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歌丸さんの言葉 (苦言)

アキラ100%氏の、裸にお盆一枚で隠して、見せてはいけないものを見せないようにお盆をひっくり返すという芸を見たあと、歌丸師匠が苦言を呈した時の動画があった。

歌丸さんの言葉、ほんとにそう思います。-
https://share.buzzvideo.com/al/hdyFTTyF


「(動画にない部分)
日本語っていうのは日本の文化。その文化を一番使っているのが我々、噺家だと思いますよ。
それを笑いに持っていってる。

(動画部分)
いま失礼ですけれども、日本語を使わないで‥つまり笑いをとっている芸能人の方が大勢いらっしゃるじゃないですか。
これも、言っちゃ失礼ですけれども、裸でお盆持って出てきて何が芸なんですね?
頭の毛ただこうやってやるだけで何が芸なんです? そうでしょ?
私は違うと思うな。ああいうのを見て「面白いな」「うまいな」と言われちゃ困るんですよ。
やっぱり、日本語であり、日本語の文化である日本の言葉を使って笑いをとるのが芸人であり、我々「噺家」だと思いますよね。

(動画にない部分)
だから大いに日本人に聞いていただいて、日本語というものを、もっともっと理解していただきたい。
ちょっと望みは大きいかもしれないですけど、そういう気でいます。

〜・〜・〜・〜・〜・〜

この動画を見た時に、みなさんは直感的にどう感じましたか?

私は安心感がありました。歌丸さんは「まともだな」と思いました。

コメント欄には様々な声があり、
「喋らないで笑わすのも芸」「老害」「色々な芸がある」「特定の個人をこの場で批判したことは問題」「(歌丸氏に)がっかりした」「不必要な言葉」「愚かな老人」「笑点よりアキラ100%の方が面白い」「アキラ100%はやりきっているので立派な人」「芸能の将来を案じている言葉」「お盆の方や永野で大笑いしたりひととき幸せになる人がいるのはエンターテイメントとして成立する」「落語が一番ではない。失礼とわかっているなら言うな」「笑いのツボは人それぞれ」「人の事にいちゃもんをつけるな」「否定するな」
などがありました。

ブルの考えを書こう。(ブルの「note」なので)

私は歌丸師匠を笑点でしか見た事ないのですが、それとは違う姿を見れたので動画アップしてくれた方には感謝したいと思います。
私は当時の歌丸師匠のコメントはとても良いものだったと思います。

私は「私がアキラ100%氏だったらどう考えるかな」という視点で考えてみました。
まず私はアキラ100氏に対して偏見はありません。人としてとても優しい人なんだろうなと思います。
なのでコメント欄の「(アキラ100%氏は)立派な人」というのにはおそらく共感しています。

日々仕事で頭脳を使って疲労しているときホッとつける笑いは「わかりやすい笑い」です。
そこの需要などから「裸芸」は生まれるべくして生まれたものでしょう。
「裸芸」は本人も仕事として、プロがやっているので、「下に見られる笑い」を率先して受けていますがそれは本人は折込済みでしょう。

明石家さんまさんは以前、芸人に対して「自慢するな(人の上から芸をするな)」という内容だったかな?
芸人は「笑われる」「笑かす」ことを「プロ」でやる人間だから、(さんまさんはたくさん納税しているが)「たとえば国の人から「たくさん税金おさめてくれてありがとうございます」って言われたら(そういう雰囲気があったら?)誰も俺らのこと心から笑われへんようになるぞ。」と言っていてなるほどと思った。

(※少し記憶が曖昧なので、誰かこの時の画像持ってたらアップしてくださ〜い。さんまご殿です。)

そして、少し脱線しましたが、また脱線します。

「裸」について、みなさんはミケランジェロの「ダビデ像」についてどのように感じますか?

「美しい」ですよね。これぞ西洋の芸術という感じがします。彫刻の技術も(わからないですが)素晴らしいでしょうね。

私はこれを写真で見るたび、私はほんのわずかな違和感がありました。
西洋では「〇〇」を他の人に見せる(見える)のは「下等な人」みたいなものがあります。

実はミケランジェロはダビデのことが嫌いでこの像を作ったとも言われています。
そうではない、など色んな説がありますが、私はこっちが正しいのではと思っています。
だって現実にいたら「服着せてあげなよ」的なものが湧き上がってくるから。

ミケランジェロの心の中にあるダビデへの「憎悪」はほとんどの人は気づきませんでした。




さて、歌丸師匠が呈した「苦言」の話に戻りますが、歌丸師匠がアキラ100%氏のお父さんの場合、どうでしょうか?
おそらくアキラ100%氏は割とシンプルな性格なのだと思うのですが、もしこういう苦言を言わないお父さんだったら?私は「父親の意味あるの?」って私は思っちゃいます。
「親父の言うことはわかるけど俺はやるよ」ってなるかもしれませんが、それでも苦言が真剣なほど愛情が感じられる気がします。

今のお父さんはそういうことは言わずに、良いよ、良いよと「色々な笑いがあるからいいんじゃない」って言うのかな?

例えばお金をもらう対価として一時的にそういうことをやったとして、それに対して歌丸師匠は何も思わなかったんじゃないかな?
それで(生きてく為の)お金を稼いだ、つまり「そのお金は汚い」とかで怒ってるんじゃないよね?

私は歌丸師匠は多分どうでもいい人がやっていたら、言わなかったんじゃないかな、と思います。
今の時代、コメント欄にあるようなバッシング浴びる可能性もあると十分わかっててそれでも言ったのだと思う。
それは、アキラ氏に伝わると思ったから。

私はアキラ氏がどんな気持ちかは知らない。
お金が稼げるからとか、純粋に人の笑顔が見たいからやっているのかもしれない。
そのネタが受けてしまってやらざるを得ないかもしれない、なるべく自分の体を人に見せたい人なのかもしれないし(まあ、それはないでしょう(笑))わからないのだけど、
もし息子がそれをやり続けていて、お父さんがこういう苦言をしていたとして、それを見た時「否定をするな」って怒りが湧いてくるものなのかな。

「歌丸師匠は他人なんだから否定はするな」って意味だとは思うんだけど、良いことを言っているように見えて、人の気持ちを考えている人のように見えて、私は本当は人の気持ちを考えていない人なんだと思います。
アキラのことがどうでも良いから言っている言葉なのに、きっと言ってる本人は気づいてないであろう。


‥眠たくなってきたので続きは明日(か、明後日か明明後日か、その次ぐらいに)書きます💤

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