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チャンコロで一家全滅していた件について

 いやー長かった。
 今日でようやく相方と子の自宅療養期間が明ける。
 私は約一週間早くかかって先に娑婆に出ていたわけだが、幸運にも症状が軽く、発熱もなく最初の数日に喉痛と咳、鼻水があったくらいで、他の家族も軽かったので、それだけに十日間は長かった。
 療養期間が重なって家族誰も出られなかったときには、市に申請して食料を貰った。ありがとう。母や姉にも色々届けてもらったりした。ありがとう。
 軽症で済んだのは回数を重ねる毎に副反応が重くなっていったワクワクチンチンのお陰ですありがとう。
 君のお陰なんだよね? 私を毎回発熱と悪寒でフルボッコにしていたのはいざモノホンにかかったときの症状を抑えてくれるためだったんだよね?
 そう思わないと自ら苦痛を浴びにいったただのドMになってしまうのでワクチンチンのお陰だと思いたい、切実に。
 私はワクチンが嫌だった。1回目は何ともなかったが、2回目は発熱、3回目はめちゃくちゃ具合の悪い発熱と副反応がだんだん重くなっていたため、陽性になる少し前、4回目ワクチンのお知らせが来ていて、いやだよお〜〜〜もう打ちたくないよお〜〜〜と両腕を回転させて走り出したい程度には嫌だった。
 そんな折に満を持してのモノホン感染で、症状が軽かったことも幸運だったし、そしてめちゃくちゃ嫌だった4回目ワクワクチンを打たずに済んだことも、私の中で結構幸運だった。
 ん? 別に打たずに済んだとかいうわけじゃないのか。隔離期間が終わったら普通に打てるのか。いやだよお〜〜〜〜!(両腕回転)

 とりあえず我が家一家全滅の経緯をお話すると、それはまず誤解から始まった。
 子が保育園の同じクラスに陽性の子が出たとのことで濃厚接触者候補になり、その二日後に私が発症。
 子は超絶元気だったので、これは確実に無症状の子から私に感染ったのですね!? と何の疑いもなく思い込んでいたため、すでに陽性であろう子への接触はまったく遠慮していなかった。まあ、そうでなくても1歳半の子は自分ではまだ何もできないのでお世話はしなくちゃいけないし、もう一家全滅は避けられない運命だったようにも思う。
 一応生活空間は極力分けていたけれど、子がいる以上正直そんなもんあってないようなものである。
 しかし相方も変わらず何の症状もなく、無症状の陽性かと思われた。一応PCRを受けてみると、なんと陰性。
 マジで!? すごいね!? つよーい! などとおだてて本人も得意げになっていたその翌朝、喉痛で目が覚めた相方。再びPCRを受けてみると今度は陽性。ぬか喜びとはこのことである。
 そして同日、子が発熱し、やはり陽性に。
 え!? 君はすでに無症状の陽性だったのでは……!? と驚いていると、お医者さんによれば、子どもはかかればほとんど症状が出る。なので、子どもはそもそも陰性だった。まず、私がどこかでかかって、家に持ち込んだのが最初だろうと。
 私……? 私が最初……? 私が病原体……? 私がバイキ○マン……?
 なんということでしょう。つまり私が陽性判明した時点でどこかに一人で引きこもっていれば家族は無事だったのか。
 しかし私が陽性になった直後、紙メンタルの相方がストレスのためか(なぜお前がストレスを覚えるのか)子どもの頃の夢遊病を再び発症するという地獄だったので、まったく頼りにできず、やはりどこかへ行くことはできなかった。
 こうして我が家は全滅したのだった。ー完ー

 相方と子は初日だけ発熱、あとは咳と喉痛で、それもすぐに治ったため、幸運にも皆軽症で済んだのだが、そうなると十日間が長過ぎた。
 大人だけでこもっているならまだしも、エネルギーの塊である子どもがいる。我々に自由な時間などない。保育園様のありがたみがわかる。
 これがなかなかしんどくて、そしてメンタル紙の相方もやはり長くこもっていなければならない状況に精神が病み始めた。そもそも自分が陽性になる前からなぜか病んでいたわけだが。
 そんな中でも遊びの天才である子どもは色々と楽しみを開発する。その辺にある大人の持ち物をかぶったり腕にはめたり色々とコーディネイトして、3LDKのランウェイを練り歩くのである。

カッコイイマスクのつけ方

 とまあ、なんだかんだでようやく自由の身。
 世間ではまだまだ重症化したり亡くなる方もおられる中、症状も軽く後遺症も今のところない私たちは本当に運がよかったと思う。
 周りでも地味にチャンコロ経験者の友人知人が増えていて、幸い皆同じように軽症なのだけれど、未だ意味のわからない不気味なこの病原体の正体が明らかになるのは、もう少し先なのだろうか。
 とりあえず、切実にもうワクワクチンチン受けたくない。特効薬早くできますように。
 っていうかさっさと治まってよチャンコロのばか!もう知らない!
 皆様、どうぞご自愛くださいませ。