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2019世界選手権雑感

 あっという間の五日間だった。
 五日間もあったはずなのにあまりにも早い。現在完全なロスである。
 地元さいたまでの世界選手権。幸運が重なって全日程会場に足を運ぶことができた。
 見慣れた会場の外観に推しの写真がデカデカと飾られている感動。この先こんな光景が見られることは恐らくもうないだろうと思うと、初日から気持ちはクライマックスである。
 何より久しぶりの推しの試合。昨年11月のロステレコム杯以来だ。もう飢えに飢えているので本当に本当に待ち望んでいた大会だった。それに女子も大好きな選手ばかりなのでそちらも楽しみにしていた。
 ちなみにこれで試合観戦は三度目になる。最初の二つはどちらもロシア、フィンランドと海外で、国内で試合を観るのは初めてだ。チケット入手が困難過ぎる。今回は本当にラッキーの連続だった。
 それにしても初めての国内観戦が地元だなんて最高だ。期待と緊張と興奮で吐きそうになりながら、連日さいたまスーパーアリーナに通い詰めた。

 この会場には地元民ならではの思い出がある。
 二十年ほど前、さいたま新都心に新しい施設が完成し、その名前を公募していた。いたいけな十代の少女だった私は一生懸命考えた。
 さいたまの大きな会場に相応しい名称……さいたまといえば彩の国……そして新たな物語を生み出す場所……建物の白くて丸い形状……。
 そうや……! 『彩の卵(いろどりのたまご)』や……!!
 略して『いろたま』……人々は「明日からいろたまでサザンのライブがあるんだって」などと言い交わすようになるんや……!!!

 名称決定『さいたまスーパーアリーナ』。

 当時の私は荒れた。「あんな公務員のおっさん(偏見)が考えたような何のひねりもない名前にするくらいなら何で公募するんだ」と。
 今ならばわかる。
 卵はないわ。

 そんな太古の話はさておき、世界選手権である。
 女子で私が特に注目していたのは、紆余曲折を経て代表に選出されたメドベージェワと我らが紀平さん。
 メドベには演技で周囲の雑音を吹き飛ばして欲しかったし、紀平さんには念願のノーミスを叶えて欲しかった。
 到底スケオタとは言えないレベルでゆるくお茶の間観戦が長かった私だが、ずっと好んで見ていたのは女子だった。
 世界トップレベルの女子の戦いを地元で見られる感動。こんな日が来るとは思わなかった。
 素晴らしいギャビーのどでかいキャナダジャンプの復活に、雄大な坂本さんの演技。妖精のように可憐なウンスちゃんに、丁寧に作られた繊細な工芸品のような宮原さんの動き。
 そして熱いメドベの意地を見て、紀平さんは最初のアクセルは抜けたもののしっかりやり切った。女王ザギトワは貫禄のトップ。
 女子は堪能しきった。一緒に観戦した母と誰の演技がよかったかを語り合い、満足な初日を終えた。

 そして男子SP。
 私が緊張してもどうしようもないのだけれど、とにかくどうか無事に終わりますようにと祈っていた。
 羽生くんに関しては怪我がやはり怖かった。怪我はいつでも公式練習の最中に起きた。ある意味トラウマだ。怪我なく練習も本番もやり通せることを願うばかりだった。
 直前の六分間練習で、なかなかタイミングが合わずジャンプを跳びに行けないのを見てそわそわした。大丈夫だろうか。でもきっと彼なら本番できっちりやってくれる。
 今季のSPには妙な信頼感があって、失敗などするはずがないと思いつつ、やはり不安はあった。
 そして、まさかの事態が起きた。
 最初のサルコウが抜けた後、すべてが崩れてしまわないかひどく恐ろしかった。けれどそこはやはりユヅルハニュー、しっかりまとめてSPでは3位に踏みとどまった。

 男子SPが終わってから抜け殻だった。
 ジェイソンの素晴らしい演技。そしてネイサンの卒のなさ。
 この点差は厳しいと思いつつ、羽生くんならできる、でも怖い、いやできる、と目まぐるしく感情が入り乱れ、観戦していただけなのに重苦しい疲労にのしかかられて、その日はもう何もできずに寝た。
 翌日の女子フリーは素晴らしい席で、間近で選手たちの演技を堪能した。
 何と言ってもメドベの気迫のリベルタンゴに圧倒された。ノーミスが当たり前だったかつてのように軽々とすべてをこなしたわけではない。それでも、すべてのジャンプを降り、滑り切った。後で怪我をしていたと知ったけれど、後半のやや苦しげな演技は、それすらも彼女の情熱に添えられた狂おしい演出のようだった。
 最後の男気あふれる咆哮。あんな猛々しい彼女を見たのは初めてだ。目頭を熱くしながら立ち上がって大きな拍手をした。普段は恥ずかしくて呼べないけれど「ジェーニャ!」と叫んだ。
 この日の女子の試合では何度も立ち上がり心から賞賛を送った。滑り終えて涙する選手の何と多かったことか。それだけ誰もが全身全霊だったのだろう。

 何日も続けて通い詰め、疲れ果てた末の決戦の日。
 同日の公式練習で、羽生くんが何度も何度も念入りにループの練習をしていたと聞いて、早くも泣きそうになった。
 またヘルシンキワールドのような奇跡が起こせるのだろうか。皆はそれを期待している。本人もやってやろうと思っているだろう。
 ファンにできることはただ祈ることだけ。
 この日は男子前半は緊張のあまりそれを通り越して妙な眠気に襲われるという現象を体験した。何なの防衛本能なの? ナムくんの綺麗なクワドでようやく目が覚め、もうそれからずっとソワソワして落ち着かない。しょうまのらしからぬミスに不安になったりコリヤダくんやボーヤンちゃんの成功によかったねと安心したりしつつも、心が完全に行方不明で浮ついていた。

 いよいよ羽生くんの出番。
 ゆっくりと30秒ギリギリ使ってスタート位置につく。それからもうまともに呼吸ができなかった。
 最初のループの成功。割れんばかりの歓声。
 次のサルコウの苦しい着氷。それでも絶対に転ばない。
 素晴らしい4T-3A。次々に決められていくジャンプ。
 なんなんだこの人は。
 奇跡なんて何度も起きないから奇跡というのに、どうして彼はそれをいくつも起こすことができるのか。

 演技終了を待たずして次々と立ち上がる観客。
 万雷の拍手。やまない歓声、というよりも絶叫。
 私もいつから叫び始めたのか、どのくらい叫んでいたのか記憶にない。
 会場全体が、興奮の坩堝と化していた。熱狂という文字そのものだ。狂っていた。理性が吹っ飛んでいた。
 この人は、たった一人で、こんなにも多くの人の心を鷲掴みにする。
 忘我の極みだ。
 我を忘れて騒ぎ立てる、熱中して金切り声を上げるという、およそ日常生活ではありえない体験。
 さいたまスーパーアリーナはあの瞬間、間違いなく羽生結弦一人のために存在する一個の劇場だった。

 結果は更に点差を広げられての2位だったけれど、もう私の全身はOrigin一色で、悔しさがありながらも幸福で満たされていた。
 あの状況で、あの演技。
 やはりこの人は普通じゃない。
 ファンでよかった。ただそのことを噛み締めた。
 後で知った「負けは死も同然」という発言。
 武士かよ。ラストサムライかよ。
 けれどこれまでの彼の道のりを知っていれば、あまりにも当然な言葉だ。
 度重なる怪我や病気、同時に打ち立てられてきた偉大な実績。
 負けは死も同然。そのくらいの苛烈さがなければ、これほどの凄まじい戦績などあり得ない。大怪我の後の五輪連覇という偉業も成し得ない。

 最初のnoteにも書いた。
 彼は周りにどう見られようと構わない。己の道をただ突き進む求道者だ。自分がこうと思ったことを真っ直ぐにやり遂げる人だ。
 思い通りにならない体を酷使しながら、怪我と隣り合わせのギリギリの境界線を綱渡りしながら、どこまでも上り詰めようとしている。
 私は試合では興奮で大絶叫していたけれど、泣かなかった。でも、その後放送された、負けを知った直後「たくさん練習したい」とコーチに吐露し項垂れる彼を見て、泣いた。
 もう、思う存分練習できる脚ではない。
 したくてもできない。がむしゃらにジャンプを跳べていた頃には戻れない。
 けれど、彼は勝ちたい。圧倒的に。絶対的な王者でなくては羽生結弦じゃないと思っている。周りの期待にも応えたいという強い気持ちがあり、きっとそれを義務として自らに課している。
 今の彼は半分以上は精神力で跳んでいるのではないかと感じる。体はとうに限界で、けれどそれ以上のパフォーマンスを、信念の強さで成し遂げているんじゃないか。
 そんな過酷な状況で、血の滲むような努力をして、それでも勝てない。
 負けは死も同然。笑顔でさらりと口にしていたけれど、まさしくそれは彼の心情そのものだろう。何かに影響されたとかそういう次元じゃない、その言葉が彼そのものなんだろう。
 その覚悟を誰が批判できるのか。人生をかけ、心身を燃やし魂を削って邁進しているアスリートに、一般的な生活を送っている人間がどの面下げて文句を言うのか。お前もさいたまにしてやろうか。

 私などは、恐ろしさすら感じた。怖いと思った。そこまでの気持ちでやり遂げた何かなど私の人生にはないからだ。
 あんなにも強烈な存在感を放っているのに、同時に突然ふっつりと見えなくなってしまいそうな、あまりにも遠いところへ行ってしまいそうな、おぼろげな恐怖と不安を覚えた。
 彼はとうに常人の立ち得ない場所にいる。そこから見える景色を想像して、震えたのだ。

 だからこそ、修造氏のインタビューで、ネイサンに負けて「負けられた」という言葉が出たことには、安堵した。
 僅差ではなく、完璧に負けた。負けられた。
 そのことで、ずっと頂点にいた張り詰めた気持ちが、少しでも解けたのではないかと、彼の柔らかな笑顔を見て、僅かに心が安らいだ。
 少年のような表情で、超えるべき目標ができたことを喜んでいる彼に、なぜか「帰ってきてくれた」と感じた。
 五輪連覇を成し遂げ、頂点を極め尽くして、悟りを開いたかのようなスピーチをし、羽生結弦物語の幕引きが何となく視界の端にちらつくようになった。
 けれど、スケートの神様はまだまだ彼のストーリーを終わらせる気はないのかもしれない。
 新たな試練を用意して、早く次の展開を見せてと手ぐすねを引いて待っている。神様がきっといちばんのYUZURUファンなのだ。

 最終日、エキシビションの「春よ、来い」。
 このプログラムを見ると、あまりの美しさと儚さに胸が切なくなって涙がこぼれそうになる。
 苦悩するような激しい振り付け、そして解き放たれたような華麗な舞。
 リンクに口づけする、ひたむきなスケートへの愛情。
 透明で、純粋で、綺麗で。
 勝利を貪って生きる、苛烈で凄絶な、美しい生き物。
 改めて思った。彼は私の日常に存在する非日常だと。
 同じ時代に生きて、その生き様を見せてもらえるだけで、本当に幸運だと思う。

 さいたまに来てくれて、ありがとう。
 美しい春を呼んでくれて、ありがとう。
 また来季、綺麗な、ワクワクするような、時々ジェットコースターな物語を見せてください。


 以下、蛇足。
 今回の大会、運営が色々大変だったようで。スモメダとかフラワーガールとか。私はスモメダには参加していないので整理券をもらうための惨状は知らないけれども、観戦していても明らかに他大会に比べてフラワーガールが少なく、手間取っている印象だった。
 羽生結弦人気を侮っていたとしか思えない。仙台のパレードなど見れば想定できたはず。
 ロシアなど「どこよりも早く回収してみせるからどんどん投げろ」と豪語し会場内でまでぬいぐるみを売っていた。フラワーガールの大幅増員で滞りなく大会を進めた。
 彼は世界中に膨大な数のファンを持つ、少なくともフィギュア界では類を見ないスーパースターだ。日本は何でもルールで押さえつけてすべて平等にしようとする傾向がある気がするが、それに従ってくれるのは大人しい日本のファンくらい。規制をかけても世界中のファンの心は止められない。彼らは羽生結弦を見るためだけに海を超えてプーとプレゼントを抱きしめて押し寄せてくる。言葉が同じでない分、日本人と違って彼に接せられる機会が限られている分、あのぬいぐるみに愛情を託してそれを示そうとする。止められるはずがない。
 彼の人気は明らかにイレギュラーで、それに対応する対策がなければ厳しい。明日大型台風が来るというのにただの雨天の日のように傘だけ持って出かける人はいないでしょう。自然現象に対抗しようとしても無理だ。臨機応変にお願いしたい。彼だけ特別扱い? 当たり前です、規格外なんだから。枠にはめようとしても枠が壊れるだけ。あるいは、最初から全員への全面的な投げ込み禁止だろうか。日本開催のときだけだろうけれども。

 会場では他にも海外の方に不案内なところがちらほら。東京五輪も近いのだからしっかりしてほしいですね。
 ついでに会場の名前も彩の卵に変えてみない? だめ?

 ついつい長くなってしまったので、とりあえずこの辺で。