私のエフゲニア・メドベージェワ

 本当はTwitterで呟こうとしていたのだけれど、長くなってしまったのでざっとnoteに書こうと思う。とりとめもない文章です。

 ロシアカップファイナル優勝の後の彼女のインタビューを訳してくださった記事を読んだ。
 彼女は自分は今シーズン10年分くらい大人になった、と言っている。
 10年分くらい大人になった……確かにそうだと思った。
 彼女を初めて知ったのは母親の一言からだ。
「ねえ見た? ロシアの子。日本のカメラですかって聞いて、セーラームーンなんか歌っちゃって。子どもだねえ。なんて可愛いの」
 華奢な少女の体に、大きな瞳と愛くるしい笑顔。その頃はかつてロシアでセーラームーンが大流行していたと知らなかったので、随分アニメ好きなんだなあと驚いた。日本人を喜ばせようという気持ちか、好きなことを語りたいという欲求か、どちらにしろその無邪気さにこちらも自然と笑顔になり、私は彼女をひと目見て大好きになった。

 彼女はそれから無敵の無敗で絶対女王になる。まるで遊ぶようにバンバン高得点を出し、すごい点数が出ているのに子どものようにキャッキャと喜んで、好きなことを億面もなく好きと言い、好きな人に対しては好意を隠さない……。
 そんな天真爛漫なのに最強な彼女が可愛くて、なんて明るくて真っ直ぐな子なんだろうと微笑ましく思っていた。
 私の今までのロシア人のイメージと言えば、笑わずにクールで、あまりお喋りもせず、けれど自分の意見ははっきりと言う、というような硬質なものだ。有り体に言えばとっつきにくい。親しみやすさとは対極の印象があった。
 彼女は私のそのロシア人像からは大きく外れていて、他の国のスケーターを見ても、こんなに陽気で正直な子がいるだろうかと思うくらいだ。
 彼女の快進撃は気持ちがよかった。次第に彼女が勝つのは当たり前、転ばないのも当然、と思うくらいになっていた。

 けれど、彼女もいつまでも無邪気な子ども時代ではいられない。
 新しい世代の台頭、怪我、そしてロシアとして五輪に出られない状況になり、IOCでロシアを代表し怪我をしている身でスピーチをした。
 絶対女王としての誇り、そして国を背負う重責。
 平昌のフリースケーティングではフィギュアスケートを見てこんなに泣いたことがあっただろうかと思うくらい、泣いた。そのとき、私はいつの間に彼女をこんなに好きになっていたんだろうと驚いた。
 初めて彼女を実際に見たロステレコム杯では、機械のような膝の形、正確な演技、珍しくジャンプで転倒したことなどが印象的で、ただ他の選手と同じように応援していた。彼女に好感を覚えていたとはいえ、自分が彼女の特別なファンだと思ったことはなかったのだ。多分、勝つということが当たり前になり過ぎていたからかもしれない。
 けれど、平昌では勝って欲しいと心から祈った。アンナ・カレーニナの美しく悲劇的な演技に呑み込まれ、彼女の強い想いを感じ、彼女と共に泣いた。けれど、願いは叶わなかった。
 四年に一度のスポーツ界最大の祭典。
 時の勢いに乗り風が吹く人。自ら風を操り、吹かせる人。
 彼女に風は吹かなかった。けれど、渾身の力で、魂をふりしぼって、勝利を掴みたいとやり切った。

 それから、彼女の波乱に満ちたドラマが始まった。
 五輪後の新シーズン、大きく環境を変えすべてのことにおいて変化が生まれた。当然しばらくは噛み合わず、これまでとは打って変わって辛酸を嘗める状況の連続だった。
 また一方で印象的なのは、彼女のファンにたいする感謝の言葉だ。
 これまで天衣無縫でひたすら快進撃を続けていた彼女には、きっと前しか見えていなかった。けれど、五輪後の大きな変化と無視できないほどのバッシングの中、初めて彼女は立ち止まって、周りにいるファンの存在を認識したのではないか、と想像する。
 もちろん、これまでもファンには感謝と気遣いを見せていただろう。私は以前も今も表面的な情報しか追えていないけれど、今シーズンはその中でもファンに言及する彼女の姿が多く見られている気がする。
 逆境に陥ったとき、これまで当たり前だったぬくもりが消え去ってしまうことは珍しくない。昨日まで笑顔で褒め称えてくれていた人たちが、突然氷のように冷たくなって残酷な言葉を投げつける。
 彼女もこれまでは想像もつかなかった、夥しい中傷に晒されたことだろう。困難な状況になって初めて、自分を包んでいるものの優しさ、温かさを感じたのではないだろうか。それは新たな気づきと、大きな力になったのに違いない。

 今シーズン不振だった彼女の演技で覚えているのは、GPSフランス杯でのフリースケーティング。緊張で体が固くなって、転びそうになってもバタバタと手脚を動かし、必死で転ぶまいともがいていたのが強く心に残っていて、あれが今の彼女なんだろうと思った。
 もがいているんだ。どうにかして前に進もうと苦しんでいる。殻を破ろうと一心不乱に踊っている。それがどんなに不格好に見えたとしても。
 その姿を見て、どうか報われて欲しいと願った。それがいつになっても構わないから、いつかまた以前のように、無邪気な表情で笑えるようにと。

 そして、ロシアカップファイナルでの優勝。
 ようやく立てた表彰台の中央。彼女の定位置だった、最も高い場所。
 花冠を戴き、弾けるように大きく口を開けて笑う彼女。辛い時期が続いたというのに、そんな陰などどこにも見えない、かつてと同じ、何も隠すことのない、輝くような笑顔。
 恐れを知らず勝ち続けた少女時代。訪れた試練に、大好きなスケートを続けたいからとあまりにも大きな決断をして環境を変えた、その心の強さ、ひたむきさ。
 ひとつ山を越え何か振り切ったような表情をしているのが心に残る。
 10年分くらい大人になった。その通りなのだろう。
 無邪気だった子どもから、様々な経験を得て、強くしなやかな大人の女性になろうとしている。
 恐れを知らないがゆえの強さではなく、恐れを知ったからこその強さ。この一年という短い期間で、彼女はまたひとつ新たなステージへと進んだのだろう。

 私はただ見守り応援する。勝って欲しいと願い続ける。
 最初にひと目見て大好きになった、あなたの笑顔を見続けたいと思うから。