人間のあたたかさが勝ち
エステとかスパに行って、
終わった後お茶を出してくれるけど、
一緒に砂糖や添加物ゴリゴリのお茶菓子も添えられてることに違和感。
でも何故か、その違和感に癒される。
癒されるって表現が合ってるのかはわからないが、なんというか、肩あたりがじんわりしてきて、その後首から頭にだんだんそのじんわりが上がって来て、
身動き取りたくなくて、ボケーっとしてたい感じで、動きがゆっくりになる。
相手に話す時もゆっくりになる。
この状況を私は
癒された
とカテゴライズして生きて来た。
自分の当たり前とピタッとマッチしていない相手との違和感。
本来なら違和感というものは不快なもの。
しかしこう言った場合、その違和感の中にある想い、
その想いが勝つということか。
あーなるほど。
作った料理が不味くても、美味しいって言って食べるのも、もしかして同じあれが働いているのだろうか。
具体的に言うと、
あるリラクゼーションエステでは、洗濯機で洗い、濡らしたおしぼりとお茶と丸くすくったアイスクリームふたつが添えられていた。
からだを温めプラスになるリラクゼーションと
からだを冷やしからだにとってはマイナスになるアイスクリーム。
しかし、衛生面では間違いない使い捨てや業者に頼んだおしぼりではなく、そして手洗いしたであろうアイスを食べる時のスプーン、
外は蒸し暑く、涼んでもらいたいと言う気持ちからのアイスクリーム。
からだにとっては本来マイナスでも、心にはプラス。
大切なのはこう言う事か。
ちなみにこの感覚を初めて覚えたのは、
幼稚園に入ったか入ってないかの時だと思う。
一緒に遊んでいた自分よりも小さい子が、おもちゃの塩を私の手に出し(た振りをして)
私はそれを食べる振りをする。
これをその子は気に入ったのか何度も何度もやって来て、
意味不明だったし、飽きてくるし、疲れてくるし、too muchで、違和感で、同じような感覚になったのを覚えている。
何故覚えているかと言うと、恐らく年齢を重ねても何度も思い出していたからだ。
そのことを思い出すとふわふわした感覚になり、心地よかったからだ。
人間の不思議。
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