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仏像を彫るということ。

なにげなく、出会ってしまったのです。仏師に。
それも、某アルバイト雑誌で。
そのころ、私は、高校三年生。大学進学をやめ、授業という名の自習時間のようになってしまった学校で、ムーミンマニアの兄貴から全巻をかり、読みふけってた。当然、いままでになく、人生を深く考えだした。でも、まぁ、そこは、17才。浅はかですよ。英語の専門にでも、通おうかとも考えてたが、なんせ、お金がかかる。それなら、働こう!と、まあ、単純に。別に学費を稼ごうというのではなく、社会に出ようと、おもったわけでもなかった気がする。
なぜ、その雑誌が手元にあり、なぜ、ふと開く気になったのかは、いまは、もう、思い出せない。
最後のほうのページだったろうか、仏師募集。なんだ??これ??福岡大仏制作中。見習い募集中。なんだなんだ、これ。そりゃ、気になりますよ。樹なだけに。
【話それます】私は、大工の父、パートで土器の復元をしてた母のもとに生まれた。フツーな姉ちゃん。フツーじゃない兄貴、そして、喘息もちの男児。なんでも、おさがりだった。大好きなじいちゃんが、私を甘やかしすぎて、色々買ってくれたけど、やはり、学校のものや、もろもろは、おさがり。そういうこともあってか、新品に憧れてた。まぁ、べつに買ってもらえないことはなかったが、使えるものを使わないのは、やはり、ね。
日曜大工は、あたりまえ。庭には、大工道具やら、機械やら、材木やら。ほんと、いろいろあった。
ある日、父ちゃんが、古材に鉋をかけてた。私が小学三年生のときだったかなぁ。まっくろな木が、一瞬で、キラッと輝く白木に!!驚いた驚いた。いまでも、あの、心踊る気持ちは、覚えている。そんなこんなで、すっかり、木がすきな子供になり、毎年、貯金箱コンクールには、せっせっと、木で作った貯金箱を、懲りもせず応募。たいした、才能もないのに。
【話もどります】で、まぁ、気になるので、電話。ダイヤル式の黒電話から、問い合わせ先に。なにをどう話したのかは、まったく覚えてない。で、一度、工房見学に、という話になった。
福岡の平ったい所。そこに、でーんとそびえる工房。で、坊主に髭、身長185くらいのガリガリのオッサンと合流。粋に作務衣を着こなしてる?いやー、まったく、異世界。工房のなかには、でーーーーっかい仏様。大好きな木の香り。そりゃ、もう、ワクワクです。それ以上に、興奮してるオッサン(のちの師匠)。ようやく、軌道にのりはじめ、テレビや雑誌に取り上げられるようになり、きちんと弟子を育てたいブームになってたオッサン、のまえに現れた現役高校生。もう、猫まっしぐらみたいなかんじで、グイグイくる、くる、くる。
で、その日のうちに、入門書(オッサンの師匠様が出版なされた、いまだに書店にならんでる名作)と、彫刻刀を一本持ち帰ることに。
そして、なぜか、私もテンションあがり、その日のうちに、丸坊主。
登校すると、そりゃどうしたんだ、なにがあったと、聞かれまくりました。で、なんて答えてたのかは覚えていない。
あれよあれよという間に、寮というなの一軒家に、兄弟子とともに、住むという話しもきまり、あとは、卒業を待って入門ということに。とりあえず、自動二輪中型免許をとり、身分証作成完了。
放課後は、せっせっと、地紋彫り。刀さばきの鍛練。
いよいよ、ロック(音の巻で語ります)と水泳な義務教育+三年間からの卒業!
親友の軽トラで、引っ越し作業終了。地元からは山を越えて約一時間。近いよで、遠いよで。
いよいよ、駅から旅立ち。涙を流す友に見送られながら、、、、、(手渡された封筒にはテレホンカード、時代を感じますね)
ーーーーーーーーーーーー合掌ーーーーーーーーー

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