夜中の呟き

 2月になってしまったなあとついこの前思っていたのですが、もう中旬です。
 GPFあたりからぼーっとしていたのですが、全日本で更にぼーっとなり、気がつけばもう2月。
 もちろん私生活でぼーっとしているわけではなく頑張ってお仕事したり普通に生きていたのですが、ネットはぼーっと見ておりました。
 などと言っていたらもう四大陸。バタバタ仕事を終わらせ韓国に飛び、方々からお譲りいただいたありがたいチケットを握りしめ観戦。
 そしてとうとうスーパースラム達成!!
 幸せいっぱいでしみじみ喜びに浸りながら帰国し、推しの偉業を讃えるスポーツ新聞なんかも初めて買っちゃって浮かれていた昨今。
 嬉しくてふわふわしている内になぜかTLがトゲトゲしてきてまたぼーっとなりかけていたんですが、流れを眺めている最中、ふと昔のFBでのどうでもいいやり取りを思い出しました。

 2011年(すごい遡る)。私は年末年始、ブラジルに3週間ほど旅行に行っておりました。
 サンパウロとリオでは現地の友人の家にお世話になり、本当によくしてもらい、クルーズ船の上で新年を迎えたりなどして最高のバカンスを過ごしました。
 ところが帰国後、2月にリオで火災があり、カーニバルの衣装や山車が焼失してしまうという事件がありました。私が訪れたときも連日カーニバルのための予行演習で海岸沿いの道ではたくさんの人達が列をなして踊っていましたし、リオの人たちは一年で最も華やぐこのお祭りを楽しみにしていました。
 この一年間、時間もお金も、色々なことを費やして努力してきたのにと心が痛み、私はつい先日お世話になったこともあり、リオの友人に向けて『とても残念、元気を出して』というような内容の投稿をしました。友人からはいいねと感謝のコメントがつきました。
 すると、その投稿にトルコの友人から反応がありました。
『リオの火災? 今中東で大変なことが起きているのに、そのことに触れずに君は何を言っているんだ?』

 2011年初頭、中東、北アフリカではいわゆる『アラブの春』と呼ばれる民主化運動が起きており、政権側とデモ隊に衝突が起き、多数の死傷者が出る事態となっていました。
 私ももちろんそのことを知っていたし無視をしているつもりもなかったのですが、私のFBは世界情勢のことすべてに触れるような知的な国際的社会派コラムではありません。
 ただ楽しかった旅行、美味しかったレストラン、お花見、クリスマス、犬など、自分に関することしか書いていないキラキラお花畑イエーイです。
 その中でリオの火災に触れたのは、つい先日訪れた場所であり、私の友人もいて、身近に感じていたから。当時の私の『日常』の延長線上にあったのです。
 けれどトルコの友人にとっては『アラブの春』こそが身近で彼の日常に近いもので、危機的状況を日々感じていたのでしょう。今日明日、自分の国がどうなるのか。自分や大切な人たちが巻き込まれるのではないか。戦争が起きるのではないか。毎日緊迫した空気の中で神経をすり減らしていたと思います。
 そんな中、平和ボケした日本人が『リオの火災だいじょうぶー?><』などとほざいたので、相当アホに見えたのでしょう。
 確かに私はアホなんですが、君かてうちのお隣の将軍がミサイル乱発しても何も言わんしうちでひどい災害が起きてもスルーやん? 私が何を気にして何を書こうが私の自由じゃ。他人の領域に入り込んでガタガタ抜かすなヒゲむしるぞ。
 などとはもちろん返さず、リオにはついこの前行ったから心配になっただけなの。もしあなたの気分を害したらごめんね。とお答えしておきました。遺憾の意。

 誰が何を大切に思い、何を気にかけているのか。
 様々な思いの中で何をピックアップして自分の部屋に書き込むのか。
 それは人それぞれ異なりますし、そこに他人が土足で入り込むべきでないのは当然で、自分が大事だと感じていることを他人が同じように感じていないからといって文句を言うのは少々乱暴です。
 もしその人があなたの近い場所にいるのにもかかわらず、あなたと同じように感じていないのなら、それは議論の余地がある。けれどそうでなければ無理やり自分の土壌に引っ張り込んで文句を言うのはゴリラです。
 宗教にたとえればわかりやすいですが、この界隈でも似たようなたとえで通じそうです。一神教もあれば多神教もあり、無神論者もいるでしょう。一神教の人に他の神様も信じてなどと言うのは無茶ですし、多神教の人にそんなのは信仰じゃないと言うのはただの無理解です。そしてひとたび誰かの神様を馬鹿にすれば宗教戦争が勃発するわけですよ。YES! THIS IS 宗教!

 とまあ暴論でしたが私の中ではこの界隈はそんな印象です。
 そういえば少し前に本物のスケートファン云々でちょっとざわついたようですが、上記のたとえで言えば本物とは恐らく宗教という仕組み自体を愛する宗教学を学ぶ人々のことでしょうか。
 私自身は前々から自分はスケートファンではないと自称しているのでまったく気になりませんでした。
 女子は昔から好んで見ていますが、男子は興味がありません。推しは生物学上男子でアスリートで阿修羅で妖精ですが、色々と超越して好きになってしまったので追いかけています。
 だから私が気にするのは推しが勝ったか、勝たないかだけです。他の誰が何位かなどはあまり関係ありません。推しが勝つのを見たいために試合に行っています。勝てなくても推しの降臨する場所にいたいんです。世にも稀な綺麗なものが見たいから。創造神渾身の芸術品が動くんですよ? 踊ったりジャンプしたりテヘペロしたりするんですよ?? 行くでしょ(見開かれた目)。
 こんなのが本物のスケートファンであるはずがありません。というか推しが推しである限り、どのスポーツをやっていても私はファンになったと思うので、やっぱり『スケートの』ファンではないのです。そしてただのブタなので競技の発展とか将来性とか真っ当なことも考えていません。
 でも試合会場には『本物のスケートファンでなければ入れません』とは書いていないので普通に入ります。なぜ入るのか? そこに推しがいるからだ。

 この彼の周りで起きる様々なことも、過ぎ去れば「あの熱狂はすごかったね」と一言で語られるようになるのでしょう。ファンもアンチも含め。プーシャワーも絵面の凄さで語り継がれ規制するべきだいやもっとやれ魔女狩りだ免罪符を売ろう踏み絵しようなどと阿鼻叫喚のこの状況がたった1人の妖精さんのために巻き起こっているわけです。嵐は君だ。
 宗教学自体を理解しようと思ったこともあるんです。ただ私はアホなので難しかった。だって大会毎に教科書が変わるんだもん。こんなの進研ゼミでやってない。
 ちなみに女子に関しては極めて日本人的ライトな多神教です。シーズン毎にお気に入りが変わる。
 この状態がいちばん楽です。お酒飲みながら普通に楽しんで見られます。今回はあの子が優勝かーなかなか波乱だったねー今日のあの子はすごかったねーなどと最後まで楽しめます。
 推しはそれどころではないので。始まる前は緊張で石になり終わった後は燃え尽きて灰になります。この宗教は過酷であります。

 推しのために緊張して気を揉んで喜怒哀楽総出演劇場していたことを懐かしく思うときは必ず来るはずなんです。だからこそこの瞬間を愛おしみたい。
 今はただスーパースラムという男子シングル初の快挙にうっとり酔い痴れていようと思います。とか何とか言ってる内に3月もあっという間に来てしまいそう。

 あ、レポ描かなきゃ。