「ように」の曖昧性
「同校では長期間にわたり他の公立校のように他校や教育委員会との人事交流がなかった。」
— ぶんぽう (@cielJF) January 16, 2024
この文の意味として,まず頭に浮かんだのは?
大半に「国歌」指導せず、道徳は全校集会で代替 国立奈良教育大付属小https://t.co/YNbdckaIak
— 産経ニュース (@Sankei_news) January 16, 2024
不適切な指導は国語や外国語などの教科でも確認。一部の教員に対し公立中出身の学校長の監督権限が機能しない状況が常態化していたとみられ、文部科学省が指導に乗り出した
「同校では長期間にわたり他の公立校のように他校や教育委員会との人事交流がなかった。本来は校長が学校運営の意思決定を担うが、教員の影響力が強まり、ガバナンス(組織統治)機能不全状態だったとみられる。」(https://www.sankei.com/article/20240116-PKPAYEMILFOBTKAQTKVVN5NGPI/)
否定文で「ように」の解釈(かかり先)に曖昧性が生じる,という話は,岩淵悦太郎編『悪文』にも出てくる(執筆担当者は水谷静夫。角川ソフィア文庫版だとp.205から)。 https://t.co/8XOaX3isl3
— 茂木@主に連絡用 (@tmogi_nichibun) January 18, 2024
ちなみに,畠山・本田・田中(2015)『日英比較構文研究』(開拓社)の「まえがき」に,この種の「ように」の曖昧性について「この特徴は私たちがかつて学術誌で発表するまで話題にさえ上がらなかった」と書いてあって「ひえー」と思った(『悪文』初版は1960年)。 https://t.co/VDNYMeyiZE
— 茂木@主に連絡用 (@tmogi_nichibun) January 18, 2024
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?