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すてきな魔法

 もうすぐ2018年が終わる。
 我が推しは激動の1年だった。怪我の苦しみから始まり、一転して2月の歓喜に湧き、しみじみと幸福に浸った美しい4月、そして新シーズン。新衣装に新プログラムに盛り上がり、再びの怪我で祈る日々の現在まで、今年も羽生ジェットコースターは健在だ。

 そんな言葉があると知ったのはもちろんファンになってからだけれど、そう呼びたくなるのもわかる。ジェットコースター以上にふさわしい表現が見つからない。
 ウッカリ乗り込んだが最後、ギュンギュンと回転したり容赦ない高速で上がったり下がったり、それはもうデンジャラスな乗り物だというのに、乗客はみんな目を白黒させつつ最終的に幸せそうな顔で号泣しており誰も降りようとしない。なんとも恐ろしい魔性のアトラクションなのだ。降りろって言われたって降りないわよ!

 それにしてもオールバックでスコンと落ちたのがついこの前のような気がするのに、激しく一喜一憂している内に時間は爆走してあっという間に過ぎてゆく。
 そう、ぼけっとしていては記憶もすぐに飛んでいってしまうのだ。自分の脳みそほど信用できないものはない。何なら昨夜の夕飯の献立も怪しい。
 これまでレポという形で残してきたにせよ、やはり描ききれないことも多かった。羽生結弦に落ちた後の初めてづくしの思い出を、平成最後の年が終わる前に、ダラダラと振り返って記録に残しておこうと思う。

 ところで、私はいつも初めてのことをする前に心がけていることがある。
 それは期待しすぎないことだ。
 私は想像力が無駄に逞しい。いつも何か楽しみなことがあると、そこへ行く前に、見る前にあらゆる想像をして一人で盛り上がってしまい、実際目にしたとき、「何だこんなものか」と勝手にがっかりしてしまう。子どもの頃からそうだった。向こうからすれば迷惑千万である。
 これまで三次元に夢中になったことがなかったのもそのせいかもしれない。だから正直、羽生くんにハマったとはいえ、そう長く熱が続くとも思っていなかった。
 けれどその予想は外れた。私の想像力など羽生結弦という歩く少年漫画に比べればミジンコ同然なのだから当たり前だ。選ばれた人間というのは存在するのだと、彼に落ちてしみじみと思い知った。

 初めて羽生くんを生で見たのはFantasy on Iceである。
 ほんの少し前のように思うけれど、去年5月にアイスショーを初鑑賞してからすでに一年半が経った。早い、早すぎる。
 アイスショーがいくらするのかも知らなかったしどこでチケットを買えばいいのかもわからなかった。幸運にもフォロワーさんに余剰のものを譲っていただけたので、苦労することなく私は幕張初日に参加することができた。
 なるほど、アイスショーなかなかお高い。これは最初から最後まで堪能しまくらなければならないとチケットを握りしめる貧乏性の私。
 フィギュアはよくファンの年齢層が高いと言われるけれど、実際足を運ぶ人々がそうなるのは自然だ。だって高いんだもの。子どもの姿も目立つ野球場の観戦料などとはケタが違う。これも時代が変われば変わっていくんだろうか。

 何はともあれ推しに会える。ファンになって初めての一大イベントだ。
 ワックワクで会場入りし、初めて目にしたショー用のアイスリンクは、思ったよりも小さかった。試合のものよりも少し狭いらしい。サイズが違うなんて初めて知った。
 そして会場の室温も、リンクがあるのだから寒いだろうと思っていたらそうでもなく、人の熱気で却って暑いくらいだ。リンク溶けちゃわない? 大丈夫?
 これも後で知ることになるが、競技用リンクの場合は温度設定がもっと低いそうである。
 なるほど、アイスショーと競技では色々違うのね。少しずつ学んでゆくオールバック落ち。自力でハイハイできる程度には成長してきた気がする。

 さていよいよショーが開幕し、次々に現れるテレビでしか見たことのないスケーターたち。
 さすがに興奮した。実際見ると色々違う。あっ、まりんちゃんだ、ミキティだ、しょまだ、プル様だ……羽生くんはいつだろう?
 目視で認識する前に、場内のどよめきと怒涛の歓声で、私は主役の登場を知った。
 颯爽と現れた推し。同時に会場が割れるんじゃないかと思うほどの歓声に思わずドゥフッと笑いがこぼれた。
 すっごい人気だ。知ってた。でもこんなすっごいんだ。
 あのものすごい熱狂に包まれた記憶は未だに鮮烈である。彼の人気を肌で感じた初めての経験。人の声はたくさん集まると建物が揺れるんだと知った。

 推しはキラキラしていた。ゴールドのジャケットのせいじゃなくて存在自体が輝いていた。
 しかし驚いたのは推しが想像よりも大きかったことだ。周りのスケーターが小さかったせいかもしれない。ティッシュの精(薄くてヒラヒラしているの意)のように違いないと思い込んでいたので、実際のサイズ感は少なからず衝撃だった。
 羽生くん、とてもがっしりしている。逞しい。ティッシュどころか防弾ガラスくらいの強度は余裕でありそうだ。半透明の儚い存在感を思い浮かべていたので、これは大きな驚きだった。
 しかしそれでいて首は細長く頭は小さく、手足も長く華奢である。それなのになぜ大きく見えるのか。そこそこ高い身長ももちろんだが、もうひとつの理由は多分周りの誰よりもめちゃくちゃ激しく動いているからだ。一人で可動域が大きい。目立つ。そこまでしなくても……と思うほど全力で汗だくになって踊りまくっている。
 最小限の動きでそれなりに見せようなどと考えない。途中でエネルギー切れになっても構うものかというほどの熱血ぶり。
 いや、これ試合じゃないのに。アイスショーなのに。エンターテイメントなのに。
 とにかく何が何でも全力投球。観客を楽しませようとして必死だ。どこにも手を抜かない。
 これが羽生結弦か。率直にそう噛み締めた。

 大興奮のオープニングの後、スケーターの演技が続く。
 それぞれ楽しみながらも、羽生くんが今度出てくるのはいつかな、とだんだんそわそわし始める。隣の同担のマダムなどはゆづが出ないとブツブツ言いながらバッグの中でスマホをいじっている。
 えっ こんなお高いチケットなのに見なくていいんです? と困惑する私。推し以外は見ないのが普通? いやいや他だってそうそうたるメンバーですよ。ていうか高いから見なきゃ損やろ。
 心でツッコミを入れつつ演技に集中する。何しろ初アイスショーなので何一つ見逃したくない。お高いし。
 小悪魔なまりんちゃん。情熱的なミキティ。壮大なプル様。すべての演技が初めて見るものでいちいち感動して拍手する私。引き続きスマホを素早く巧みな指先で操るマダム。
 マジで推し以外の誰も見ていない。な、何で見ないんやこんなすごいのに。お高いチケットなのに。
 モッタイナイ精神に震えていたが、このときの私はまだ知らない。この金銭感覚はすぐにゆるふわなものになることを。見られるものは全部見る鑑賞スタイルは変わらないものの、お値段はフィルタがかかって推しを見られるなら実質タダという思考回路になっていくことを。

 マダムのスマホいじりがようやく止まった。
 最後の最後に、推しが登場したのだ。興奮のあまりアナウンスが何か言っていたけれど聞き取れなかった。マダムは「やっぱりねえ」と頷いている。
 記憶の片隅にあるバラード一番、これをオリンピックシーズンのSPにするという発表だった。
 待ちに待った推しの演技に陶然とする私。
 これまでのスケーターもすごかった。純粋に楽しんでいたし心から拍手をした。
 でもやっぱり推しは違う。美しいピアノの旋律に溶け込むように軽やかに舞い踊る。存在そのものが美。至高。極上の芸術品。
 そう、君だ。君を見たかったんだ。君を見にここまで来たんだ。
 綺麗だ。世界でいちばん綺麗だよ。君をこの氷の世界に閉じ込めて永遠に眺めていたい。
 心の中で口ひげを生やしたおじさんがワイングラスを揺らしながら囁いている。美しい推しを眺めているとき出てくるおじさんだ。ちなみにオールバックのときには名前入りのうちわを握りしめた小太りのオタクが号泣しながら「好きィー!」と叫んでいる。推しの振り幅が大きいのでファンとしてもバリエーションが増えてしまうのは仕方がない。バラ1衣装でクレイジーだったアンコールはおじさんとオタクが2人で抱き合って泣いていた。

 素晴らしかったアイスショー。堪能しまくったFantasy on Ice。初めて見た羽生くん。
 眼球がカラカラに乾く勢いで食い入るように凝視したというのに、会場を出た後、どういうわけか記憶はすぐにふんわりと曖昧になってしまう。
 推しの印象がはっきりと思い描けない。
 あんなにも美しかったのに。あんなにも見とれたのに。
 妖精さんを見たことは記憶から消えてしまうの? 輝く残像だけを残していつの間にか飛び去ってしまったの? ほんとだもん! ほんとにト○ロいたんだもん! ウソじゃないもん!
 この現象は今に至るまで続いている。見たはずなのによく覚えていないので、見る度にその美しさに新鮮な驚きを覚えるのだ。
 写真を撮っても、動画を見ても何かが違う。目の前で動いている羽生くんの美しさは別格だ。きっとそれは記憶に留めておけないがゆえに、刹那のきらめきを増すのだろう。
 彼はやはり『特別』なのだ。

 さて生推しをありがたく拝んだアイスショーに味をしめた私氏、今度はぜひ試合を観たいと急遽ロシア行きを決める。
 アイスショーのチケットの取り方すら満足に知らなかったくせに、突然の海外観戦である。我ながら勇敢だった。
 元々海外旅行は趣味のひとつで、国外に行くこと自体はハードルが低い。ロシアは行ったことがない国だったので、この機会に観光もしたかった。
 何より、推しが今季で引退してしまうという恐れがあった。せっかく沼落ちしたのに、一度も試合を見ずに終わってしまうなんて悲しすぎる。日本の競技チケットを取るのは至難の業だし……と考えあぐねて、ロステレコム杯、君に決めた☆と決断したのだ。
 公式サイトでチケットを買い、アレンジ可能な旅行社に頼んでスケジュールを組んでもらう。
 ここでロシアのチケットの安さに驚いた。いちばん遠い席は何と500円程度だ。小学生のお小遣いで見られるではないか。さすがフィギュア大国。日本もこのくらい見やすければなあと羨ましく思う。

 競技会場のあるモスクワへ行く前に、サンクトペテルブルクで壮麗な建築物をいくつも見て、世界最大の所蔵数を有する美術館を堪能し、日本人の味覚に合うロシア料理を味わい、素晴らしい数日間を過ごした。
 しかし試合の日が近づくにつれ、やはり緊張感がみなぎってくる。テレビで見ていても大変なのに、実際会場にいたらどうなってしまうんだろうか。もういい、怖い、帰りたい、というチキンな衝動に駆られつつ、特急でモスクワへ移動した。
 10月半ば。車窓から見るロシアの風景は紅葉も終わりかけ、黄色い葉をつけた木々がどこか寂しげに並んでいる。広大な空は日本とは違う色合いをしていて、絵画に見るような光の筋が重く垂れ込める雲の合間から神秘的に地上へ降り注いでいる。それすら何やらそら恐ろしく、しかし反対に何か素晴らしいことが起きるのではないかと、相反する希望を抱いたりもした。
 ファン心とロシアの空である。

 モスクワはサンクトペテルブルクに比べるとビジネス都市という印象で、あの美しい街並みからすると率直に言って味気ない。一言で表せば灰色だ。しかも着いて早々にひどい渋滞だった。広い道路は車で埋め尽くされ、何となく気分も塞いだ。
 建物は灰色、空も灰色、ギュッギュと詰まった車の間をデンジャラスな運転でグイグイ進む英語のまったく通じないドライバー、着いたホテルでようやく人心地ついたと思ったら突然部屋に入ってくる謎のおじさん、おじさんへのクレームを無表情で「あれはスタッフ」とだけ言い謝りもしないフロントの頑丈そうなお姉さん。
 サンクトペテルブルク、君は美しかった。不安と期待と寒さに震えながらメガスポルトへ移動する頃、大分心は不穏なモスクワに怯えていた。

 しかしそこでの光景が私の胸を晴らしてくれた。
 公式練習の羽生くんの姿の美しさはレポでも散々触れたが、本当にデリシャスだった。
 あの生き物は何だろう。もう何度書いたかわからないが、性別はにゅうゆづるだ。体のラインをあらわにする黒い練習着で惜しげもなく美しい滑りを披露する推し。ヤバイよヤバイよと心の出川が出張してくる。これまで散々ヤバイという話は見てきたのに、実際に見てみるとその何倍もヤバかった。
 ワガママボディならぬストイックボディだ。元々美しい骨格の上に美しい筋肉がついている。いつまで見ていても飽きない。奇跡の造形としか言いようがない。
 その美しい生き物が更に美しい動きをしている。エルミタージュにもこんな種類の芸術作品はなかった。
 ああ、やっぱりショーと競技は違う。そう思った。練習の時点で研ぎ澄まされた緊張感がある。これは競技でないと味わえないものだ。
 素晴らしく美しい練習風景。これを見られただけでもモスクワに来た甲斐があった。灰色とか言ってごめんモスクワ。好きだよメガスポルト。

 実際の試合はというと、正直本当に記憶がない。
 緊張しすぎて覚えていないのだ。
 会場の空気は羽生結弦一色だった。日本のファンに、中国のファン、その他海外からも来ていただろうし、何より地元ロシアの人々が彼を熱烈に応援していた。みんなこぞって黄色いプーカチューシャをつけ、日の丸の鉢巻を縛り、SEIMEIのコスプレまでして撮影会、まるでお祭り騒ぎである。
 初めての観戦がこのロシアだった私は、彼の人気がここまでワールドワイドだったことに本当に驚いた。日本で人気があることは知っていたが、国外の人気の方がすごいんじゃないかというこの状態。
 彼は世界の羽生結弦なのだ。それを思い知った。
 国の宝だよ。国を挙げて大事にしてくださいほんとに。
 隣の席だったロシア美女は「彼はGODよ」と言った。
 彼女はソチのパリ散落ちで、ヘルシンキの大勝利で彼を本当に神様だと思ったという。男子シングルだけでなく、女子もペアもダンスもすべて好きだという彼女が、自国の選手でなく羽生くんに夢中だということが嬉しかった。
 どこよりもフィギュアスケートを愛するこの国の人々に支持される羽生くんは、やはり他とは比べられない、あまりに際立った存在なのだろう。

 だから彼が二位に終わったとき、一瞬、会場は落胆の空気に包まれた。
 やがてすぐに勝者への温かい拍手が沸き起こったが、それほど彼を応援していた観客が大半を占めていたのだ。
 私は悔しかった。GPS初戦は勝てないというジンクスは知っていたものの、それでもやっぱり、勝って欲しかった。
 クワドルッツの成功という大きな収穫はあったし、GPSはオリンピックやワールドとは違う。必ず勝たなければいけないという試合ではない。にわか知識にそんなことを理解してはいたけれど、初観戦、やはり目の前で勝利を掴み取る推しが見たかった。
 そんな落ち込んだ気持ちを抱えたまま迎えた翌日のエキシビションで、ふしぎな体験をすることになる。

 青い水底のような世界で披露された『ノッテ・ステラータ』。
 本物の白鳥のように美しく、瀕死の様を、力尽きる寸前の生命の輝きを、彼は見事に演じ切った。会場は恍惚のため息に包まれ、誰もがその幻想的な麗しさに酔い痴れた。
 そして、一転してフィナーレでの天真爛漫な彼の振る舞い。暗い照明の中、会場中のカメラやスマホが彼を追っていることを、きっと彼自身も知っていた。
 金色のテープを体に巻き付けて遊んだり、集合写真ではリフトしてもらったり、他のスケーターとじゃれ合ったり。
 その行動のひとつひとつに、観客は笑い、はしゃぎ、割れるような拍手を送った。そして彼は周回のときに、上から下まで、まんべんなく観客席に視線を巡らせ、大きく手を振って、すべてのファンの声に応えようとしていた。
 隣で一緒に見ていた母が言った。
「あの子は自分が人気あるのわかってるね」

 このときかもしれない、私が彼の中にある、献身的と言えるほどのファンへの心遣いに気づいたのは。
 いつからなのだろう。いつからこうするようになったのだろう。
 最初からこんなに爆発的な人気があったわけではないはずだ。徐々に知名度が上がり、ファンがつき、やがて社会現象になるほどまでにその人気は不動のものとなっていった。
 その過程で、彼はファンに対してこうまでするようになったのだろうか。
 いや、きっとファンがたとえ一人でも、二人でも、その人たちのために彼は同じことをするのだろう。少数であれば今回ほどに目立ったパフォーマンスはしないだろうけれど、ファンに向けて、「応援していてよかった」と思わせてくれるような振る舞いをしてくれたはずだ。

 昨日落ち込んで会場を後にしたのとは打って変わって、エキシビションを見た後、私はひどく浮かれて、上機嫌でメガスポルトを出た。最高に美味しいジョージアワインで乾杯した。
 それはとてもふしぎなことだった。昨日から順位が変わったわけではない。勝者は別のスケーターのままだ。けれど、たった一日で、たった数時間のエキシビションを見ただけで、ファンはみんな笑顔になっていた。
 彼が魔法をかけてくれたのだ。
 精一杯の演技と、精一杯のはしゃぎよう、おどけぶり、そして輝くような笑顔ですべての観客に対して必死で手を振ってくれていた。
「あの子は自分が人気あるのわかってるね」
 そう、自分の人気を自覚しているのだ。会場の観客たちに対してロシアまで来てよかったと思わせてくれ、テレビの向こうにいるファンたちに、PC画面を見つめるファンたちに、応援していてよかったと思わせてくれる。
 ファンになってから気づいた、彼の献身。
 あれだけの負けず嫌いだ、胸の奥にはふつふつと燃えるものがあるに違いないし、落ち込んでもいるだろう。
 けれどそんなことはおくびにも出さず、全身全霊で観客を楽しませた。
 少なからず落胆していたファンは彼の魔法で笑顔になり、元気を取り戻し、素晴らしい夜を過ごした。前日泣いて慰め合いながら会場を出て行った中国の若いお嬢さんがたも、エキシビション後は別人のようにキラキラした笑顔で彼の写真を見せ合い、興奮した口調で何か捲し立てていた。会場を後にする観客の誰もが笑顔だった。

 ありがとう。
 そんな言葉しか出てこない。
 もっとワガママになったっていいんだよ。そんな風にも思えてしまう。
 彼は鏡だ。愛された分だけ愛を返そうとする。いや、それ以上に、かもしれない。常に周囲を気遣い、自分のできることすべてで、身を絞って応援に応えようとする。健気なくらいに。だから彼を見ていると涙が出そうになるのだろうか。
 自分の競技のために、結果を求めて邁進するのがアスリートだ。ファンへの気遣いなんて思い出したときくらいでいいのに、彼は常に全力で、魂から感謝を、愛情を振り絞る。
 そんな彼だからこそ、誰よりも成功を、幸せを願ってやまない。十二分に報われることを願ってやまないのだ。

 先にも書いた通り、私の悪い癖は何でも事前に過剰な期待を持って思い描いてしまうことで、それゆえに実物が空想を上回ることは滅多にない。
 けれど、羽生結弦は、いつでも私の想像の上を軽々と飛び越えていく。
 たとえ試合に負けたとしても。たとえ満足のいく結果でなかったとしても。
 彼はその振る舞いひとつで、多くの人々を幸せにすることができる。
 私にとってこのロシアの夜は、彼の数あるマジック・モーメントの内のひとつだ。

 羽生結弦はフェノメノン(現象)。どこかでそんな形容を見たと思う。確かにその通りだ。一人の人間の枠を超えるほどの存在だもの。天使だし妖精だし阿修羅だしフェノメノン ←NEW!
 とりあえず仙台に神社でも建てよう。御本尊はぱっちりんこで。

 さて、前回以上に長くなってしまったのでそろそろこの辺で。
 本年も大変お世話になりました。

 皆様、どうぞよいお年を。
 来年も推しにたくさんの奇跡が降り注ぎますように。


初めてのアイスショーのレポ (2017/6/1投稿)
初観戦のレポ (2017/10/28投稿)