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幕間

 初めましての方も、もう漫画(といってもまだ2話しか描いていませんが)を読んでいただいた方々も、すでにinstagramなどで知り合いの方も、改めまして「ayato.oe」と申します。
 noteでは漫画のみを坦々とアップしていこうと思っていたのですが、次のお話を描くのになかなか手間取っていることもあり、簡単な自己紹介をしておいた方がいいかなと思い、筆をとった次第です。

福岡県の海と山に挟まれた港町で産まれ、凡そ19年間福岡で生活しておりました。
子どもの頃から絵を描くのが好きで、漠然と美術の道に進みたいなと子どもながらに考えていました。高校生くらいになり一時、教師になろうかななどと考えたこともありましたが、親の後押しなどもあり、2年間の浪人の後、某美術大学への入学をきっかけに上京しました。

大学ではプロダクト(製品)デザインを学んでいましたが、プロダクトらしいプロダクトの作品は作った覚えはあまりありません。ちょうど僕が入学したころ、デザイン界隈、特にプロダクトデザインで「モノ」のデザインから「コト」のデザインに注目が集まりはじめた時期で、そういった考えが面白いなーと思ったところから、「モノ」を取り巻くあらゆる事象に関心が僕の作品作りのバックボーンになっていったように思います。
もともと本好き(特に漫画と小説)だったこともあったり、1年生の時に受講した漫画文化論の課題で初めて漫画を描き、2年生(3年生だったかも)の時にも漫画を作品として出したり、卒制は書籍に関する作品を作りました。
その後大学院に進学し、書籍について装丁デザインとは違う本を「立体物」として捉えてデザインを考える研究をしてました。

大学院卒業後は就職活動がうまくいかず、その日暮らしの日々でした。
先数日分の食費や交通費、奨学金の返済額を稼ぐために働くだけで、着ぐるみのアルバイトや選挙の受付係、飲料のピッキング作業など派遣で日給を貰う。そんな毎日を送りながら、就職活動を続けていました。

3〜4ヶ月ほどそのような生活を送り、最終的に美術予備校の講師としてアルバイトとして雇ってもらうようになり、現在はイラストの仕事とデザインの仕事が1年に一度くらい、知人などを通じてもらうこともあったりもしますが、予備校での講師業が主な収入源になっています。

しかしながら、去年の10月からパニック障害を発症してしまい、電車に乗れなくなり、対面で人と話をできなくなってしまったり、人が多い場所に行けなくなってしまったことから、現在無職(正確には1月末から予備校の事務作業をわずかながらテレワークでさせてもらっています)。
パニックの原因は、パニックになる数日前に、同じ電車を隣で待っていた女性が電車が到着したとたんに倒れてしまい、僕を含め数人の人で介抱していたところ、後ろに並ぶ人たちが、次々と電車の席を取ろうと僕らや倒れた女性を跨ぎながら乗車するのを見て「もし自分が倒れた時誰か助けてくれる人はいるのだろうか?」という不安が浮かんでしまい、それがフラッシュバックしてしまい電車が怖くなってしまいました。

しかし身体的には至って健康(不摂生による体調不良と腰痛と昔からの胃腸の弱さは除く)だったため、働けない時間を何か有効に使いたいと思い、noteでの漫画投稿を始めました。いつか自分の考えるストーリーを形にしたいという思いは学生の頃、作品作りを行なっている頃から今まで思い続けてきたことでした。文才があれば小説を書いてみたいと思ってもいたのですが、いかんせん才能がなく、書き溜めていたネタを漫画という形で表現することにしました。

今のこのギリギリの生活の中考えることではないかもしれませんが、いつか自分の作品(漫画も絵もそのうち小説も書けたらいいな…)を書籍という形にできたらなと思っています。

基本的にはnoteに上げる漫画はしっかりと最後まで読んでいただけるようにするという方針は変えませんが、今後、最後に有料のおまけをつけることを考えています。内容は未定ですが、ボツ案やキャラクター・物語が生まれたきっかけ、作品の解説、ちょっとしたイラストなどを追加しようと考え中です。もしよろしければそちらの方で支援いただければなと…(普通の支援も大歓迎です)もちろんただ漫画を読んでいただくだけでも結構です!できれば「スキ」とコメント頂ければありがたいです。今の自分にはとても励みになっております。

ながながと自分語りをしてしまいましたが、これからも素人レベルではありますが、僕の描く漫画を楽しんでいただければと思います!よろしくお願いします。

宜しければサポートお願い致します。いただいたサポートは作品集を作るための資金にさせていただきます。