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変わらないまま

radikoのタイムフリーで毎週聴いている「星野源のオールナイトニッポン」。
5/22放送分は、番組の構成を担当している放送作家で、星野源の盟友でもある寺坂直毅さん(通称寺ちゃん)に焦点を当て、彼をトークに参加させたり、リスナーからの質問を募集したりしながら、寺坂さんの人となりに迫っていく「作家の寺ちゃんスペシャル」だった。

寺ちゃんがNHK紅白歌合戦や百貨店、さらにはエレベーターとエスカレーターのマニアであること、定時制の高校に通っていたこと、学生時代に架空のバス会社の路線図を妄想していたこと…どの話もユニークで面白かったし、ずっとこの企画を実現させたかったという聞き手の源ちゃんもトーク中とてもリラックスしていて、つい聴き入ってしまった。

中でも私が心を打たれたのは、寺ちゃんが比較的暗い学生生活を送っていたというエピソードで、中学校でいじめに遭って不登校になり、自宅にひきこもった時期もあったそうだ。
定時制の高校に入学するも、授業中は先述のバスの路線図を空想したり、深夜ラジオが大好きだったので、自分は学校へ行っているのではなくラジオの放送局へ出勤していると思い込むようにしたりしつつ、決して輝いていたとは言えないスクールライフをやりすごしていたという話だった。

わかる…!超わかる……!!!


私も中学3年生の頃、不登校になりかけたことがある。
2年生までの自分は、クラス委員を務めたり、宿泊行事の時に友達と余興をやったりと、わりと活発だったように思う。
3年生に進級するタイミングで、所属していた吹奏楽部の顧問が転勤で熱心な先生から放任主義の先生に変わった。それをいいことに、同級生も後輩も、部活をさぼったり、出てきてもまともに楽譜も開かずダラダラ遊ぶ日々が続いた。私は部活をやっている以上練習がしたかったので、真面目に練習していただけなのだが、「気取ってる」と捉えられ無視されるようになった。
時を同じくして新学期のクラス替えがあり、親しかった友達と離れ離れになったことで、クラスの中でも浮いてしまった。やんちゃな子、それに同調する子が多いクラスだったのもあまりよくなかった。
「ガリ勉」「くそ真面目」とコソコソ言われ、じゃんけんで負けた者が罰として私に話しかける馬鹿馬鹿しいゲームまで行われていた。

私は無理だと思った。
ガリ勉で何が悪いんだろう。一年後に高校受験を控えた中3が勉強するのは当然のことで、そもそも学校は勉強をしに来るところじゃないのか。
部活も部活だ。これまで部員みんなきちんと練習していたのは、単に顧問が厳しい人だったからで、音楽が好きだからじゃなかったのか。前任の先生の最後の指導の日、涙を流してた奴らは何だったんだ。
真面目にやってる人間に対して「気取ってる」とか「かっこわるい」とか言うのって、真面目にやりたいのにできない人間の言い訳じゃないのか。
無理だ。考え方が違いすぎる。あの学校にはもう行きたくない…。

両親にそう訴えると、じゃあ無理に行かなくてもいいんじゃないの、と言われたので、体調不良ということにしてしばらく登校しなかった。
その間に、母親が中学校に「うちの娘がこう述べているが学校の見解を知りたい」と連絡した。すぐさま担任教師が家庭訪問に来た。
「さーやさんみたいな子は必要だから頑張って授業に出てもらいたい」「受験勉強もしっかりできる環境を作るから」とのことだったので、一週間ほどで私はまた登校を再開したが、特に環境の変化は無かったし、周りから浮いている感じは卒業するまで続いた。

中3も後半になりいよいよ志望校を決める、という時、私は地元の普通科の高校だけは受けたくないと思った。きっとまた同じようなことを繰り返すに違いない。だからといって、私立の特進コースに入れるような偏差値も実家の経済力もなかった。
そんなある日、珍しく文系のコースを開設している公立高校の存在を知り、母親と入試説明会へ行ってみた。家からは若干遠い立地だったが、カリキュラムの特性上、定められた学区外から受験してもよいことになっていた。国語と英語は得意だったので、その二教科の得点が重視されると聞き、ここを受けるしかないと思った。
そのへんの塾へ行くと同じ学校の生徒がうようよいるのが嫌で、教育大に通う近所のお姉さんにバイトがてら家庭教師をお願いした。快く引き受けていただき、懇切丁寧な指導の甲斐あり私はめでたく志望校に合格した(お姉さんは現在小学校の先生をされている)。

高校生活が充実していたのは言うまでもない。
普通科が無い分生徒数も少なくて、こじんまりした雰囲気だったが、気の合う仲間や尊敬できる先生がたくさんできた。
本や映画や音楽の趣味が合う子と何時間でも語り明かせた。授業中騒ぐ生徒などもちろんおらず、ガリ勉などと揶揄されることもなかった。
再び入った吹奏楽部も中学校より小規模ではあったものの、高校生ともなると自分たちで練習メニューを計画し、演奏会も企画を立ち上げるところから始め、曲目や演出を考えるのは楽しかった。
高校で出会った友人たちとは、大人になって家庭を持った今でも密に連絡を取り合っている。ちなみに、中学の同級生は誰一人携帯の番号すらわからない。

話を「オールナイトニッポン」に戻すけれど、源ちゃんは寺ちゃんについてこう話した。

「普通何かのマニアっていうと、自分の趣味について一方的に話してるイメージだけど、寺ちゃんの好きなものって、紅白歌合戦とかデパートとか、誰もが何かしら思い入れがあって、話に参加できるものだよね。そういうの、素敵だと思う」
(うろ覚えだがだいたいこういう内容)

源ちゃんが「寺ちゃんSP」をやろうと決めたのは、彼のマニアックすぎる嗜好や人とは少し違った半生を面白おかしく取り上げて番組のネタにしようという趣旨ではなく、あくまで寺ちゃんという放送作家の素晴らしさを世の中に知らしめたいという純粋な気持ちからなのだなということがこの一言で理解できた。
源ちゃん自身も、子どもの頃学校でおもらしをしたことをきっかけにいじめられた経験を自らのエッセイに書いたりラジオでも何度も話していることもあり、学校で理不尽な思いをして悩んでいる人たちへ、ある種のメッセージでもあったのかもしれない。

学校や部活がすべてじゃない。世の中は広い。一生懸命やっていることや好きなことを馬鹿にされても、気にせず続ければいい。いつか役に立つ時が来るから。

そんな声が聞こえた気がした。

学校へ行きたくなかった中3の私を支えてくれたのは、夢中になっていた「ハリー・ポッター」「指輪物語」などのファンタジー小説・映画、家族で飼い始めたばかりの猫(その後12歳で永眠)、それからやはりラジオの深夜放送だった。
今でもどれも変わらず大好きだし、これからも大好きでいたいと思う。

#星野源ANN

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