話をしよう

 出勤が出来なくなって1週間近くが経とうとしている。
 最初は「家で仕事出来るとか結構良いじゃん!」とか思ってた。まぁ実際、そんな感じで何とかやってるんだけど。

 でも思ってたよりもやばい。てかスマホの誘惑すごい。単純作業の仕事の時はBGMかけてるんだけど(元々音楽を聴いた方が物が早く進む性分)、プレイリストを変えようとしたら絶対にいじってしまう。Twitter見てしまう。
 自分の意志の弱さに反吐が出るし、砂糖水みたいな甘さが気持ち悪い。もう社会人なのになぁ。
 だから先日から勉強する事も課してみた。Twitterでも「これをやるまでTLに来ない!」って宣言したりして。それだけでも、ちょっとは効果出てる(ように感じる)から、このおうち時間を機会としてスマホ離れしたいなぁ。

 まぁこの文もスマホで打ってるから、離れられてないんだけどね。

 長い前置きは辞めて、そろそろ本題に。
 私はずっと自宅にいるようになって、気が付いた事がある。それは、




「人と会話しないのはすごく寂しい」


 って事。

 家、特に私のような一人暮らしにとって家は「自分が統べている世界で一番狭い国」なんだと思う。
 何でもやっていいし、何をするかも自分次第なんだけど、この自宅待機はある意味鎖国状態というか。自分以外に誰もいない。

 ただひたすら、声を出さない。

 テレワークでSkype会議をまだした事ないから、こう思うのかもしれないけど。
 このコロナ騒ぎをきっかけに、私は自分が予想以上に話し好きでかまってちゃんである事を理解した。

 自分の考えを話したい。自分の考えを聞いて欲しい。生み出すアイデアを見て欲しい。この考えについて感じた事をアウトプットして欲しい。

 私は自分が想像する100倍は、人と関わって話してみたいという好奇心と人間愛に溢れていたようだ。

 私が愛しているのは活字ではなく、生モノの言葉らしい。

 活字だけのコミュニケーションも十分楽しいけれど。私が本当に欲しているのは、瞬間的に紡がれる言葉と込められた色、熱量。
 たった一度しか聞けない、生モノの言葉で紡がれるたわいの無い話。




 明日早速、地元の友達にふと電話してみようかな。

 いつになったら、顔を合わせてたわいもない話とか笑い話とか、バカみたいな話ができるんだろうぁ。どこかに、素敵な聞き上手さんいないかなぁ。