史上最強の勘違いヲタク

こんにちは。
僕はぶんとくといいます。
これはただの一人のヲタクの自分語りです。
興味がある方は読んでくれると幸いです。


・はじめに

まず最初に自己紹介させてください。

ぶんとくという名前はニックネームで本名は「文徳」と書いて「ふみのり」と言います。
1997年9月11日大阪生まれ、24歳です。
なぜ今回このようなものを書こうと思ったのか、特に理由はありません。笑
高卒、教養無しのクソガキが書くものなので優しく読んでください。

では早速、

・人生最初のミス

タイトルの通り人生最初のミスについてですが、

「俺、女嫌いだから」

と小学5年生の時に母に言った一言です。

冷静に考えて、これを真に受ける母も母だと思いますが、いわゆる教育ママだった母はこれを理由に僕を中高一貫の男子校へ進学させることを決意します。
5歳から剣道を続けていたこともあり、進学校で剣道部のある男子校(世界一臭そう)への受験をし、合格してしまいました。
この時点で僕がヲタクになることは決まっていたのかもしれません。

・坊主頭の中学生

中学受験をしたことのある人ならわかると思うんですが、小学校では友達同士の会話に全くついていけなくなりました。テレビの話、何が流行ってるのか、新作のゲームどこまでやった?とか。自分だけ会話に参加できず、なんとも言えない気持ちになりながら小学校生活を過ごしていたので、中学校に入ったら絶対に話題についていかないといけないと思っていた僕は、入学直後から必死で周りの会話に聞き耳を立てていました。元々通っていた塾が同じなどである程度グループができ始める時期なのでそれはもう必死です。

そんなある日耳に入って来たのが、

「AKBでだれが一番好き?」

という会話です。

AKB?なんだそれ。となり、スマホももっておらず、パソコンも祖母の家にしかなかったので学校帰りに立ち寄り、AKBと検索してみると砂浜で水着の可愛い人たちが砂浜で歌っていました。

そうです。ポニーテールとシュシュです。

このイントロを聞いた瞬間は今でも覚えていて、ホントに身動きが取れなくなり、ガチでぶっ飛びました。その足でTSUTAYAに行き、CDを借りて速攻でウォークマンに入れ、寝るまでずっと聴いていました。言葉にうまく表せない感情とはこういうことなんだなと。
それから少しして念願のiPod touchを手に入れ、ひたすら色んな動画をYouTubeからダウンロードして観ていました。
そこで見つけたのがスター姫探し太郎という番組です。これは当時もうすぐAKB48の姉妹グループNMB48が大阪にできるというので、それをオーディションから密着するというもの。

え、大阪やん。やば。

普通の大阪からの中学生からしたら東京なんて想像の中の世界で、東京のアイドルグループなんて手の届かない存在。それが大阪にできるというのがこれはもう想像もつきませんでした。
この番組を親が寝た後にコソコソと見るのを楽しみに毎週すごしていました。
その後しばらくは特にイベントに行くわけではなく、新曲がでたら聴く、昔の曲を聴きながら好きな曲を探すという一般的な在宅ヲタクをしていました。

・ヲタク一年生

そんなこんなで進級ギリギリで無事高校生になりクラス替え。
ここが多分分岐点で、AKBブームもそれなりに落ち着きあまり話題に上がらなくなってきているにも関わらず1人でAKBについてひたすら語るMくん。彼が名前の順で僕の後ろの席になってしまいました。これは今でも覚えている瞬間なのですが、一度も喋ったこともない彼に、

"おまえ、ヲタクなん?"

といきなり声をかけました。

冷静に考えて僕が逆の立場ならなんやねんこいつとなります。
Mくんの"ま、まぁ、、、"みたいな微妙な反応から会話が始まり、気づいたらその日の休み時間はずっとAKBの話をしていました。
彼が僕にできた初めてのヲタク友達でした。
よくよく話して行くと、クラスのOくんも隠れヲタクだったことが判明し、その日からLINEグループを作り色んなことを語っていました。
そこで二人に聞かれたことが

"ぶんとくってイベント行ったことあるん?"

僕からしたらイベントなんて行ったこともなければ行き方もいつやっているのかも、なんなら調べ方すらも知らない。
恥を偲んで"行ったことない"と伝えると、なら一緒に劇場公演に行こう!となり、申込みに必要な情報を伝えました。
そして2日後、公演が当たったとLINEで知らされ、その時はまだ実感もなくあー楽しみだなーぐらいの感覚でした。
当日になって部活をサボり、難波に向かい、劇場でチケットを購入して、ペンライトを借り、劇場内に入り、やっと実感が湧いてきました。
Ovretureが流れ、幕が開いた瞬間を今でも忘れられません。

あ、あ、、、空いた口が塞がりませんでした。テレビで見たことある人たちが歌って踊っている。MIXを予習して来たはずなのに口に出せない、なんなんだこれはやばい、クソ楽しい。そこからの記憶はクソ楽しかったしかなく、家に帰ってもぽかーんとしていました。行けることなら毎日公演に行きたい。それが率直な気持ちでした。

そこからはひたすら全公演申し込み、当たれば絶対に行く。という日々が始まりました。それと同時に、当時「Google+」通称ぐぐたす という48グループのメンバーが投稿するミニブログのようなサービスがあり、好きなメンバーの投稿の通知が来た瞬間1番早くコメントをするというクソどうでもいい事を頑張っていました。今考えると本当にどうでもいいようなことです。

そうしていると毎回コメントが早い人がいるなということに気づき、その人達に何故か憧れを抱いていました。憧れた理由はコメントが早いから。何度も言うけど本当にどうでもいい。。。
そうして日々楽しく1コメ狙いの生活をしていると今度は握手会の申込みが始まったと連絡が来ました。

"握手会に行かなきゃ!"

僕の頭の中はそれしか考えられないようになりました。

しかし、月のお小遣い5000円の高校生にそんな余裕はなく、考えた苦肉の策が、これからの昼飯は弁当ではなく学食がいい。と親に伝え、学食代をもらい昼飯を抜くことでコツコツ貯金をするということでした。
そんななけなしのお金でCDを5枚購入し、人生初めての握手会に向かいました。ちなみにメンバーは上西恵ちゃん。

当時のNMB48には公演後のお見送りでメンバーが肩を叩いてくれるというサービスがあり、それを既に体験していた僕はアイドルと目の前で話をすることにビックリするほど感動したというわけでもなく、うわ、可愛いな〜ぐらいでした。

それよりももっと感動したことは、先程書いたぐぐたすのコメントが早い人達と実際に会って話したことでした。この頃にはその人達とTwitterで多少のやり取りをする仲になっていて、イベントで会おうと誘われ、呼ばれた場所に行ってみると10人ほどの人が居て、あのアイコンの人がこの人、あれがこの人、みたいな感じで紹介して貰い、1人で納得して嬉しくなっていました。イベント後はみんなでご飯に行き本当に楽しかったです。

それからはお金が足りず握手券を買えなくてもその人たちと話す為に会場に行ったり、公演に当たってないのに劇場に行って話したりと初めて出会う、学校以外の世界のヲタク友達と遊ぶようになりました。それまで関わったことのないような歳上の人がいたこともあり、ご飯を奢ってもらったり色んなことを教えて貰ったりと何もかもが新鮮で楽しい日々でした。

しかし、部活はサボる、勉強はしない、家にグッズが増えている、当たり前に親に勘繰られて色々とバレ始めました。学校がバイト禁止な上、普段は部活をしていることもあり、どうやってこんなお金が出てくるの?と詰め寄られ、昼飯を抜いてお金を作ってるなんてことは当たり前に言えず、"知らん"とだけ言って逃げていました。

そうしている内に次はみんなが東京の握手会で集合すると聞いた僕は、初めての東京へ行くことを決意します。多分この頃から本格的におかしくなりだしたんだよな〜と書きながら振り返っています。お金がないイライラから親には当たり散らかす、学校は遅刻する、部活は行かない。昼飯を抜いても1日溜まるお金は700円。グッズを買うのにもお金がかかるこのままじゃやばい。

その頃僕は推しメンの生写真を集め始めていて、ランダムなメンバー5枚のセットが1000円でショップで売っているのでとりあえずそれを何セットか買い、推しメンが出れば万歳、出なかったら誰かしらと交換して推しメンを手に入れるといった流れでした。

生写真を交換している内に思ったのが、当たり前ですが人気メンバーほど生写真の人気も高い。僕は最初は推しメンの生写真が手に入ればなんでも良いという考えだったので、推しメンの生写真を提供してもらえるなら人気メンバーの生写真を求められても気にせず交換に応じていたのですが、その逆のことをすれば良くない?と考えました。

実際にその考えは間違いではなく、握手会場、LIVE会場ごと、月に一度のショップでの発売日に朝から晩まで「誰探してます?」と声をひたすらかけ、人気メンバーの生写真を集め、ヤフオク、店舗買取などで売り捌き、大体一日2.3万円ぐらいは稼げるようになりました。

その作業をしている内に出会ったのがランダム生写真の中に極稀に入っている直筆サイン入り生写真を大量に集めている大人の方々でした。一応生写真のトレード作業にも縄張りのようなものがあり、最近調子乗ってる若いヲタクをおちょくってやろうみたいな感じで話しかけられたような気がします。そこからとりあえず挨拶くらいはする、みたいな関係だったのですが、ある日学校が終わり一旦帰宅する時間がなく着替えも忘れ、制服でショップ前に行った際にお前、○○(学校の名前)なんか!!(○○が知りたい方は僕の名前で検索してみてください、すぐにでてきます)と言われ、そこから可愛がってもらうようになりました。

もしかしたらこのnoteを読んでくださっているかもしれないのでここで言わせて頂きますが、あれだけかわいがって頂いたのに急に疎遠になり、申し訳ないです。機会があればご挨拶させてください。

話を戻します。
生写真のトレード、転売である程度お金ができ始めた僕は東京のイベントにも頑張れば行けるぐらいにはなってきていました。
しかし、東京に行くことを親に言えば絶対に反対される。どうしたもんかね。と言い訳を考えていました。

そこで取れる選択は一つ、

黙って東京に行く

でした。

その頃はぐぐたすをきっかけに知り合いもどんどん増えていて、何もかもが楽しく人生どうにでもなるだろという風に思い始めていました。
小学校の時に周りについていけず、これは強がりではなく決していじめられているわけではないものの置いて行かれていると感じていた僕にとって当時のヲタク環境はとても居心地がよく、これが一生続いて欲しい、続かない訳がないと思っていました。

そしてついに格安飛行機のチケットを買い、初めて東京へ行きました。その日のことを思い出すと罪悪感と好奇心が入り混じったなんとも言えない気持ちが蘇ってきます。当然親から鬼のように連絡が来ていましたが全て無視。そして次の日握手会に参加し何事もなかったかのように夜行バスに乗り大阪に帰りました。

帰宅すると母がリビングにいて、なんで連絡しなかったのか、どこにいたんだとめちゃくちゃ怒られました。僕が誇らしげに東京に行っていたと言うと母はぽかんとした後にとりあえずすぐに学校にいけと言い、まぁこんなもんかと思い学校に向かいました。

学校が終わり帰宅するなり、待ち構えていた両親から話があると言われ、家族会議が始まりました。

僕の主張としては自分は悪くない、お前らが悪いんだというような内容をひたすらぶつけ、母は泣いており、父には怒鳴られ、思いがけず修羅場が始まりました。そこで父にお前は自分の力だけで生きていけないんだから調子に乗るなと言われ、バイトをしたこともなく生写真で小銭を稼いだ程度の僕は何も言い返せず、そんなことないわ と反抗して自分の部屋に閉じこもり、その日は寝ました。

次の日も学校に行く気にならず、家で寝ていると出勤前の父に怒られ、出てけと言われ漫画のようにこんな家出ていってやるよと言い返しました。もうその頃はほぼ学校に行っておらず、理由としては僕がヲタクをするきっかけとなった学校のヲタク友達にはお前にはついていけないと言われ、僕自身は授業についていけない、ここは自分の居場所ではないんだという考えになっていたからです。

決して強がりではなく、学校に居場所がないのではなく、居場所ではないんだと本心から思っていました。こいつらとは違って俺はその世界で色んなことを経験してるし、お金だって稼げる、こいつらは勉強しかできないやつなんだと完全に下に見ていました。向こうは何とも思っていないのに。笑
結果的にここら辺の時期が一般的な人生を歩む人との比較で言うと1番大きな分岐点だったのかなと思います。

そして両親に家を出ていくと宣言した僕は一番遠いところにいってやろうと思い、よし沖縄にいこうとその日の内に決め、数時間後の飛行機で沖縄に降り立ちました。なぜ沖縄に向かったかと言うと、当時仲のいいヲタクの何人かが沖縄に住んでおり、ずっと家にいてもいいよーといってくれたからです。

しかし、親から すぐに連絡をしないと警察に捜索願を出す、泊めてくれている人にも迷惑がかかるぞ と言われ、焦った僕は次の日に大阪に帰りました。本当に何がしたいのか全くわかりません。。。
家に帰ると親ももう呆れ果てていました。当たり前です。自分ももう自分が何がしたいのかわからないモードに入っていました。
そしてその後は少し真面目になり、学校にも遅刻はするもののちゃんと行くようになっていました。

そうして少し真面目な生活をしているうちに何とか進級して高校2年生になりました。
この頃には、俺はちょっと分かってんだよなみたいな感じのヲタクになってはいたんですが、次のステップとしてCDをめちゃくちゃ買って、めちゃくちゃ握手券を持っている人達に目をつけ憧れを抱いていました。

あの人達は一体どうしてCDをあんなに買えるのだろうかという疑問を抱き、とりあえず一度話す機会を作りたいなと思っていました。ちょうどその辺りの時期に大阪で同世代のヲタク何人かとつるむようになり、彼らは大阪に住んでるからNMB48に通う、とかの単純なヲタクではなく、ヲタ芸をする奴が居たり、SKE48に通ってたり、なんかよくわからないアイドルに適当に通っていたりと色々でした。

今までは歳上のヲタクと一緒にいることが多かったのですが、今度は同世代のグループだったので本当の素の自分でいられた気がします。毎日とりあえず千日前のマクドにいて待ち合わせもしていないのに勝手に合流して喋ったり遊んだりという日々が続き、また学校に行かないようになりました。

この頃はヲタクモチベが全くなく、同世代とちょっと悪いことして遊ぶのがめちゃくちゃ楽しかった記憶があります。中学受験をし、高校生になって初めて外の世界に出て、右も左も分からない大人ばっかの世界で楽しいけどなんか違うな〜と思いながら過ごしてた自分にとっては刺激的な生活でした。当たり前に学校の思い出なんてほぼありません。

そうやって遊び呆けてると先程書いたCDを沢山買ってる人達と会う機会がチラホラ出来始め、そこでおしえてもらったのが「転売」というもの。

ご存じの方もおられると思いますが彼らの正体はいわゆる転売ヤーと言われる人達でした。「転売」と言うものを改めて説明すると人気がある物、生産が少ないもの等をどうにかして買ってそれを買った値段より高値で売って利鞘を稼ぐ。ただそれだけ。既に生写真で似たような作業を経験していた僕としては、これは特別難しいことではないなと感じました。ヲタ活にお金を使わず、生写真の売買を繰り返していた僕は50万円ほど貯蓄があったので転売の初期投資に当てることにしました。

まず始めに、知り合いからこれはたぶん値上がりするよと教えてもらったチケットを思い切って50万円分購入、2ヶ月後本当に値上がりし約150万円に。その2ヶ月の間もしっかりと生写真のトレードをしていたのでこの時点で貯蓄として200万円ぐらいは作ることができました。

それに加えて、48グループの全国握手会に行ったことのある方なら分かると思うんですが、出口で握手会余ってませんか〜?と声をかけていくという作業。時間がなかったり疲れたりしたりで余らせた握手券を生写真と交換してもらう。あれって想像以上に交換してくれるんですよね。もちろん握手券より安い生写真と交換してもらうので差額が利益になるというわけです。

当時48グループのイベントなんてほぼ毎週全国どこかしらで行われていたので毎週遠征遠征でした。イベント以外でも都内で売り切れているものが地方では売っていたりして、ついでに仕入れて帰るみたいなこともよくありました。
もちろん転売以外のまともな収入源でCDを買ってる人もいましたが、僕はそんな感じで全国飛び回って主に転売でお金を稼ぐ日々を過ごしていました。そのイベント会場には、僕が憧れていた人達もヲタクをしに来ているんですよね。その人たちを見てるとなんか本当にかっこいいんです。
これは後程詳しく書きますが、ヲタクはヲタクに憧れないとヲタクとしては成功しないと思っています。
スポーツにしても最初、上手い人の真似をしなさい。と教えられるようにヲタクも同じです。
僕は当時、必死にTwitter、2chを見てその人たちが日々どんな生活をしていて、どんなヲタクなのかを見ていました。

そして僕は思いました。

僕もこの人たちみたいなヲタクになりたいと。

普通は逆だと思います、推しメンができてヲタクになる。

僕の場合、ヲタクのヲタクのようになっていてこの人達のようになりたいから推しメンが欲しい。そんな理由で顔がタイプなNMB48のIさんを推すことに決め、ヲタクを再スタートしました。

僕はまずCDを沢山買おう!と思い、300枚ほど一気に買ってみました。服装も自分の中でオシャレと思うものを揃えて念願の100枚まとめ出し!しかしここで落とし穴がありました。ほぼ女性経験のない僕には初めて会う女性それもアイドルとの約16分の会話(1枚約10秒)は何を話せばいいかも分からず、

あぁ、、、まぁ、、、そうです、、、

みたいな風にしか話せませんでした。中身のある会話もできないまま帰宅し、ベッドで頭を抱えてこれ大丈夫か?となっていました。笑

でも、ひとつ収穫だったのは握手券を沢山持ってる写真をTwitterに投稿できたことで、なんとなく憧れのヲタク像に近づいた気がしました。
その後も周りの人たちの真似ごとをし、特に話すこともないのに握手券を使う日々を過ごしていました。

・高校生4年生

そんなこんなでヲタクの真似をしていると、家にもほぼ帰らなくなり、学校にも行かず、留年をしました。この時期に両親は離婚し(僕のせいではありません)、母と二人暮らしになっていましたが、もう好きにしていいよ、何も言わない、みたいな感じでほとんど会話がなくなりました。

まぁええわと思い全国のあちこちを飛び周りながら過ごしているとついに待ち望んだ総選挙シングルというものがやって来ました。

ここで48グループの握手会について一度整理します。

・個別握手会(1枚約10秒) CD約1000円/枚
事前に公式販売サイトからメンバーを指定して申込み、当選した枚数分劇場盤CDを購入し参加。支店を含む48グループ全メンバーが参加する。

・全国握手会(1枚約3秒) CD約1600円/枚
普通のCDショップにて販売されている初回限定盤CDを購入し、イベント開催日に参加しているメンバーの中から好きな列に並び参加。
基本的に1グループのメンバーのみで開催される。

という感じです。

総選挙シングルというのは、普段のシングルと同じようにCD1枚につき握手券が1枚、それに加えて総選挙への投票券も1枚ついて来ます。
これは昔は初回限定盤だけの仕様だったのですが、ある時から劇場盤も同じ扱いに変わりました。
つまり、1000円で握手券と投票券が手に入るということになります。
この投票券が800-1000円程で取引されているので、投票券を売却すれば握手券部分についてはほぼ無料で手に入るというカラクリです。

これは当時のただただ握手券をたくさん買いたい、ドヤりたいという僕のようなヲタクからすると完全にボーナスステージ。
このシングルでは1メンバー辺り1日約1時間ほどの握手時間を6セット、(これを1部×6で6部制と言います)を3日連続で開催するというスケジュールでした。

普段の個別握手会では、1日6部の設定で握手会を開催するメンバーは一部の人気メンバーくらいで、お世辞にも人気があるというわけではないIさんは1日1-2部ほどでの開催がいつもの光景でした。しかし、握手会の部数に差があると、それに付随する投票券の枚数にも差が出てくるということなのでこれは不公平じゃないか?ということで全メンバー6部制で開催されることになったという流れだったと記憶しています。

握手券の枚数で言うと、1部辺り600枚販売されていることが基本で、今回の総選挙シングルで言うと3日間で600枚×18部=10800枚販売されることになっていました。
当時の個別握手会の申込みは1次申し込み、2次申し込みは枚数制限を設けられており、3次申し込みから制限なしで購入可能になるシステムでした。
1次2次で完売してしまうメンバーもいるのですが、当然ながらIさんは3次でも余裕で売れ残っていたので、申し込みできるだけ申し込みました。結果当選枚数は4000枚。そして完売状況が発表されると当たり前にIさんは全日全部完売。

実は僕の知り合いのヲタクも似たような感じでIさんに申し込みをしたらしく、2人で枚数を数えたら二人で約8500枚ほど当選していました。
いわゆる身内で買い占めというやつで、ここまでは良かったんです。

当時、総選挙のランクインボーダーがだいたい1万票だったので、自分の個別握手券が完売しているとなると少なくとも10800枚の投票券も自分の握手券を買ってくれた人の手に渡るということになり、メンバー側は当然自分に投票してくれるはず、つまりランクインできるんじゃないか?と考えるのは自然な流れです。

ここで僕はやっと冷静になります。これ俺が投票しなかったらランクインしないんじゃね?てことは投票券を売ったこともIさんにバレるんじゃね?と。

しかしそんなことよりも目立ちたい、あの人達の仲間入りがしたいと思っていた僕はそのまま投票券を売ってしまいます。そして開票までの握手会でもIさんから投票してくれた?と聞かれ、ドヤ顔で 投票作業のせいで寝不足や。などと返していました。今書いてて思いますが僕はホントにゴミです。。
そして開票の時を迎え、Iさんは当たり前にランクインできず。
開票の直後の握手会が総選挙シングルの3日連続開催握手会で、僕は投票券を転売して手に入れた握手券を全部抱えてドヤっている写真をツイートしたりなどTwitterでイキリ倒していました。その時僕の中ではやっとあの人達の仲間入りをできたと思っていましたし実際大きな括りでみると輪の中にはいたと思います。
自分で言うのもなんですが年齢的にもどこから現れたかわからない怪物ルーキー的なヲタクでした。
少なくとも僕が知っている限り、その後自分よりぶっ飛んでいるヲタクが出てきたのを見たことがないです。
そして握手へ。既にネット上でもIさんは投票券を転売されて可哀想みたいな声が沢山上がっていたので、Iさんも僕が転売したことは察している様子で、転売したんでしょと言いたいけど言えない。僕も何も言えない。女性経験もほぼない上にこの空気をどう和ませればいいのかもわからない。それでも握手券は使わないといけないので毎部1時間ぐらいをほぼ何も話さずに過ごしていました。

そして3日目の最終日。この日はめでたいことにIさんの誕生日でした。3日間通して僕たちが握手券を買い占め、最後にまとめ出しで全部出すという使い方をしていたので、完売しているはずなのにまとめ出しの時間まで誰もこない、そして最後の方に大量に出すやつが2人現れる。誕生日も同じことが起きてさすがのIさんもプチンと来たのか、

"投票券転売したでしょ?"

と言われました。

僕は頑なに認めず、いや"俺は" 投票したよ。家に投票券あるし。などと返し、その後もほぼ喋らず3日間開催が終わりました。僕は病むとか悩むよりも、憧れていたヲタクの方達に 握手会後に大人数で打ち上げをするからお前もこいよと言われていたことが楽しみで、そのことばかり考えてワクワクしていました。
正直メンバーのことなんかどうでもよく、やっぱり自分はすごいんや。やっとあの人達の仲間入りを果たしたんだ!!という変な達成感と高揚感でいっぱいでした。

結局直接謝ることはできず、その後も何も言えずにここまで来てしまったのでこの場で謝罪させてください。

磯佳奈江さんホントに申し訳ありませんでした。

この辺りから憧れの人達と話す機会が増え、全貌が見えてきました。

①推しメンが出るイベントには全て参加。
②握手券を沢山(推し被りの中で1番)買っている
③LIVEを良席(前方席)で見ている
④私信(メンバーが特定のヲタクにだけ伝わるように投稿などをする)が来ている
⑤繋がっている(個人的にメンバーと連絡を取り合っている)

①に関しては既に当たり前のような風潮があったので、僕も総選挙の少し前から全て参加していました。

総選挙の力を借りて②も達成した僕は次に③を視野に入れます。
これも細かい部分を除けばほとんどお金で解決できることなのでお金稼ぎさえ頑張れば達成できました。
この時は総選挙のせいで嫌われていることを理解はしていても認めはしていなかったので、大金を使いIさんがいるライブは全て良席で見ていました。
この時点では良席でライブを見ることも周りの真似事だったのでまぁ楽しいなぁ〜ぐらいの気持ちで見ていました。

そこで気づいたのがレスと言う存在です。

これが僕の人生を大きく変えるとはこの時思いもしませんでした。

握手の方はと言うと僕はIさんに嫌われてることを認めず、特に何も話さないのに周りから見た自分の立場、承認欲求のために通い続けていました。
Iさんが出るイベントには全て参加はもちろん、資金作りのために転売ができそうなイベントにも毎回参加していたので、もはや大阪よりも東京にいることが多くなってきていました。当然自分の家なんて借り方もわからないしそもそも未成年。いつも誰かの家に泊めてもらっていました。

さすがにこの生活はいつか限界きそうだしどうしたもんかねと思っていた時、会場で挨拶するぐらいの関係性だった「清水さん」という人が俺ら家借りたから泊まりにきなよと言ってくれたので、すぐ泊まりに行きました。別にずっと泊まっててもいいよーと許可を得た僕は、本当にその家に住み着くようになり、それまでちょくちょく帰っていたの大阪の実家にはほとんど帰らなくなりました。

この家は錦糸町にあるからという単純な理由で「錦糸町」と呼ばれ、家主は僕を呼んでくれた「清水さん」と「村山さん」の2人でした。人生で一番飯を食べさせてもらい、色んな面倒を見てもらい、助けてもらった2人です。一人っ子の僕にとってはお兄ちゃんであり、育ての親でもある人たちです。この生活は本当に楽しかった。

錦糸町には常に誰かがいて、今まで憧れていた人たちとイベントのない日にも色々教えてもらったり、遊ぶ、ご飯に行く、家に帰ったらまた別の誰かがいて知り合いが増える、こんな生活でホントに楽しかった。おそらくここでこの2人に面倒を見てもらっていなかったら今の僕はないと思います。本当にありがとうございます、というよりかは大好きですと伝えたいです。


そんな錦糸町生活をしていると、元々学習能力だけははそこそこの僕の中で、ヲタクとして何が良くて何が悪いのかということがなんとなく理解できるようになってきました。
勝手に憧れていた人の中にも意外とダメな人もいて、もっとすごい人もいると。例えば、握手券をたくさん買ってTwitterに写真を載せ、リツイートを稼いですごいとなっているけどメンバーからは全然歓迎されていない人、逆に、僕は"繋がり"とはLINEで連絡をとれるくらいのことなのかと思っていたら普通にアイドルと付き合いながらヲタクをしている人もいることなど。

そんなときに出会ったのが「じゅんや」「りきや」この2人です。
僕の人生に一番影響を与え、今でもなんでも相談をする存在です。
この二人は後ほど登場するのでお楽しみに。

ある日、転売のために行っていたSKE48の握手会で友達に誘われ適当に握手に行くことになりました。
僕のNMB48の推しメンのIさんは○期生オーディションというものに合格して加入したのではなく、ドラフト生という形でNMB48に入っていました。ドラフト生とはまずドラフト生全体のオーディションをし、合宿を行った上で行われるドラフト形式のお披露目会のようなイベントでグループの各チームに指名され、そのチームに加入するというものです。

その時握手にいったのがドラフト生としてIさんと同期でSKEに加入していたSさんです。このSさんはヲタク用語で言うところの釣り師で完全に僕はやられました。
これまでまともに握手したことがあるのはIさんぐらいで、適当な会話しかして来なかった僕はSさんのあざとい対応に え、これわんちゃんある!!みたいな感じになってました。アホみたいにちょろい。。。。
そこからはSさんが出るイベントにも行くようになりました。
IさんとSさんは同期で仲が良かったので、2人で僕の話をすることがあったらしく、それを知った僕はこれが美味しいってやつか!と勘違いして調子に乗っていました。
そんなある日、Sさんのライブを良席でぽけーっとみているときにやたらかまってくれてレスをくれるTさんというメンバーがいました。

ライブ中にIさんはほぼ無視、Sさんはそれなりにかまってくれるかな、ぐらいだったのでTさんから急にめちゃくちゃレスが来てびっくりしたのと同時に、これがあの人達がいっていたLIVEが楽しいってことなのかとそこでやっと気づきました。

そこからTさんの握手に行き始めるとクソ楽しいし今度こそこれはワンチャンあるぞと思って意気込んでいましたが結果的に何も起こらず勘違いでした。Tさんについては正直楽しかったなぐらいであんまり他の記憶はありません。

そんな時じゅんや、りきやが通っていたこともあり、誘われNGT48のメンバーの握手券を取ります。
皆さんお待ちかねのNGT48編に続きます。

・人生を賭けた新潟生活

NGT48に通い始めるにあたっては、2人のメンバーの握手券をとってみました。
その2人のメンバーをAさん、Bさんとします。

握手券をとった時はAさんと話せるということで軽くワクワクしていたのですが、当日寝過ごしてしまいNGT48初握手はBさんになりました。ここで寝過ごしていなかったらまた違うストーリーもあったのかもしれません。

当時の僕はじゅんや、りきやに教育を受け、髪型も服装もおしゃれに、垢抜けてIさんに通っていた時とは別人のような見た目になっていました。さすがに女性経験も少し増えアイドルともまともに話せるようになっていました。
そしてBさんとの初握手。細かい内容は忘れましたが簡単に言うとこれは行ける繋がれるぞとなりました。

当時NGTではモバイルメールという月額制サービスがあったのですが、これは月額会員になり好きなメンバーを選ぶとほぼ毎日そのメンバーからメールが届くというものです。そして、届いたメールに対して返信という形でメールやイベントの感想や応援メッセージを送ることができ、誰からの返信なのかメンバー側からもわかる上に、内容の検閲(悪口やプライベートな内容の返信を削除するなど)もほぼないというそれまでの48では考えられないようなサービスでした。(新規なので大昔の話はわかりません。教えてください。笑

毎度の2人にこれはやるべきやぞと言われたこともあり早速登録し返信を送ると面白いように美味しい。僕が返信を送ると、その返信に対しての反応がまた送られてくるといった感じで、公式ツールを通して個人的なやりとりができると言っても過言でもないはないという状況でした。これによって、メンバーの心情や居場所が読み取れることを僕たちは"示唆"と呼んでいました。

この頃は毎日次は何が起こるんだとワクワクしながらメールの返信していたと思います。ヲタクの勘違いと言われるかもしれませんが、絶対それはメンバーの方もだったと今でも思います。

NGT48はその名の通り新潟にできたAKB48の姉妹グループなので劇場も新潟にあり、劇場公演を観に行くとなるとはるばる新潟まで行くことになるのですがそれがまた良いんだよな。と当時の僕は思っていました。こんな人生で来る機会ないようなところへ俺はヲタクしにきているんだぞって。笑

劇場公演はNMB48.SKE48に通っているときも応募してはいたのですが、そんなに頻繁に当選するものではなく、たまーに観に行ける程度でした。
しかしNGT48は新潟という他のグループに比べたら田舎にあり、結成当初ということもあって結構頻繁に当たったんですよね。

公演中もレスがめちゃくちゃ来るし、これは今までになく楽しすぎるという感じだったのでとりあえず公演は全部応募、当たれば新潟に駆けつける、みたいな生活をしていました。

そんな中、夏を前に48グループが7月にUSJでイベントをやるということが発表され、内容たしてはNGTは1日3回ライブを4日連続でやるというものでした。これは48グループとしての初の試みで、ライブの内容もよくわからず、できたてで新潟以外の地方のファンもあまりついていないNGTはこれ完売するのか?といった感じだったのですが、当時の僕たちはどの日に行く?だとか、一旦様子見とかそんな次元にはおらず、即全部行くだろということで全公演観に行ったんですがこれがめちゃくちゃ楽しかった。
じゅんや、りきや、僕の地元が大阪ということもあって余計に楽しかった。

今みたいにコロナの規制も何もなかったので、ライブ中にメンバーが座席に来てサインボールを配るという演出があり、建前上は公平、ランダムに目についたファンに渡すというものだったのですが、大阪まで遠征するファンがあまりいなかったこともあり、実質的にメンバーがお気に入りのファンを選んで渡すような形になっていました。日程も中盤になってくるとメンバー側も僕たちが毎回いるということを察したようで、サインという名の個人宛のメッセージをボールに書いて用意してくれて、座席まで渡しに来てくれるなんてこともありました。

そしてそのボールをもらえたやつはそのライブ後の飯を奢るだどうだのが始まり、これまたメンバー側も僕たちのTwitterなんかを見ているから知ってて笑ってるといった具合で、言葉にするのが難しいけどヲタクとして美味しいとかの上にいるというか友達ではないんだけど友達というかなんかそんな感覚でした。そんなときに流行った言葉があり、ちょうど夏ということでセットリストに入っていたNMB48のナギイチという曲の

「夏の恋は誰とする?」

という歌詞。

今思うとただのメジャーなアイドルソングの歌詞の一部なんですが、当時の僕にとっては本当にドンピシャで本当にBさんに恋をしていました。
ここに来て初めて1人のアイドルのことが心のそこから好きという感情を抱いた気がします。
ヲタクの真似ごとではなく、本当の意味でヲタクになったんだなと。

その後USJでも色々()あったんですがイベントは無事終わり、その後も好きという感情はそのままかそれ以上という状態でNGT48に通っていました。すると、7月のUSJのイベントが好評だったので8月も3日間の開催が決まったとの発表がありました。これは相当嬉しくてガッツポーズしたのを覚えています。
しかし、さっきも言ったようにBさんのことが本気で好きになってしまっていた僕の頭の中はどうすればBさんと繋がれるのか、そればかり考えるようになっていたので7月のように純粋には楽しめなかったんですよね。
それを自分の中で整理ができないまま、楽しいは楽しいけどなんか違うな、みたいな感覚でした。
そんなこんなでとうとうUSJのイベントも終わりということになり、最後のライブでサインボールをもらいました。
詳しくは書きませんが、僕宛にすごく嬉しいメッセージが書いてあり、胸が熱くなったのを覚えています。
そこで僕はこれはもう繋がりに行こう、行くしかないわと決意しました。
僕たちのように重度のアイドルファンではない方からすると、そんなに簡単にアイドルがファンと繋がるなんてこと本当にあんのかよ!と思うかもしれませんがこれは世間が想像しているより遥かに頻繁にあります。なので僕としても割とワンチャンはあるという状況でした。

しかし、ここで立ち止まって考えないといけないのが僕の女性経験です。

じゅんや、りきやによる教育により、なんとか対面スキルはよくなり学んだことの実践もBさんに対してはできていたので並か並ちょい下ぐらいにはなってきていたものの、あくまで握手会レベルの話です。

夏が終わり秋になり、Bさんの誕生日が近づいてくると、何か動くならここしかないと決意しました。誕生日プレゼントはレインボーローズ107本の花束とネックレス。なんで107本なのかと言うとBさんの誕生日が10月7日だから。単純です。そこは特に深く考えずにとりあえず花屋さんに注文をしました。

髪もOCEANで切り、万全の体制でBさんの誕生日前最後の握手会2日間を迎えました。まず1日目に約200枚のまとめ出しをし、誕生日にプレゼントを渡したいから新潟駅に来てくれと濁しながら言うと、人の目があるからそれは無理みたいなことを言われた気がします。まぁ当たり前にそれはそうと言った回答です。僕は頭を抱えながらホテルに帰りました。

すると、帰り道に突然謎の鍵垢から僕のTwitterアカウントにフォローがきており、お?もしや時代がきたか?と慌てて見るとすぐにフォローを外されていました。当時NGT48はTwitterを公式ではしておらず、プライベートアカウントを使ってTwitterを見ているメンバーが数人いるというような感じでした。

アイドルとファンが繋がる際の第一アクションとしてTwitter鍵垢からのフォローというものは今ほどインスタが流行っていなかった当時割とありがちなパターンで、その後そのアカウントとDMで連絡をとり、LINE等に移行という流れが王道だったと思います。それでフォローが来た僕は一度舞い上がったのですが、我に帰りこれは推定誤フォローじゃないか?と気づき、

はぁぁ。。。

となりましたがそこは転んでもただでは起きないぶんとく、そのアカウント周りを調べ始めます。そうするとBさん、女、男、男のプリクラをBさんの友達らしきアカウントが投稿しているのを見つけてしまいます。なんともいえない感情でした。実質振られて(勘違い)挙句の果てには男と遊んでるのを知って。ショックとかではなく、悔しいなって気持ちが大きかった気がします。次の日も300枚ぐらい握手券があり、正直いくか迷ったもののもうこれで最後にしようと思って握手に向かいました。

どうせ最後だから良いやと思い、Bさんにストレートに昨日プリクラを見つけてしまったことを告げると、あれは友達だと説明され何も言葉が出てこず、そうか。みたいな適当な相槌を打ち、昨日言った話も聞かなかったことにしてとだけ言って握手時間を3.40分残して握手のブースを出ました。

結局今でもそのプリクラの真相は知らないんですが、たしかに普通に友達の可能性も全然あるのにもうどうでも良いやと思ってただただ崩壊していました。ここまでのことを簡潔にまとめると、勘違いしたヲタクがアイドルに誕生日プレゼントを用意して断られ、男と遊んでるプリクラを勝手に見つけて崩壊。1人で何してんだよホントに。。。親泣くぞ。。。

ちなみに親とはこの頃関係が少し良好になり、高校4年目をなんとかこなして最低限のことを自分でするならもう好きにしていいよと言われ、任せろと返し関係を修復しました。

その裏では失恋したので頭丸めますもう知りませんと宣言して丸坊主にし、毎日大量のお酒を飲み精神崩壊して寝落ちするという生活をしばらく続けました。今思うと何がしたいのかわかりません。

48グループのメンバーの誕生日付近では生誕祭というお祝いが劇場公演で行われるのですが、急に生誕は行きたいなとなり、行くわ決別してくるわ!とかなんとか周りに言って観に行きました。ちなみに用意したレインボーローズの花束は新潟の夜の海に思いっ切り投げました。こちらはりきや監修で撮った動画がYou Tubeにあるので気になる方にはURLを送ります。僕は恥ずかしくて最後まで見たことがありません。笑

無事?生誕祭も終わりこれから人生どうしようかなーと思っていた時、顔が1番好きだったにも関わらずなぜか通わなかった「推しメン」のことを思い出します。
そうだ、あの推しメンに行こう。と思いすぐに精神を切り替え、計画を立てました。
これはなんでかというと、NGT48に通っている間Bさんにだけ握手に行っていたわけではなく、友達の推しメンや周りのメンバーなどからもライブや公演でかまってもらっていたりしていて、このままNGT48から離れることになるのが嫌だなという気持ちがありました。

長かった。本当にここまで書くのが長かった。実はここまで1週間以上かかってます。
ここからが僕が書きたかった本題です。

そうしていわゆる推し変をした僕は例のごとくモバメをとります。そしてShowroomという配信アプリで配信を見始めます。普通にモバメに返信をしても今までみたいな返答が来るわけでもなく、配信にもコメントをするがたまーに読まれる程度。まぁそういうもんだろと思いながら握手券をとり、握手会へ。

この日のひと言めは今でも覚えています。

「思っていた人と全然違いました。笑」

なんで話したこともないのに自分の存在を知っているのか?という問題は、僕は全てのライブで最前にいて毎回悪目立ちしていたので別に不思議ではなかったのですが、言われた内容が理解でずに、

「どういうことですか?笑」

と聞き返しました。

その答えが、

「わたし、皆さんのような人たちのこと嫌いだったんです。笑」

あぁ、、、としか答えられませんでした。
しかし色々と話して行くと、モバメも全部返信してくれるし配信も見てくれてるしマメですよね。と言われました。

この頃、じゅんやりきやを始めとした周りの人たちからぶっ飛んだ話ばかり聞いていた僕は、なんとも言えない気分になってしまいました。
その他は普通になんでもない話をしてその日の握手は終わり、不思議な感覚で家に帰りました。

アイドル現場で頑張ってる(?)ヲタクがある日アイドルから他のヲタクと同じように平等に扱われ怒るというか不機嫌になるというのはあるあるだと思いますが、当時の僕もそのうちの一人で、誰よりも前でライブを見て握手も行き、時間もお金も誰より使っているんだから特別扱いしてくれよっていう思いがあったのですが、それを全部かき消されたような感覚になりました。

それから彼女に通いはじめ、最初は今度こそ自分も繋がりたい、どうすれば繋がれるかと考えていましたが、通うに連れてなんかそれも違うなとなり繋がりについて考えることをやめている自分がいました。
ただ諦めただけだろ言い訳するなという意見もあると思います。でも、僕は彼女との関係性が壊れてしまうのが1番嫌だったんですよね。話せば話すほどその気持ちが強くなっていくことに気づいたというかなんというか。

もしかしたらどこかで僕が強引に繋がろうとすれば繋がれたのかもしれません。今仕掛ければいけるんちゃうかこれ、そう思ったタイミングも確かにありました。それも完全に僕の思い込みというわけでもなく、そう思えるだけの環境が新潟にはあったし、実際に周りでも色々あって新潟に引っ越す人も出てきていました。でも、そんなことよりもこの関係性が崩れる方が嫌だなと。

周りからアイドルと繋がってから最終的にどうなったのかの体験談を聞く機会もたくさんあり、繋がったとしても必ず幸せになれるとは限らない、むしろ繋がらなかった方がよかったとなることもあると、男女関係において当たり前なことをこの時期悟りました。もし繋がれたとしても、今の関係より少しでも悪くなる部分が出てくるなら嫌だなとなり、繋がりたいという思いが消えていきました。

周りがどうこうよりも、僕の中で繋がるよりももっといいスタイルがあるわという考え方になってきていました。この時期ぐらいから他人にどう思われてるか、立場がどうとかが一切なくなりました。彼女のことしか考えてない、どうすればお互い良い関係になれるのかなと。

そうしていると総選挙シングルの申し込みがはじまりました。
そうです、あの総選挙シングルです。

当時彼女は研究生で、普段の公演や握手会でのファンの数や質を見たところランクインは厳しいと思っていました。どうせランクインできないなら僕が握手券を買い占めて投票券を売ればより多くの握手券を手に入れることができるのでそうしようかな、と少しは思ったんですが、別にいいやと思い直し1000枚ぐらいだけ買い、普通に投票することにしました。

結果は予想通りランク外。

彼女には今まで何をしてたのか、どうやって握手券をこれだけ買ってるのかなど全部正直に話していたので、また投票券売ってるんじゃないかと思われてもおかしくないよなこれ、、と思って軽く憂鬱だったんですが、会ってみたらごめんなさいと言われ、申し訳ない気持ちになったのを覚えています。

そこから色んなことを話しました。自分はこんな気持ちでライブ、公演を見てる、こういう気持ちで握手に来てるとか。今まで通ってた子には自分を大きく見せようとして、あることないことを言ってたんですが、彼女には全部正直に打ち明けました。アイドル現場で等身大の自分で居るのが楽でそれに応えてくれるのがこんなに心地いいことなんだと。
今までのように自分勝手な考えをすることもなく、心の底からヲタクを楽しんでいました。

そうやって全力でヲタクを楽しんでいるとあっという間に1年経って次の総選挙シングルの時期が来ました。総選挙時期になると総選挙対応と言ってメンバーが突然ヲタクに対して丁寧に対応したり、アピールしたりするのが恒例行事なのですが、この頃になると僕もある程度アイドルに慣れていたので、総選挙対応ええって。みたいな感じになりながらも彼女に限ってはそんなアピールはしてこないし大丈夫なはず、、と思って安心していたら、

今年は絶対にランクインしたい!!

と言い始め、はぁ、、、となりました。
くわしく話を聞くとどうしてもランクインしたい、別に投票はしなくていいから少し我慢してと言われました。初めてそんな感じで言われ、冷静になったら今まで自分はこんなに楽しませて貰ってきたのに彼女に何も返せてないなと。

48グループのいいところのひとつだと僕が思うのは、僕たちが使ったお金が直接メンバーの給料に反映されるわけではないところだと思うんですよね。

全てを否定をする訳じゃないんですが、直接歩合やバックのある水商売、地下アイドルの接触ってどこまでもこれもしかしてお金の為なんじゃないかってのが邪魔をするというかなんというか。
逆に48だとこの握手券にいくらかかってるかわかってんのかとか、これだけ握手券が高いのにメンバーに全然渡らないなんて運営の搾取だとかいう批判もあるんですけどね。 
でも少なくとも僕にとって理想のアイドルっていうのは、
努力がすぐには結果に繋がらない、報われるかわからない物に人生をかけて頑張ってるっていう姿が好きで、ヲタクに嫌なものは見せない、感じさせないってところが僕の中で時間とお金をかけられる最大のポイントで、その場しのぎのビジネス感を出されたり、直接的に集金されてるなって感じてしまうとなんか嫌になっちゃうんですよね。

もし仮に、48グループが最近の地下アイドルのように握手券の枚数に応じた歩合制で、これがバック50%だったとしましょう。
僕が300枚まとめ出しをします。30万円です。
握手会に行きます。握手券の束をスタッフに渡します。
この内15万円がこの子に入るんだなというのは特に考えなくてもお互いなんとなく理解はしながら話すことになると思います。
それで握手後、
「まとめ出し楽しかったからまた来てよ」
と言われたところで、素直に喜べますか?
僕は喜べない側なんですよね。笑
握手券にバックがないことによって、アイドルがお客さんを接待するっていう形じゃなくて、ギリギリ人間対人間(アイドルとヲタクなんですが)の関係が成立してたのかなと今思います。

総選挙も少し似てるところがあって、いかに効率よくお金を投じていくかのゲームのようなシステムに嫌気が指しちゃってたというかなんというか。最初はその時2000枚ぐらい買ってたのでそれだけ投票しようかな〜と思ってたんですが、それではあまり彼女に恩返ししたことにならないなと思い、頭を抱えて悩みました。
悩んだ時点でもう何かをすることは確定してるんですけどね。笑

これはわかる人ならわかると思います。
"正義の味方じゃないヒーロー" 、これです。

総選挙の投票の流れを簡単に説明すると、

CD発売1.2日後にまず速報順位発表というものがあって、その順位と票数を踏まえた追い込み投票期間があって最終発表なんですよね。

速報で高順位につけることで、話題にもなるしファンのモチベーションやメンバーの期待や安心感にも繋がるので、投票券の相場は速報に投票が間に合う初日がまず高くなり、そこから徐々に安くなって行き、締切直前にまた上がるというのが当時のセオリーでした。
僕がやったのは、速報で自分が買ったCDについていた投票券を全部投票して、その後値段が落ちてきたらひたすら買い続けて平均購入価格を下げ、最後上がるタイミングで購入にかかった分だけ売って残りは投票。実質0円。
いつの間にかそれくらいのことはできる人脈と資金が出来上がっていました。
たぶん自分が買った分+1000-1500枚ぐらいを浮かせて投票したと思います。
結果、彼女は速報ランクイン、最終発表もランクイン。
仮に僕が1枚も投票してなくてもランクインしていた票数を彼女は獲得していたんですが、それでもちょっとは貢献したかなという気分になっていました。
その総選挙で起こっていた違う意味で大変なことはまた別のお話ということで割愛します。

それから少しして、毎回新潟に通うのも大変だな。と思うタイミングがありました。
これに関しては総選挙の1/10も悩まず、自分の中で答えがでました。

簡単です。新潟に引っ越しました。

人生を賭けてヲタクを貫こうと思い、彼女が最後の推しメンという気持ちで新潟に住み始めました。

新潟に引っ越した最大の理由としてはストレスフリーで劇場公演に通えるというです。
古のヲタクからすると新規がなにいってんだて感じだと思うんですが僕は公演が本当に好きで、同じ演目を何度も何度も見て新たな発見や成長を見れるのがたまらなかったんですよね。
席は当日ビンゴ抽選でいい時もあれば悪い時もあるんですけど、それもまたいいというかなんというか。
劇場に家から2.3分でコンビニにいくような気分で行ける。僕にとってそれだけでも新潟に住む意味はありました。
この頃母との関係は完全修復しており、母に
「親の葬式と推しの公演が被ったとして、推しは生きてるので僕は推しの公演に行きます」と伝えていました。
今でもこの考えは変わらないし、それ程公演というものに価値を感じていました。

書きながら振り返っているとホントに楽しかった、嬉しかったことしかなかったなとつくづく思います。
本当はどのイベントがどうでどんなのがどう嬉しかったーみたいなことを書こうかなと思っていたんですが、その辺の細かい話は需要があれば書きます。笑

彼女がアイドルをしてる限り最後まで通い続けようと思い、通っていたんですが、ここである事件が起きます。NGT48と言えばあれというやつです。当時アイドル業界だけでなく世間も巻き込みとんでもない騒ぎになり、僕も一緒にヲタクをしていたということで48グループを出禁になりました。
この件に関して当事者以外で1番真実に近い事情を知っているのは僕だと思います。知りたい方には個人的に教えますが、ここで言えるのは世間で言われているような話と実際起きたことは全く違うということです。
その辺りやNGTの面白い話はあえてカットしているので、もしこのnoteの反響がそこそこあってお前もっとNGTについても語れよという需要があれば、突っ込んだ内容の記事を追加で出そうとは思っています。笑

僕は出禁になってNGT48に通えないショックと言うよりも彼女の最後の姿を見れないということが悔しかったです。
僕が人生を賭けて選んだ選択が絶対もう叶わない。それを頭では理解できても気持ちが追いつかないという状態でした。
正直、原因になった当事者達にはなんにも思ってなくて、彼女に迷惑がかからなければ何でもいいけど、、ぐらいでした。

それから3.4ヶ月ほど経った後、また東京に引越すことになり新潟から離れました。

・初めての社畜

東京に引っ越したはいいものの特にすることもないので3.4ヶ月ダラダラとニートをしていました。そのタイミングで知り合いに港区のラウンジで黒服してみない?人探してるらしくてと言われ、暇だし働いてみるか〜と思い面接に行くと、無事合格。これが人生初バイトです。

この頃は転売もやる気をなくしほぼしておらず、ただ単に貯金で生活してるニートと言った感じだったので、家賃くらいは稼ぐかというつもりでバイトをしていました。

実際やってみると結構楽しく、6.7ヶ月ほど週4で働きました。その生活にもある程度慣れて来た頃、また知り合いからコンカフェ(分からない人は調べてください)の店長しないか?と声をかけられたので、まぁやってみるかと思いコンカフェの店長に身を転じました。

これが1年半ほど続いたんですが、無茶苦茶大変で、女の子とお酒を扱う仕事なのでトラブルが起きないよう管理も大変だし、接客の指導もしないといけない、人間関係も複雑、と人生初の課題の連続で日々死にかけながら働いていました。

空いた時間にキャストと話していると彼女のことを思い出すことが多く、よくこんな僕を相手してくれてたな〜と思うことばかりでした。

そんな感じで約2年くらい外に出て働いていました。
感想としては今後二度とコンカフェでは働かないとだけ言っておきます()

・最後に


長々と書いてきましたがここらで終わろうと思います。

ここまで読んでくださった方々へ。
こんなしょーもない自分語りを最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
繋がれなかったヲタクのお気持ち表明みたいになってますが、アイドルと付き合っていたこともあれば、繋がってたこともありますけどね!(強がり)
もし、会う機会があれば感想を教えてください。喜びます。笑

お世話になった人たちへ。
まず、全てを振り返り思ったことは本当にいつも周りに助けられ、ヲタクをしていたんだと改めておもいました。
いつも周りで見守ってくれていて、本当にありがとうございました。
あとこんな僕を拾い上げ、ここまでにしてくれた方々、本当にありがとうございました。

そして推しメンへ。
僕に優しく接して、僕を楽しませてくれて本当にありがとう。
卒業公演を見て、いつまでも僕に優しいんだなと思うと同時に「あなた」に心酔してたんだなと思います。
僕の人生を「あなた」へ賭けて、僕は心の底から幸せだと思います。
生まれ変わってもまた「あなた」でヲタクをさせてください。
心の底から「あなた」のことが好きです。

最後までありがとうございました。
では、また。

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