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無邪気なTAKERから身を守るには

今週は特に疲れた。

連休から週前半にかけて不眠が続き、水曜日には体力も精神的にも限界を迎えた。
(元々平均7時間は寝てる)

心労の原因は他人から見れば、吹けば消し飛ぶ塵のようなものかもしれないが、自分にとってはショックが大きいものだった。

信頼していた人に裏切られた(気がした)。
(括弧書きにしたのは、真偽は確かめてないし、確かめる気もしない。)

面白いもので、一度疑念の渦が湧くと、振り返ったすべての行動が悪い意味で合点がいくと感じてしまう。

そして、信頼というものはジェンガのようにコツコツと積む必要があるが、崩れるのは一瞬である。

今は昇華傾向にある(と自分に言い聞かせている)ものの、ちょうど1週間前は怒りに震えていた。

何故そうなったのか?

人間だから、世代が違うから、セロリよろしく育ってきた環境が違うから。

アダム・グラント曰く、GIVERはGIVER同士で固まらないとTAKER搾取される。
これは理解していた。
ただ、目の前にいる無邪気なTAKERを、それと認識することができなかった。

普段のやり取りの中で、相手をGIVERかTAKERかを探りながら接することは稀だ。
人は会話の中から普段の行動の中に多様性と共通点を見出し、わかり合おうとする。
信頼という名のもとにおいて。

しかし、それは現実には成立しない。
なぜなら人は時間の経過と共に変質していくからだ。
そして、その変質を随時ウォッチすることは不可能に近い。

無邪気なTAKERから身を守る方法は簡単だ。
「人のことは信頼しない」
「わかり合おうとしない」
「理解した気にならない」

悲しい生き方だが、気を許せばGIVERは奴らに一瞬で喰われる。

一方で、別の視点で見れば大きな気づきとなったのもまた事実だ。

人間が死へと一歩ずつ近づいているのであれば、悩む時間は前に進む可能性をすり減らすのと同義。

DeNA南場智子さんがよく仰る
「コトに向かう」という言葉が好きだ。
コトに向かえる人生は素敵だし、それだけ熱狂できるものを見出せるのは稀だ。

今の環境で、コトに向かっていた。
ただそれが瓦解する可能性は常に秘めてることを知った。

つまるところ怒りというものは人を動かす原動力となる。







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