あなたのからだはあなた一人のものではないからな」。
「あなたこそ自分一人のからだと思わないでね」。
「ハイ、ハイ」。
自分は夕刻洋子の家を後にした。


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