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スキルなし、希望なし、毛なしのフリーターからフリーランスになった僕の話。

子供の頃は真っ白ものを汚すのが好きだった。

綺麗な服もいつも泥だらけにしては家に帰ってオカンに怒られていた。

そうやって真っ白なものを汚しながら人は大人になっていくんだろうなと思春期の僕は少なからず思っていた。

フリーランスになろうと思った1年半前

僕はフリーターだった。

「俳優として有名になりたい」
高校生の時にそんな夢を抱いた僕は東京の大学に行くことを決めて、上京してきた。

大学では演劇のサークルに入って舞台の面白さを見に染みて感じていた。
そうして、大学在学中から商業舞台の現場に裏方として関わらせてもらいながら芸能人たちのきらびやかな世界を感じていた。

そんな生活が楽しかった。
単位はたくさん落とした。
学校にも行かなくなった。

同期たちが就職を決めて行く中、僕はまだ大学生だった。
舞台の現場に行きながらバイトする日々。
なんとか少し遠回りをして大学を卒業した。

久しぶりに会った同期たちは会社の愚痴を言いながら楽しそうに昔を懐かしんでいた。

僕には何も話せることがなかった。
周りから見れば売れない役者の僕。
ただのフリーターだった僕は会社の愚痴を言いながらそれでも会社に行く同期を見下した、そして、少し羨ましく思った。

今思えば、僕の方が残念なやつだ。
自分よりも他人のことが気になって仕方なかったあの頃。
売れるかどうかもわからずにただがむしゃらに舞台に出てはバイトでお金を稼いでなんとか生活していたあの頃。

全てが羨ましかった。
頑張れば誰かが見つけてくれると思っていた。

それはただの希望でしかなかった。
周りの役者の先輩たちが30歳を境に辞めて行く中、僕も26歳になってアラサーに差し掛かってきた。

少しずつ見にきてくれる人は増えたものの一向に前に進んでいる気がしなかった。
どこに進めばいいのか。
正解は右か左か。

そんな真っ暗闇の中を手当たり次第に模索しては進んでいたように思う。

そんなことをしながら退屈がどこまでも続く惰性の延長線上の日常を貪りながら、来る日も来る日も生きるためにバイトをした。

接客するのは嫌いじゃない。
むしろ好きだ。ただ僕のやりたいことはこれじゃない。
少しずつ足元から焦りが這い上がってくるのを感じた。

「これが僕の本当にしたいこと?」

歯がゆい思いだけが僕を追い越していった。
それが26歳の春。

そうして、中身のない毎日を過ごし26歳の夏が終わろうとする頃に一本の電話がきた。

浪人時代の親友からだった。

そいつは大学生の頃からバックパッカーとして世界を飛び回りながら現地の人たちの写真を撮りまくっていた。

卒業してからも青年海外協力隊としてアフリカでコミュニティ形成をしたり現地の人たちに農業を教えたりしていた。

「東京で写真展やりたいねんけど、ええ場所知らん?」

大阪で2度の個展を成功させて、東京で個展をやるための場所の相談だ。

美術館に行くことが好きで画廊なんかも回ってはいろんな作品を見ることを楽しみにしていた僕は知っている限りの場所をそいつに教えた。

「うーん、どこがええかなぁ。ちょっと調べてみるわ!」

彼はそう言って電話を切ろうとした。

本当に自分のやりたいことってなんなんだろうかと思いながら毎日を過ごしていた僕にとっては彼が羨ましかった。
楽しいの中心になりたかった僕は楽しいことをしたいと心底思っていた。

そして、彼が電話を切るよりも早く、僕の口が動いた。

「てかさ、一緒にやらん?」

そう言ってから少し間があったように思う。
僕は何をやればいいのか決めていなかった。
ただ楽しいことを大阪時代の親友と一緒にやりたかった。

そうしている間に彼から返答があった。
「おっ!ええで!でなにやる?」

僕は脳内をフル回転させた。
そして、一つ自分がやってみたいことを彼に提示した。

「絵描きたいねん」

僕は趣味で一年に何回か絵を描いていた。
絵の勉強なんてしていない。
ただ、絵描きになりたかった父親が買い揃えたゴッホ、ゴーギャン、ピカソなど名だたる有名画家たちの画集を実家にいる時にたまにパラパラとめくっては楽しんでいたのを覚えている。

そうして快諾してくれた親友と一緒に26歳の最後の冬に個展をすることが決まった。

ただこの時に描いていた絵は作品というにはあまりにも酷いものだった。

そうそう、その時の個展内容も話した。
内容はこんな感じだった。

カメラマンの彼は写真を展示する。
その写真一つ一つにエッセイを添える。
僕はそのエッセイからインスピレーションを受けて、絵を描く。
お互いの絵と写真は個展当日まで見ない。
言葉からお互いの作品を作ろう。

今思えばなんとも無謀なことをしたと思う。
趣味程度で誰に見せるわけでもなく絵を描いていた僕がいきなりこんなハードルの作品をつくる。ただそんなことを思う余裕もないほどに楽しさだけが僕の心を満たしていた。

個展をするのは決まったものの何をすればいいかわからない。

元来、怠け者の僕はただただ絵の勉強をするわけでもなくバイトをする日々をまた送ることになる。

惰性で続く日々をまた貪りながら一歩前に進んだかと思えばまた元の場所に戻る今日を過ごしていた。これが26歳の秋。


そして、26歳の冬がやってくる。
この頃から少し変わり始めていたのか色んなところに飛び込んでは人に会うようになっていた。

そして、年末にある人に出会うことになる。
その人は子役の頃からドラマのレギュラーとしてテレビに出ていた、僕にあったその時は誰もが知ってる俳優さんの付き人をやりながら自分の好きなことだけをしていた。

その人と何を話したかは覚えていない。
ただ一つだけ質問をされたのを覚えている。


「自転車の前輪と後輪どっちが大事だと思う?」

僕は少し考えてこう答えた。
「後輪」

「なんで?」

「自転車を動かしてるのが後輪だからです。」

「じゃあ前輪無くなったら自転車って動く?」

「……動かないです」

「君のやりたいことってそういうことだと思うよ。一つを選ぶんじゃなくてやりたいこと全部やったらいい。全部、君にとって必要だから」

僕は自分のやりたいことを自分で勝手に決めていたかもしれない。

個展をやることも夏に決まった。
その個展が3月に控えている。
このバイトばかりの生活を続けてちゃダメだ。

僕は年が明けてすぐさまバイトを辞めた。
お金はない。
ただ絵を描きたいと思う思いだけはある。

ガムシャラに描いた。
画材も何がいいかわからない。
描き方もわからない。
僕はグーグルを頼りに画材を決めて思いつくままにエッセイから自分の作品を作っていった。

初めての個展が終わった。
バイトする日々に飽き飽きしていた、惰性を貪りながら過去と他人任せの希望を抱いていた昔の僕はここで終わった。

この個展を機に僕は絵描きだと会う人会う人に言いまくった。
まだ個展を一回やっただけに過ぎない。

ただ、言わないと何も始まらないと26歳の夏に親友に「てかさ、一緒にやらん?」と持ちかけた僕は気づいていた。

そうして、ありがたいことにたくさんの仕事をもらった。

僕はやりたいことは全部やると決めた。


フリーランスになって1年半

今はしゃべりクリエイターとして
MC、デザイナー、イラストレーター、ペインター、役者を生業にしている。

ありがたいことにスキルも知識もなかったフリーターだった僕は好きなことを仕事にして毎日を楽しんでいる。


子供の頃は真っ白なものを汚すのが好きだった。
真っ白なものを汚しながら大人になると思っていた。
一つのキャンバスに色をのせて死ぬ頃にはぐちゃぐちゃになっているのが大人だと思っていた。

今は少し考え方が変わった。
たぶん、毎日が真っ白なんだと思う。

毎日、スケッチブックをめくるみたいに新しい真っ白なキャンバスに色をつけて、それをどんどん積み重ねていくのが大人なんだと思う。

ここまで読んでくださってありがとうございます。
フリーターからフリーランスになってガムシャラに走り続けてきた1年半
まだ右も左もわからないことはもちろん、正解なんて一切わかりゃしませんが、自分の行きたい道だけはわかるようになりました。

それがどこの方角かは進みながら探します。


真っ白な毎日は今日も素敵だ。


しゃべりクリエイター
岸本学


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