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精強な部隊(組織)の作り方②: 継続的な訓練の絶大な効果

 自衛隊の新隊員教育隊、警察学校、消防学校の教育の厳しさは中途半端なものではない。つい先日まで高校生や大学生であった者が僅か数ヶ月の教育で見違えるように成長し、教育の修了式に参列したご両親や学校の先生方に自然と感謝の言葉を述べ、その変化に大変驚く人が多い。当然のことながら、その道は平坦ではない。残念ながら途中で去って行く者もいなくはない。彼ら彼女らは厳しい訓練を経て立派な自衛官・警察官・消防士の一員となる。しかもその数ヶ月を共に乗り越えた同期生の絆は一生ものである。
 
 さて、厳しい訓練の先にあるものは何か?それは「精強な部隊(組織)の作り方①: ローマ軍の訓練」でも述べた、真に精強な部隊である。真に精強な部隊とは、単に優秀な隊員の集まりではない。一人一人が秀でていることは勿論のこと、組織として比類無き力を発揮出来ることが必要である。
厳しい訓練の先に、指揮官を核心とした強固な団結が生まれ、厳正な規律が維持され、旺盛な士気に溢れる真に精強な部隊が生まれる。自らの体験として、これが正しい道であると認識している教官達であっても、その由来まで知っている人は少ない。由来まで知って教えている教官が本物の教官であろう。
 
 かつてのローマ軍団の時代から現代の軍隊・自衛隊までも訓練は常に非常に大切なものとされて来た。しかし、驚くことに集団で継続的な訓練をすることが如何に重要なことであるかは、17世紀初頭までは各国とも深い認識は無かった。
 
 西暦1600年頃のオランダにマウリッツと言う人がいた。オランダの総督にして、オランニュ公にしてナッサウ伯マウリッツ(1567年~1625年)は、当時、軍事革命と言われた各種の大改革を実現し、常勝と言われたスペイン軍のテルシオを打ち破った。その大改革、特に軍隊の指揮統制や教育訓練は現在の軍隊や自衛隊も本質的に同じである。新入兵士に対する基本的な訓練、将校を教育するための士官学校(アカデミー)など、現在も引き継がれているものも少なくない。ちなみに、江戸幕府の初代将軍、徳川家康公に書状を送り、世界を侵略するスペインの危険性を説き、オランダとの交易にシフトさせたのがマウリッツであるとも言われている。
 
 さて、当時は軍の将校は貴族であったが、他方、兵隊は傭兵が主体であった。今ではフランス外人部隊やネパールのグルカ兵など精鋭の傭兵部隊もあるが、当時の傭兵は職人にも、農民にすらなれない社会の最下層のならず者であり、自分の命をつなぐために傭兵になったろくでなしであった。当然のことながら、食う物に困れば、直ぐに略奪行為に走る。また、暇さえあれば酒を飲み、博打を打ち、喧嘩をし、婦女暴行が絶えなかった。当時、少数の騎兵による偵察行動は無かったと言われている。本隊から離れた途端、傭兵達は逃亡してしまうかららしい。
 しかし、王侯貴族にとってはそのような傭兵も自己の権力を維持するための基盤となっており、排除することは無かった。むしろ、権力基盤が揺らがないよう、大切にしていた。
 
 ところが厳格なマウリッツは傭兵達が略奪、喧嘩、暴行どころか、ダラダラしていることすら許さなかった。平素、駐屯地にいる時は、暇さえあれば、ドリルを実施させた。現在で言うところの「基本教練」である。数名が一つの小部隊となり、指揮官の号令の下、適確に動くようになれるまで、妥協せず、厳しい訓練を行った。毎日、毎日、時間さえあれば、出来るまで継続してドリルを実施した。営門の警備要員(警衛)の交代も要領を規定し、ドリルで実施したように厳格に実施させた。
 しばらくすると、傭兵達に変化が現れたという。ドリルに全員が一緒になって取り組むことにより、協調性が芽生え、規律も良くなり、おのずと積極的な姿勢(モラル)が目立つようになって来たという。町へ繰り出しても略奪や争いごとが減り、子女に対する乱暴も減って来た。そのような部隊は戦場においても、命令一下、戦闘を継続し、ますます精強さを増していった。
 
 一見するとドリルは退屈な繰り返しに見えるが、ドリルというものには市民社会の最下層から徴募されて来た者を含む、あらゆる雑多な男達の寄せ集めを生命や手足を失う危険が歴然と差し迫っている極限状態にあっても命令に服従する精強なコミュニティに変えてしまう力があった。最近放映された陸上自衛隊のドラマを彷彿とさせるが、社会の最底辺のクズであっても軍事教練(ドリル)を通じて、「訓練精到」にして「団結強固」「規律厳正」「士気旺盛」な真に精強な部隊になることに他ならない。(ちなみに、最近の隊員は高学歴の優秀な隊員が多い。喧嘩ばかりしている自衛隊員は数十年前のことだと思うが・・・)
 
 重要なことは、軍事的知識も経験もない社会の最下層の人間でも、適切な訓練を施すことにより、立派な軍人となり、精強な軍隊となり、生死を超越して戦場で貢献することが明らかになった。更に、治安の改善は農業の生産性向上や社会の発展をもたらし、税収増加により、国家が更に豊かになることが分かり、多くの国王がマウリッツの改革を模倣することになった。
 
 話しは変わるが、剣豪宮本武蔵の言葉に「鍛錬」と言う言葉がある。鍛錬とは元々、刀鍛治が鉄片を叩いて伸ばしては折りたたむ。その作業を繰り返し刀を作ることを言う。しかし、武蔵は千日続けて練成に励むことを「鍛」、万日続けて練成に励むことを「錬」と言うと述べている。千日は3年、万日は30年。陸上自衛隊の陸士の1任期が3年、陸曹となり定年を迎えるまでが約30年。単なる偶然ではあるまい。奥が深いと思うのは私だけであろうか?

(参考: ウィリアム・マクニール著 「戦争の世界史(上)」中央公論社、写真: 自衛隊ツイッター)


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