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マサの競輪デビュー(仕事編)

泥まみれ汗まみれで、走り、ぶつかり続けたほとんど部活だけの4年間の大学生活を終え、マサが就職したのはテレビの制作会社。
4月1日に入社式を終え、2日から配属されたのはゴールデンタイムのバラエティ番組だった。

週イチの構成会議は12時間以上カンヅメ、収録前は準備で2、3日連続の徹夜は当たり前、編集作業に至っては3、4日ぶっ通しで編集室にこもるという今では信じられないほどの長時間労働。そのほかにロケの仕込みや視聴者対応などで、ほとんど家に帰れない日が続き、初めて休みがもらえたのはゴールデンウィークに入った29日。それも朝方に帰り、翌日は出勤というものだった。
 
学生時代に鍛えた身体の貯金も底をつき始めた半年後、視聴率低迷により番組が(幸運にも?)終了。異動したのは「トゥナイト2」政治、経済、エンタメ、サブカルチャーから性風俗までなんでも取り上げる深夜の情報番組だった。

当時ADだったマサの最初の仕事は、風俗店リポートでの「実験台」風俗嬢の疑似サービスをパンツ一丁で受けるという、なかなかの役回りで、今の時代ならハラスメント案件で一発アウトな仕事だと思われる。
そのほかAV撮影の現場、ストリップ劇場、エロ本の編集部、大人のおもちゃの工場など、ありとあらゆる性風俗の現場を「カントク」がリポートして回る企画コーナーをADとしてお供させてもらった。
 
入社して1年ほど経った頃、そんなカントクのコーナーにマサが企画提案した「飲む!打つ!遊ぶ!両毛線ギャンブルツアー」が採用された。
JR両毛線沿線にあった宇都宮競輪、足利競馬、桐生競艇、伊勢崎オート、前橋競輪、高崎競馬で勝負しつつ、夜は地酒で一杯、そして各地の風俗店を巡るという、なんとも欲まみれの企画だった。
だた、カントクのスケジュールは最大3日しかなく、各場の開催日程が合わず行き先を変更。最終的には、福岡競艇、小倉競輪、飯塚オートを回る「福岡ギャンブルツアー」に企画変更し、ロケの日取りが決定した。
 
初日は福岡競艇。出演者が賭けたり食レポしている間に、マサは隙を見て舟券を購入。最終レースで、こっそり買った3号艇の浜野谷の頭から外枠に流した舟券が万舟になり、カントクに怒られるというハメに…
そして夜は、トゥナイトらしく風俗店へ。行き先は「SMクラブ」で、現場にあった檻の中に常連客の男性が閉じ込められ、女王様に鞭でしばかれまくっている模様をレポート。この時、常連客が出演に応じてくれたこと、そしてマサが「実験台」を卒業していたことで「本当に助かった」と思ったことを鮮明に覚えている。
 
翌日は、飯塚オートへ。当時デビュー間もない浦田が師匠・桝崎と同乗したレースで「さすがにここは師匠の顔を立てるやろ」と都市伝説を信じるかのように桝崎の先着を予想した車券が見事に散ったことだけが記憶に残っている。
 


最終日はドームになって間もない小倉競輪へ。ロケバスが渋滞に阻まれ最終レースぎりぎりの到着となり、カントクからは「おまえ競輪得意なんだろ、当たる車券を教えろ」とかなりの難題が与えられた。まもなく締め切りという中で、並びもわからず、当てずっぽうで教えた車券はもちろん外れ。ギャンブルツアーの締めは残念なものとなってしまった。
 
初めて仕事として競輪、そして公営競技に携わったこの企画。無事に編集を終え、OAし、スタッフによる反省会では、先輩ディレクターからもまずまずの評価を受けて喜んでいたとき「事件」が起こった。
スタッフルームにかかってきた、とある電話。その声の主は、あの福岡のSMクラブの女王様だという。電話を替わると、女王様の名前の表記テロップが間違っていたとのこと。完全にマサのミスで別の場所で取材した人の名前と取り違えていた。
 
あの現場で男性客をののしりながら鞭を打っていた女王様に「ガチギレ」され、電話口で平身低頭して謝り続けたことは今でもテレビマンとして初心に帰る思い出として残っている。「女王様、その節は本当に申し訳ありませんでした」
 
ちなみに、その後も伊勢崎オート、桐生競艇、川崎競馬を回る「ナイターギャンブルツアー」
平和島競艇、大井競馬、花月園競輪を回る「東海道線ギャンブルツアー」をOAしたが、マサを含め、現場のスタッフが楽しんだだけで視聴率は低迷。また、外れ車券の経費がかさみ、第3弾まででこの企画は終了してしまった。

追伸 実は、このVTRの編集作業の中で「RACE1」とテロップ作るべきところを「RECE1」と間違って作ってしまい「お前の出た大学、外国語教育が売りなんちゃうんか」と上司に詰められたという情けない思い出もあります。

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