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「悪の花」ネタバレ感想①

*この記事は韓国ドラマ「悪の花」についてネタバレしています。未見の方はここから先はお読みにならないことをお勧めします。ブルーレイは2021年12月3日に第1集が発売され、レンタルも開始します。第2集は12月24日発売です。https://www.cinemart.co.jp/dc/k/akunohana/
2022年12月追記:
 2022年12月25日よりNetflixで配信が始まります。

【「悪の花」は全16話です。文中の話数はこのオリジナル版に準拠します。もっと細かく分けたりカットした配信や放映を見た方は、是非オリジナルの16話バージョンもご覧ください!】

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「アーモンド」という小説がある。2019年度本屋大賞の翻訳部門賞を受賞した傑作だ。主人公の少年ユンジェは生まれつき脳の扁桃体が小さく、怒りや悲しみ、恐怖を感じることができない。目の前で家族が殺されても表情ひとつ変えないが、その実、心の深いところに傷を負っている。
「悪の花」を見る少し前にこの小説を読んだ。というか、イ・ジュンギが感情を持たないサイコパスの役をやるらしい!?という情報がネットを駆け巡り、どんなドラマになるのだろうと興味津々だったところに、たまたま新聞の書評でこの小説を知り、読んでみようと思ったのだった。
もちろん、「悪の花」の主人公ペク・ヒソン/ト・ヒョンスとユンジェは全然違う。ユンジェは文字通り感情を持っていないので、いつ笑い、いつ怒り、いつ泣いたらいいのか分からない。ヒョンスも一見、似ているが、実は彼には少なからず感情があることがドラマの中で明らかにされていく。

それでも読んでよかった。特にそう思ったのは、感情を持たないユンジェも恋に落ちるという点だ。
ユンジェはある少女に恋をするが、自分に何が起きたのかを理解できない。たまたま近くに彼の特性を理解している保護者的存在の人がいて、それは恋だと教えてくれる。
ヒョンスにはそういう人が側にいなかった。だから、ジウォンに惹かれていく自分に彼は気づくことができない。でも、彼女から突然のキスを受けて、父の亡霊に去ってほしい、自分はここにいたい、と願ったとき、たしかに彼はどうしようもなく彼女に恋していた。

「悪の花」は2020年7月29日から韓国のケーブル局tvNで水曜と木曜の夜10時50分から放映された。平日の遅い時間ということで視聴率はあまり伸びなかったが、それでも最終回の第16話まで右肩上がりだった。目の高い韓国のドラマファンから高い評価を得て、今年の百草芸術大賞では作品賞、脚本賞(ユ・ジュンヒ)、演出賞(キム・チョルギュ)、主演男優賞(イ・ジュンギ)、助演男優賞(キム・ジフン)の5部門でノミネートされ、演出賞を受賞した。

私は本放送をネットで見て大感動し、今年1月のMnetの日本初放送、8月のWOWOWの放送、9月に出た韓国版ブルーレイを見た。

第1話の冒頭は象徴的だ。
男が一人、水中に沈められ、もがいている。手足を縛られ、脱出することはできない。序盤のクライマックスである第5話の先取りだが、連続殺人犯の父、村からの逃亡、身分詐称、そんなものすべてにがんじがらめに縛られた男 ― ヒョンス ― を比喩的に表しているようだ。そんな彼を救いに来るジウォンはさながら天使だ。

ヒョンスは元々大人しい少年だった。彼には10歳以前の記憶がない。記憶喪失に父が関わっていたのかどうかは分からないが、それほどの強烈な体験を経た後も、母の失踪、父の事件の発覚、それに続くいじめや村八分など、彼の少年時代は過酷だった。そして、殺人鬼の父に似ていると言われたことなどから、ヒョンスは自分について誤解している。

彼は、
自分は人が殺せると思っている。
自分は笑うことも泣くこともできないと思っている。
自分には人を愛することができないと思っている。

でも実際は
ヒョンスは人を殺すことができない。
笑うことも、泣くこともできる。
そして人を深く愛することができる。

連続殺人犯ト・ミンソクの息子であり、父によく似ている(と言われる)自分は人を殺すことができる、とヒョンス思っている。
だから、ナム・スンギルに反撃してナイフを突きつけた。眼前に現れた父の亡霊に怯んで切っ先を外してしまうが。
ムジンに睡眠薬を飲ませて殺害しようとした。抵抗され、彼を生かして利用する案に切り替えるが。
パク・ギョンチュンの点滴に薬物を仕込もうとした。が、これまたぎりぎりに実行せず、別の案に変更する。生かしておいた方が院長も喜ぶだろうと信じて。
結局、ヒョンスは殺さない。ちゃんとした理由があって殺さないのだと本人は思っているが、彼には人は殺せないのだ。

自分は笑うことも泣くこともできない、とヒョンスは思っている。
だから、ネットで笑い方や泣き方の動画を見て練習を怠らない。
実際は、ジウォンとの初デートで彼女の笑顔に見とれて微笑み、自宅の屋上で愛娘のウナとお茶を飲みながら無意識に笑顔になっている。
泣くことのハードルはもっと高かったが、第11話で、初めて泣く赤ん坊のように、ヒョンスが声を絞り出して泣くくだりは、「悪の花」全編を通して最も心揺さぶられる場面のひとつだ。

自分には人を愛する感情が分からない、とヒョンス思っている。
だから、ジウォンは彼にとって父の亡霊を寄せ付けないために「必要」な女であり、それ以上ではないと思っている。村から逃げても、身分を変えても追ってくる父の亡霊…。ヒョンス自身が父に捉われてしまっていたから見えていたのだが、その父が姿を消したのは、ヒョンスの関心がジウォンに移ったからに他ならない。
「ジウォンは自分が見たものだけを信じる。だから俺は彼女の見たいものだけを見せます」と第1話でヒョンスは院長夫妻に言うけれど、それは言い換えれば、「好きな人が喜ぶことをする」という、恋に落ちた人間なら誰でもやることではないか。
あれこれ理由はつけてはいても、ヒョンスはジウォンをこよなく愛しているのだ。見ていれば良くわかる。

彼はその愛を自覚していないので、彼のジウォンに対する想いは無私の愛、無償の愛の様相を強くする。彼の愛は見返りを求めていない。だって本人は愛していると思っていないのだから。「悪の花」のヒョンスの想いや行動が見る人の心を打つのはここにあると思う。

子どもの頃、近所の家の犬を井戸に投げ込んだことを児童福祉士に問いただされ、少年ヒョンスは飼い主に対する怒りをぶちまける。ここからは想像だが、その隣人が失礼だったのは母か姉に対してではないだろうか?「ヒョンスに何かすると必ず復讐された」、とムジンは述懐するが、これも、愛する存在、ヘスや母に代わって復讐した可能性がある。第2話でスヒャンのお人形を捨てたように。
彼は恐らく自分自身のことについてはあまり怒らなかったのではないか。自分を酷くいじめたムジンには監禁中に仕返ししたけれど。彼が本気で怒るのは愛する者を傷つけられたときだと思う。

ヒョンスは、
人を殺せると思っているが、実は殺せない。
笑えるとは思っていないが、実は笑うことができる。
愛せるとは思っていないが、実は愛することができる。

人は誰でも程度の違いはあれ、似たような経験があるのではないだろうか。
自分は冷たい人間だと思ってたら他人はそうは思っていなかったとか、
人前では喋れないと思っていたけど、意外と喋れた。等々。
友達を作るなんて考えも及ばなかった「アーモンド」のユンジェにもゴニという友人がでできた。

主人公の自分についての思い込み、誤解。それが解消されるカタルシスが「悪の花」にはある。第11話で、「貴方は暖かい人よ」というジウォンを、濡れた瞳で見つめるヒョンスは無防備で切ない。そして最終話、彼はジウォンと初デートした街角に戻り、初めて彼女を愛しく想ったときの暖かさをおぼろげに思い出す。このときの彼の得も言われぬ表情は、ドラマの中で最も印象的だ。




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