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マサの競輪デビュー

高校3年生の夏休み。

小学校時代からの腐れ縁の友人が突然、「おう、マサ。高校やめるわ」と言ってきた。
長身でひょろっとした風貌から「サンマ」とのあだ名がついていた同級生。

特に成績が悪いわけでもなく、出席日数が足らないわけでもない。田舎の公立高校だから学費が苦しいわけでもなかったはず。あと半年ばかり通学すれば無事卒業という時期の話だった。

理由を聞くと、
「大学進学するつもりもないし、このまま普通科を卒業しても意味がない」
「いま、プログラミングの勉強をしていて、それに専念したい」と。

当時は、まだ家庭に1台どころか、オフィスにすら標準的には設置されていなかったコンピューター。たしかマイコンと言われていた時代で、記録媒体はフロッピーディスクか下手すりゃ穴の開いたロール紙?ピーピーガラガラと鳴るカセットテープ?は、さすがに古すぎるか。。。

そんな時代に「サンマ」は「ベーシックではなくてパスカルが…」とか、どうのこうのと。

時代を先読みして、新しい技術を身に着ける決断をした「サンマ」
その後のバブルを経て、今やプログラミングの教育を幼少期から。などといわれる時代になったことを思えば先見の明があったのだと思う。

で、その「サンマ」との最後の会話。
「マサ、競輪って知ってるか?これがまためちゃくちゃおもろい。どんなに考えても考えても、その結末が読めんのよ」と。

17、18歳で競輪に興じるのはもちろん法律違反ではあるけど、まあ時効ということで。

当時、プログラミングの手伝いでバイト収入があった「サンマ」は足しげく向日町競輪に通っていたようだ。「今度行こか?」と誘われたが、「いやいやさすがに」と金もなけりゃ、受験を控えて時間もないその時のマサは断った。

「じゃあ、ギャンブルレーサー読んだらええよ」

当時、週刊モーニングで連載されていた競輪漫画。そんなにおもろいならと読み始めたマサは、その独特な世界観にどっぷりはまってしまう。

強い選手が必ず勝つわけではない「展開」の存在。
そして、その「展開」をどちらかというと「どうしようもない客」が考え、
「今だ!」「まだまだここは脚ためて!」「しっかり逃げて、最後は垂れろ!」とか、金網の外からレースの組み立てをプロのアスリートにヤジという名の指示を出す。
さらに、さっきまで「頑張れ!」と言っていたわりには「お前は2着まででええねん」とほかのスポーツでは考えられない独特の応援の仕方をする競輪。

走る選手の人間臭さ、賭ける客の人間臭さ。

ギャンブルレーサーには極端な描写が多かったものの、金を賭ける、金を儲けるという単純な構図を超えた魅力が、全盛期を過ぎた選手を主人公に描かれていた。
当時も今も、勧善懲悪や恋愛もの、スポ根ものといったわかりやすい漫画がはびこる中でマサにとってあまりに衝撃すぎた。

そしてそれを、プログラミングで正確にコンピューターを動かすことを生業にしようとしている「サンマ」がはまっていることも興味深くて。
その後、毎週木曜日の発売日が受験勉強の唯一の息抜きになったといっても過言ではない。

結局、高校時代には向日町に行けなかったマサ。大学は少なくとも競輪場のある地域に行こうと決意し、実際に受験したのは静岡、福井の国立大。そして、公営ギャンブルなら何でもある東京。

それからおよそ1年。いろいろあってなんとか京都を出たマサが競輪場デビューしたのは立川競輪場。まだノミ屋、コーチ屋がうようよいる現場で見た光景は想像以上のものだった。

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