僕が「歴史の最前線」に立ち会えて心からよかったと思える作品5つ
ウサイン・ボルトが100m走の世界記録を出した時、家族ともクラスメイトとも、話題がボルト1色になった。ボルトがゴール後にとった弓を引くようなポーズは誰にでも伝わるバフォーマンスになった。
あれこそまさに「歴史的瞬間に立ち会う」ということなのだと思う。
あの時を知ってる人は皆、口を揃えて「ウサイン・ボルトはとてつもなく速かった」と言うのだろうから。
社会規模でなくても、個人規模で「歴史的瞬間に立ち会う」というのがあるとするならば、それは「人生や価値観を変えるほどの作品に出会った時」だと思う。それがリアルタイム視聴であれば尚更だ。
人生の中で、映画やアニメを「リアルタイムで視聴できてよかった」と心から思える瞬間が、あと何回あるだろう。
今回は、魂が震える瞬間を味わった作品について書いていく。
幼少期はアニメとは習慣であり観せられるものだった。ドラえもんやアンパンマンを流しておけば子供はおとなしくなる。約30分、子供がテレビの前でおとなしくしているということが、大人にとってどれほど安心できて貴重な時間か。
それがいつからか、自分の趣味として能動的にアニメを観るようになった。
自分が観たくて観ていた、初めての作品。
「ガンダムSEED」
確実にこの作品のせいで様々に性癖が歪められた。
傷だらけの美少年が好きになったのは間違いなくガンダムSEEDのせいだし、田中理恵のガチ恋勢のようになってしまい田中理恵出演作品を片っ端から観るようになってしまったし、DESTINYの最終回が受け入れられなくて何度も何度も何度も観返した。
そして、劇場版。そのときの脳直で理性ゼロで書き出した記事がすでにあるので、詳しくは置いておく。
スターウォーズ
「歴史の最前線に立つ」という体験は、本当に得難いものである。例えば、今日発売した週刊マンガ雑誌の新連載が歴史に残る傑作になるかどうか、読む前にはわからないだろう。おもしろいのか、その後おもしろくなるのか、魅力的なのかは読む前にはわからない。その新連載を読まない人だってたくさんいるだろう。
だが、「名作が10年振りに続編公開」ともなると、話が変わってくる。
スターウォーズは親が好きだったから、1~6は一緒になって観ていた。それでも、僕が生まれてからこの世に出たのは1,2,3の三部作。そのうえ、3でさえ僕は自宅のDVDプレイヤーで再生されるものしか観たことがなかった。
それが、10年振りに新作となる「エピソード7」が公開された。
公開日、日付が変わってすぐの深夜の上映会を観に行った。超満員の劇場。平均年齢も高め。
「家で観るもの」「歴史を後追いするもの」であったスターウォーズ。
「遠い昔、遥か彼方の銀河系で」とスクリーンに出て、次の瞬間。
劇場の巨大なスピーカーから鳴り響く『スターウォーズのテーマ』。
僕は号泣していた。あの、「スターウォーズ」を、リアルタイムで観ているというその事実。耐えきれなかった。あの時に自分の中に溢れた感動は忘れられない。エピソード8,9でも全く同じタイミングでボロボロ泣いた。本編ではピクリとも来なかったが。
けいおん!!
僕は2期の放送が始まってから1期を観たので、表記も「けいおん!!」と2期に準拠している。
周りの友人たちと一緒になって、大盛り上がりした記憶が僕の中でとても輝いているのがこの「けいおん!!」という作品だ。「ぼっち・ざ・ろっく!!」の対極にいるコミュ力おばけの主人公がたくさんの友達に囲まれている学園日常系音楽アニメの帝王。
クラスも一緒になったことないような同級生とさえおしゃべりのきっかけになったほどにコミュニケーションツールだった。
この作品で「コラボグッズがコンビニで発売されるから早起きして買い物に行く」とか、当時の2ちゃんねるのまとめサイトを毎週見てネットの反応をチェックして見知らぬ誰かも一緒に盛り上がっていることに心躍らせたりと、オタクっぽいことを初めて経験したのが「けいおん!!」きっかけだったと思う。
その毎週の放送に盛り上がったこともそうだし、劇場版を公開初日1回目の上映を観たときが「けいおん!!」で味わったハイライトだと思う。
テンションが上がりすぎて上映前に隣に座っていた知らない人に「いやぁ楽しみですね!」と話しかけて「え……あ……はぁ……」とドン引きされ若干の気まずさを左肩に感じながら2時間後にボロボロ泣いていたあの日の事は一生忘れられないと思う。
「けいおん!!」という作品がこの世に残したものは大きい。
wikipediaに「批評」の項目がある時点で世間に様々な意見が溢れたことが想像できる。
僕は間違いなく「けいおん!!」という作品に青春を投影して心が震えていたし、その時間を周りの友人と共有して充実を得ていたし、大ムーブメントを起こした偉大な作品をリアルタイムで視聴していた、というのが財産になっていると思う。
例えばそう、朝食でトーストを食べるならばイチゴジャムを塗ってしまうくらいには。
新世紀エヴァンゲリオン
僕にとってエヴァはケーブルテレビのCMでたまに見かける程度のアニメだった。
物心ついたころには旧劇場版まで終わっていたのだから仕方がない。
「新劇場版・序」が公開した時でさえ、僕はアニメに触れるような習慣がなかった。アニメや漫画は「家庭に視聴可能な環境があるか」に大きく左右されると思うのだ。そういう点でいえば、僕が生まれ育った家庭は強烈にアニメや漫画が好きな家、というわけではなかったと思う。
12歳ごろから深夜アニメを録画して観るようになっていた僕の日課は、新聞のテレビ欄を片っ端からチェックすることだった。「新番組」のマークがついたアニメっぽいタイトルは片っ端から録画して、メモして、毎週録画して、毎朝5時に起きて視聴していた。
そういう生活の中で、14歳になったとき深夜に「新世紀エヴァンゲリオン」の文字列を見つけた。一挙放送という名目で、1日に4話ずつ、1週間で全話放送するという機会だった。
録画しておいて、観て、度肝を抜かれた。
主人公はなよなよしている。別にそれは不思議なことではなかった。アムロ・レイやキラ・ヤマトだってなよなよしていたし、途中でがんばるようになるだろうと無意識に思い込んでいた。
そして、最後までなよなよし続けていたのだ。
そして、時折訪れるコミカルなやりとりと常についてまわる暗さ。謎が解明されないまま進み、最後まで何もわからない様子。
同い年の登場人物たちがめちゃくちゃになっていくストーリー。
観たくないのに、観てしまう。続きが気になって仕方がない。
この時に全話観て以来、僕は一度もエヴァのテレビシリーズを観返していない。14歳の自分が感じた衝撃を上書きしたくなくて、なんとなく敬遠してしまっている。
僕は「新劇場版ヱヴァンゲリヲン・Q」がエヴァの歴史の最前線に立ち会った瞬間だったといえる。
作中のシンジが「鈴原トウジ」と書かれているのを見つけた瞬間、僕もまったく同じように鳥肌が立ったし、大きくえぐられた地面が映った瞬間の絶望感たるや。
「これがエヴァか」と、劇場で知らない間に全身に力をいれて観ていた。
そして、「シン・エヴァ」によって「完結」を迎えることができたこと。これほど幸せなことがあるだろうか。
僕たちは、ひとつの作品がきちんと終わりを迎えることを当たりまえに感じてしまっているかもしれない。
アニメや漫画にたくさん触れていくにつれて、「涼宮ハルヒの憂鬱」や「ドリフターズ」(僕はほとんど読んでいないがテンプレとしてよく言われる「HUNTER×HUNTER」など)といった、どんなに人気でも完結していない作品は枚挙にいとまがない。
エヴァだって完結しない可能性は十分にあったと思う。
そのうえでなお、待ち望んでいた人たちのところに完結編が届くという事実そのものに感謝をしたい。
「物語の始まりと終わり」に立ち会えることは、とても幸福なことなのだ。
コードギアス 反逆のルルーシュ
最後は、『コードギアス 反逆のルルーシュ』の話をしよう。
この「歴史の最前線」というテーマで記事を書こうと思ったのはつい最近「コードギアス」を観直したからだ。
中学生の時。
ORANGE RANGEの「O2」という曲を聴いたとき、とてもいい歌詞だと感じた。当時ハマって読んでいたCLAMPのマンガ「ツバサ」のサクラと小狼の関係性がそのまま歌われているような気がして、胸が締め付けられるようだった。
そして間もなく、そのCLAMPがキャラデザをしている「コードギアス」というアニメの主題歌だということも知った。
どうしてもこのアニメが観てみたくなり、そのために親に同意書を書いてもらってTSUTAYAのTカードを作った。
まずタイトルが良い。
「コードギアス」というよくわからないけど心くすぐられる響きに「反逆のルルーシュ」というわかりやすいテーマ。
主題歌が魅力的なことはすでに知っていたのだから、あとはもう期待に身を任せて視聴するだけ。
そして、度肝を抜かれた。
1話だけで、OP映像から察するにどう見てもメインヒロインの美少女が撃ち殺されるわ、襲ってきた兵士を皆殺しにするわ、主題歌良すぎるわ、もう軽くパニックになった。
1期25話、2期25話の50話を観終わったとき、言いようのない気持ちが溢れた。
「終わってしまった」という切なさ、すべてがひとつに束ねられたような完結の心地よさが一緒にやってきたような感覚。
最終話を観た後で1話のサブタイトルを観るとゾクゾクする。
「魔神 が 生まれた 日」
きちんとつくられ、きちんと終わった作品で、「続編があるなら欲しいがないなら無いで良い」となるような、納得のいく作品だった。
コードギアスについてはまた別途で記事を書きたい。
僕は「R2」をリアルタイムで視聴していたので、その時点ですでに「歴史の最前線」にいたと思う。
だが、その実感がなかった。周りにほとんど「コードギアス」を観ていた友人がいなかった。
成長するにつれ、コードギアスが世界にどれくらい浸透しているかを肌で感じるようになる。インターネットにどっぷり浸かったからだ。
その状態で「復活のルルーシュ」の公開があった。
もう、ワケわかんなくなるほど震えた。
「当時あんなに好きだった作品」の新作が出たことで「同志」の存在を飽和するほど認識できた。
願いとはギアスに似ているのかもしれない。
終わりに
いま、僕の少し上の世代が社会で力を付け始め、「平成」を感じる企画が多発している。きっと、僕らの世代でも同じことが起こるのだと思う。
そのたびに「歴史の最前線」が更新され、僕は幸福な気持ちになれるのだと思うのだ。
「あのころ好きだったもの」を「いまのもの」として話せることは、幸福極まりないのだから。
もしよかったら、皆さんの「立ち会えてよかった瞬間」を教えてほしい。
これからもそういう素敵なサブカル体験と出会える人がたくさん増えますように。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
今後も僕が観てきた博物館や史跡、映画や漫画や本などのレポやエッセイ、その他をnoteで発信していきます。
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