見出し画像

5月5日庄子さんプレゼンツ「未来の教育を考える会」in 大阪

本当に凄まじい学びの熱量を浴びてきた1日でした🔥

大阪で1発目をした意味がわかりました。
大阪の教育熱は本気で熱かったです!

前夜祭から、参加させていただきましたが、僕がお話しさせてもらった範囲だけでも北は北海道から、南は九州まで、全国から志ある先生方、教育関係者の方、保護者、学生、子ども、家族と本当に垣根なく会場に集まること総勢164名!

この熱量を記録して投稿している人はたくさんいらっしゃるのですが、僕は僕の視点で振り返って残しておこうと思います。

まずは前夜祭から笑
前日の夜から40名ほど集まっての立食パーティーでしたが、まあ楽しい時間でした🍻

ここも本当にエネルギーが高くて、自分のやりたいことや大切にしていること、自分軸を持たれている方のお話をたくさん聞かせていただいて、この時間で得た学びは本当に多かったです✨

丸岡先生とは生き方や在り方の話をしていて、いつ聞かせてもらってもワクワクしながら、今後の熱い展望もお話することができました。

他にも、教師の兼業・副業の支援をしている前田さんとの話も今まで聞いたこともない視点だらけで、これからの時代を生きる教師は全員知っておいた方がいいんじゃないかと感じる経験やノウハウがたくさん💦

また昨年まで枚方中学校の校長をされていた山本先生のお話は、本当に胸が躍る実践ばかりで、生徒が主体的に学ぶ学校を作ったプロセスや想い、そして成果とどれを取っても聞き足りない内容でした。まだまだあげればきりがないのですが、これこんなに安くで参加していいのかな?としか感じない濃厚でこの場所(お酒の会)に来ることでしか得られない学びをたくさん得られた時間でした🍻

個人的にコッテリ度でいえば、5日の本大会より濃かったです笑

やっぱりこういう飲みの場、対話の場でこそ、本や登壇の内容から学べない話がたくさん聞けて、めちゃくちゃ面白かったんです✨

5年前の自分だったらついていけずに途中で帰ってたかな?とも思いますが、今の小学校で5年間鍛えてきたことと、いい年にもなったのもあって、変にビビりすぎず、謙遜しすぎず、もちろんここに集まっている人たちは基本大尊敬ですけど、有名無名に関わらず人の価値はみんな同じだし、みんな人間だもんなあと自然体で楽しめるようになったのは、嬉しかったです♪

そんな濃厚コッテリの楽しかった前夜祭を味わってからの5日当日。

教育界の錚々たるメンツが登壇してくださいました。
また参加者も本当に聞いたことある方々が集っておられる。

スタートから熱量は上がっていきます。

はじめにベネッセの小村俊平さんは「AIはこれからの教育と学びをどう変えるか?」というテーマで話してくださいました。

その中でChatGPTを取り上げて、未来の教育について具体的に話してくださいました。

これからは、自動調理器のように、知的生産作業もAIでの自動生産を誰でもできるようになってくる。だからこそ、「どのようにAIと付き合うか?」が大切になってくるそうです。

結局道具というのは、使いながら、どう使っていくのか、どう効果的に使うのかということを考えさせるためにも、一概に禁止知るのではなく、使いながらより良い方法を検証していく。

そして、AIの優れた特徴として、どんな仕事でも1万時間をかけるとその道のプロフェッショナルになると言われていますが、AIがあると、その10分の1くらいでスキルが身に付いていくと言われているそうで、今は動画などでもショートが流行っていますが、何かを極めるにも時間をかけずに効率的に極められてしまう時代に入っていくんだなと、遠回りの良さや遠回りこそ大切だと知っているだけに、寂しい気持ちもありつつ、新しい時代を受け入れる重要さが十二分に伝わる講演内容で、終始前のめりで聴くことができました。

最後に「日本は一見ルールが厳しいように感じますが、世界的にみてもめちゃくちゃ緩い方で、かつ50年前から個別最適化を実施している」とおっしゃっていました。

この言葉には、日本人としてハッとさせらるというか、厳しいかなと思っていたので、だとしたら、このルールについての見方や考え方ももう一度捉え直していくことが必要かもと感じました。

僕が書きながら少し引っかかりを感じた部分が「AI=道具」とか「AIをどう使うか」という考え方です。

確かに、なんでも便利に短時間で生成してくれるクリエティブなAIが台頭してきて、人々はどう使うか?どう使うとよりよく成果を上げるか、より良く生きられるかなどを考えていることをよく耳にしますが、この先AIが搭載されたロボットが当たり前に日常生活に溶け込んでくると考えると、きっともう話すこともできるようになるし、クリエイティブなさまざまな生産活動もできるようになる。

そしたら、「AI=人=人格のあるクリエイティブな人権を持った1人の人間」として、見ていく視点を持つことがリアルなんじゃないかなと思います。

もうすでに、人工知能が選挙に立候補して政治に参加しようという国や地域も出てきています。ということはそんな遠くない未来に、当たり前に政治家や大臣、大統領や首相にAIが並んでいる世界がイメージできます。

一説には、裁判官もAI化した方が、真に平等な判決ができると動き出しているという話も聞きますし、日常にアレクサやペッパーみたいな明らかな「人工知能」という様相のものではなく、人と変わりないものや、また必要に応じた形態のものが街を歩き、生活に溶け込んでいる世界。

面白そうですよね。それともこの変化、少し怖く感じますか。
僕たちの姿形も逆にAIやロボットと融合しながら生きている。

AIの搭載されたロボットと人が当たり前に暮らす世界があるなら、AIを「道具」と捉えるか、ドラえもんとのび太くんのように
「共により良い社会を創っていくかけがえのないパートナーや仲間」と捉えるか、はたまたシンギュラリティの先にターミネーターなどの映画に代表されるように「人間を支配する恐怖の対象」と捉えるか。

今はSiriやアレクサなど会話型のものやパーソナライズされた情報社会で生きて恩恵を受けている1人として、すでにAIが僕たちの生活に溶け込んでなくてはならないものになっているし、僕たちはそれを「便利」と思って購入している以上、その未来に投資している事実=望んだ未来が今だとも思いますし、同じ地球に住む人間が生み出したものであるのは間違いがないのだから、利用する道具でも畏怖する対象でもなく、かけがえのない地球で生まれたパートナーとして、どう付き合っていくかを大切に、次世代の子どもたちにも伝えていけるように、自分自身が柔らかく、新しい価値観を面白がっていけるマインドを磨き続けていけたらいいのかなと思います。

続いては、寺田拓真さんによる「アメリカから見た日本の教育」という講演内容で、こちらも終始聞き応えのある聞いたこともない情報がふんだんに散りばめられていた極上の学びの時間でした。

ミシガン大学に在籍していた際の「教育✖️イノベーション」というプログラムの内容が「どう教えるか」ではなく「どう学ぶか」つまり人はどのようにすればより良く学べるのかという研究をされてきたそうです。

例えば、マスク1つとっても自分の意見を持っているかが大切で、周りがしているから自分はしたくないけどしているという考えのような「同化」には、違和感というより危機感を感じるとおっしゃっていました。

これが日本の教育にあると言います。

「赤信号みんなで渡れば怖くない」(やってはいけないこともみんなでやるならする)ではなく、
「青信号みんなが渡らなければ渡らない」(やっていいことなのにみんながやらないとしない)になっていないか。

コーチングにおいては、「自分軸」と「他人軸」という言葉に集約されていきます。

「自分軸」は自分らしく自分の価値観やビジョンに沿って、自分の中に選択肢を持って、人生を歩んでいく生き方で、コーチングが推奨している生き方・考え方です。

「他人軸」は、マスクの例にもあるように、周囲がそうしているから(自分はそうしたいと思っていなくても)自分も目立たないように周囲に合わせ、同化する。

「他人軸」の人の特徴なのですが、こうしろと言ってきた上司や先輩また環境の責任にしがちなところあり、「自分軸」の人は選択した積み重ねが今起こっていることだと理解しているので、この現状も自分の責任と捉えて自分の選択で変えていくことができると考えている人が多いなと感じます。

過去の体験で言えば、就活の時期に特にこれを感じました。
なんで就活してるのかと聞くと「みんながしてるから」という理由で、就活をしている大学生を何人も見てきて、しばらく経ってから会って話を聞くと、会社の愚痴や本当は違うことをしたかったという話も聞きました。また、自分の家が自営業をしていて、本当は他の仕事をやりたいのに、継がないといけないから継ぐと言っている友達もいました。

今の年齢になって思うことは「自分軸」で生きた方が、全ての選択は親でもなく周りでもなく自分がしているため、この先の人生も自分が主人公であり、自分がデザインできると捉えられると生きている実感や日々の楽しさ、得る学びも全然違うので、おすすめです。

とはいえ、日本の学校教育では、この「みんなのことを考えて」とか「みんながやっているから」というフレーズを何度も言われてきたし、周りを見て比較したり、劣等感や優越感を感じたり自分自身を見つめて、自分を大切にと言われる機会はほとんどないと言っていいほど少なかったように感じます。

そうなると、感覚値としては圧倒的に「他人軸」や「同化」という選択をしている同世代が多かったですし、日本の学校教育が「同化」を後押しして、他人を思いやりすぎるばかりに、「他人軸」を増やしてきたかもしれないと言われれば、確かにと感じる部分が多かったです。

また、日本の学校教育の四重苦
①中央集権型(法令違反)指導要領が2300ページも、、、
②ロボット教員(指示待ち、指示通り)
③自前意識(全部自分のところでやらないと)
④教師のUn-learn(教師が学べない、学び直せない、学び直さない)
これも、確かにその側面があるなと感じました。

特に④のUn-learnは職場にいても課題感を感じます。学びに行きたくても学びにいく余裕がない、という感覚をお持ちの先生は多いのではないかなと思います。

というより、学ぶ楽しさを子どもたちに伝える側のはずの教員が研修や学びの場について「めんどくさい」や「なんで行かないといけないの」とか割とマイナスのイメージを持っている話を聞くことの方が多い気がします。

自分自身も若い時に、休みの日に学びにいくなんてもってのほかぐらい選択肢に入らなかったことなのですが(この時は好きなこと、好きな人との時間の方が遥かに大切)、35歳くらいの時から、これからの人生を考えたときに、心理学やコーチングと出会い、学ぶことで、腹の底からこの学びって生きていく上でめっちゃ大切だなあと思えたり、それを実践してみることで自分の人生が大きく変わったり、誰かの人生をより良くするお手伝いができるようになったりすると、「学びってめちゃくちゃ楽しい!」という体験学習が起こりました。

そこから、セミナーや講演会、学習会に参加するようになり、そこにきている人と出会うことで、さらに学びが深まり、面白くなっていくというサイクルが心地よい人生の選択肢の一つになっていきました。

そもそも、なぜ教師にリ・スキリングや学び続けることが大切かが、知識レベルじゃなく、体験レベルで感じられていないことに課題があると思います。

つまり、小学校入学から大学卒業までにかけて、ずっと生活の主軸を担ってきた「学び」への認知が、大人になってから先輩や上司におすすめされたところですぐに変わるわけがなく「学び=つまらない、めんどくさい、わざわざ仕事以外の時間を使いたくないもの」という認知を持ったまま社会人の若い時期を過ごしてしまい、もしかするとその時に出会っていたら、ものすごい成長をくれた方との出会う機会も逃しまくっていることに繋がっているかもしれません。

僕も現場で、学び直しの意味も含めて、校内での研修や告知等もしておりますが、なかなか浸透していくまでに時間がかかる印象があります。

最後に「学習理論のBIG3」についての話もなるほどと思ったものばかりだったので、書き残しておこうと思います。
過去から紐解くと、
①行動主義→反復と報酬と罰則(犬が「お手」→エサ)
②認知主義→情報処理、心、認知のプロセス
③社会構成主義→学習者が知識を意味づけ、価値づけしていく
 (生徒同士、生徒と先生、生徒と社会)
という現代までの流れの中で、世界中で行われているチャレンジだと紹介してくださいました。

ただ、どうしても昔ながらの行動主義的な学習方法は残っているようで、一見最新の学習のように思える個別最適なICTの学習についても、行動主義的な教育をしていて数十年前の様子と実は変わっていないよという写真も見せながら説明してくださいました。

これは、社会が行動主義が残っている状態で、学校教育が社会構成主義にチャレンジしているが、四重苦の中でチャレンジしているが故に、難しさがある

また社会構成主義への転換は、ある種の「社会変革」をしていると同じだから、簡単ではない・逆風もふく・時間もかかる・不安になるという難しさを感じながら、チャレンジしている先生方もいるのではというお話には、多くの方が頷いてらっしゃいました。

ただ、学習者からしたら、知ったこっちゃない教える側の背景や事情ですが、大切なのは、どの学習法や理論が全て!というわけではなく、過去にしていた行動主義的な学習方法の中にも効果的にで楽しく学べるものはあり、必要な反復学習等もあり、社会構成主義的な、社会の一員として学んでいく新しい学び方も大切。

今は「社会構成主義」的な学習が主流だしトレンドだからだけで進めてしまうと、その方法を体験したり、積み重ねてきていない分、学習者が混乱してしまい、学ぶ意欲の低下につながってしまう例も中学や高校で実際に起こっているらしく、何をするにしても方法も大事だけど、目的や大切にしたい想いや、こうなって欲しいという姿をイメージして、仲間と繋がって共有しながら、そこに社会構成主義的なアプローチが効果的なら取り入れたらいいし、今は行動主義的なアプローチが必要ならそれやっていけばいい。

チームが先に繋がって、目的に一致感を持てていれば、例えうまく行かないと感じたことも、そこから体験学習して、より良い形へ昇華していけるので、寺田先生が最後におっしゃっていた「そのために大人がつながる」ということが、最初におっしゃっていた「人はどのよううにすればより良く学べるのか?」というところに帰結していくように感じました。

ここで、参加者同士での対話の時間を設けてくださいました。

やっぱり、聞いているだけでは、スッキリしないし、ここはこうなんじゃないかな?と言いたくなる自分もいたので、アウトプットタイムはとても貴重でした。

今回は、対話のグループに同じ小学校の先生もいてくれたので、この後現場に帰っても話したことをすでに共有できているのが、実はめちゃくちゃありがたいなと感じました。

今回の講演会に、同じ小学校から2名、元うちの小学校から3名参加してくれたので、こういう話ができる仲間が学校にいてても転任された後でも繋がれているのが、本当にありがたい限りです。

そして後半、3人目は、葛原 祥太さんで「子どもたちが自ら学び出すけテぶれ」という内容でした。

冒頭のつかみの部分がとても好きで、今の時代に重要だとされているキーワードをスライドに映しながらお話ししてくださいました。

・過去(の教育)→未来(の教育)
・分ける→つながる
・絶対解→納得解
・教える→任せる
・見通す→振り返る
・過去→未来
などなど、もっとたくさんのキーワードがありましたが、全部に過去と未来がありました。

ここで、一見未来側である右側のキーワードを見ると良いものだと思って見ていませんか?といった投げかけをされた時、確かに、自然と「新しいもの=過去のやり方から学び改善されてきたもの」といった認知があるので、過去=良くないものといった認知が全部じゃないけど、教育や成長という分野を見る時には自然とフィルターがかかってたかもと気がつかされました。

もう少し具体的に、「過去に左側の視点が多かっただけで、右側がよく言われているからそっちが正しいわけじゃない」と説明してくださいました。

つまり結局、「自分の中に答えを持つ」が大切で、どちらかではなく、両輪という意識が大切なんだよと教えてくださって、これには納得でした。

シーソーのように、過去と未来のような方法論や考え方があり、その軸となる中心には何が入るのか?

それが「自分」という存在なんですよとおっしゃってくれました。

なんか、ここまでの講演で、全ての学び方や生き方が網羅されているなあと思って聞いていました。

僕個人としても大好きな考え方でした。
というのも若い時からちょっと変わった考え方を持っていて、人と違うことや同化したくない、みんなと一緒なことをやりたくない、みんなと違う特別なことをやって目立ちたいと思っていたタイプだったので、今もそうですが、属するグループは少数派が多かったので、この物事には両輪あるという考え方は、心から共感できたし、今でもこだわって生きているなと感じます。

多数派の意見が正しいとか、何千人からとったアンケートや調査、エビデンスではこうですよとかで、あたかもこれが正解と主張する人や、一般的にはこうといってくる人には、ほんまに?という疑心感しかなくて、いやそうじゃないでしょ、時代によっても変わっているし、みんなが言っていても、少なくとも今ここにいる自分はそう感じてないんだから、じゃあ違うやんって、大人に対しても思ってしまったり、何か大きなものや社会に対して穿った目で見てしまったり、反抗的な面が実はありました笑

代表的なのは、教師1年目の時で「子どものために」と言っている先生がどうしても信用できなかった時期がありました。

子どものためにといいながら、実は「自分のために」やっているんじゃないの?って見てました。自分が子どものために必死に準備した授業で、喜んでくれた子どもを見て、最終気持ちよくなっているのは先生自身やん。なのに、きれいごとばっかり言って、「自分が気持ちよくなるため」ってことを一言も言わずに「子どもたちのため」っていう言葉しか使わない先生は一切信用できひんって、1年目で言ってました笑

なかなか尖ってますでしょ🔪笑

今は全然そんな風に思っていなくて、子どものためにやっている先生は、大好きだし素敵だし、尊敬できるし、この考え方や捉え方、在り方の方が幸福に生きていけると体験したからそう変わったんですけど、何か若い時には、特別でありたいという変なこだわりが強かったので、「自分のためにこの仕事してんねん」と割と言ってました。

なので、少数派から多数派を見ていた時、葛原さんの話で言えば、悪い側、受け入れてもらっていない側にも良いところあるねんで!だからこっちも見て!と思っていたので、一見これが正しいと言う物事や絶対にやってはいけないと言う悪いことにも良い面と悪い面の両方があるんだから、自分が納得して好きな方をやればいいという信念を持って過ごしてきたなと振り返りながら聞いてましたし、だから葛原先生の語り口が好きなんだなと思いながら聞いてました。

一番尖っていた大学生の時期とかに、こういう話をしてくれる大人や先生と出会っていたら、むちゃくちゃ好きになっていただろうなと思います。

そして、「自分とはどんな存在か?」というと、
「考えて、やってみる」という存在だとも教えてくれました。

「考える」も「やってみる」もどうやるかは教えましょうということと、「できること」と「わかること」は両輪ですよとおっしゃていました。これには変わらず納得でした◎

この考えに至る過程が気になって、お話ししてみたいなとも思いました。

ただ1つ、その後に「これを全教科でやることが大事」「この両輪であるべきということが未来」

という言い切り方には、昔の自分が少し顔を出して、「ん?これを全教科でやるのが大事で、これが未来?最初の両輪の語り口とは違って、これが正解みたいに聞こえたぞ?」とか感じてしまいました笑

おそらくそういうニュアンスではないでしょうし、「けテぶれ」「QNKS」の効果はそれは本読んだだけでも凄い効果が出ているのは伝わってきますし、圧倒的な成果を実際ご自身の目で見てこられただろうと思いますので、これが未来と言い切ってもいいくらいの可能性がたくさん詰まったものなんだと思います。

でも一方で、1つのツールと思っておくことも大事だとも思います。

だからこそ、ん?と感じた部分を消化していくためにも、まずは知る、学びに行くということをしていきたいと思いました。
手法を通して、葛原さん自身の生き方や活動も素敵だと感じたので、「けテぶれ」の本を読んでみようと思いました。

最後の言葉も素敵で「あなたがあなたでいるとき」「私が私でいるとき」に一番輝く。

それぞれが自分でいていいんだよというメッセージが、大人にこそ大切だと思います。これはコーチングでも働き方についてもです。

そのそれぞれが大事にしている自分同士を繋ぐ共通言語として、「けテぶれ」「QNKS」を使って、先生同士が繋がって、学校としてどんな子ども像を目指すかを考えていくことが大切ですよと教えてくださいました。

初めてお話を聞きましたが、15分では全然足りないくらい、人としての思いや考えの深い、また未来の教育の世界もしっかりと見据えながらご活動されている面白くて素敵な方に出会えて、とても満足感の高い時間でした。ありがとうございました。

4人目は、乾倫子先生

ミチティーの講演は、久しぶりに聞かせてもらうペップトークの講演。最初に感想を言うと、過去最高でした。

まず初めに「人と人がつながること」=「イノベーション」なんだと教えてくれました。

イノベーションは技術革新という意味ですが、まさに今日この場所でも、登壇者と自分の中でイノベーションが起こっていたし、参加者同士での対話でもイノベーションが起こっていました。

そして、この問いかけ「自分のことが大好きですか?」
「10点満点中、何点ですか?」

これを聞かれた時、「大好きです」と答えられる時と
「あまり好きになれていないかも」と感じる時と
その時の日常や現状で答えが変わってきます。

コーチングの考え的に、もっとも不幸な人は、
「自分のことを好きになれない人」と言われていたりします。

昔から、ずっと側で自分のことを一番理解していて、これから先も、最後この世をさる瞬間まで、自分のことを一番側で見てくれている「自分」という存在が、もし自分を認めてくれていないなら、これほど辛いことはない。

けれど、もし誰よりも自分のことを理解している自分が、大好きでいてくれて、可能性を誰よりも信じてくれていて、一番応援してくれて、勇気や愛をくれる存在なら、これほど幸せなことはない。

そんな風に教えてもらったと解釈しています。
自分が大好きだと思えるこのエネルギーは、おそらく無限の勇気やモチベーションが湧いてくる源だからです。

とはいえ、うまく行かないときや、失敗した時なんか、つい自分のダメなところが見えて、自分のことを責めてしまう時は誰にだってある。

そんな時に、無理やり大好きでいないといけないと思うと何かしんどいので、責めてしまう自分の気持ちも理解する「自己受容」が重要なんだと思います。

ペップトークでも①が受容、コーチングでもセッション前と比べて1点でも自分のことが好きになれて終わることは、最低ラインだと教えてもらいました。

それくらい自分が好きと思えるかどうかは大事。

この問いかけは、人としての核心や本質の世界まで連れて行ってくれる教育の中心的な発問すぎて、いつも痺れます。

その後に、「スキルも大事だけど、在り方も大事」というフレーズが来るんです。

そのスキルの部分であるペップトークという言葉の力によって、人を励ましたり、勇気づけたり、本領発揮させたりする技術は、学ぶことで体得していけるし、学んだことで、意識的に1日使う言葉を選んでいけるのが、スキルの1番重要なところ。

スキルはあくまで、その人そのものではなく、その人を飾っている「がわ」の部分でしかないけど、この「がわ」を変えていくことから選択していくことで、思考が変わっていく。
思考が変わると行動が変わっていく。
行動が変わると習慣が変わっていく。
習慣が変わると人生が変わっていく。
と乾先生が力強くおっしゃっていました。

イメージは現実化するというのもまさにその通りだと思います。

ペップトークに即効性はないかもしれない、だけどずっと言葉をかけ続けるというのは、現実化してほしい未来を伝え続けているのかもしれません。

小学校時代の乾先生の話、ネガティブな否定語ばかりでできた自分へのイメージ、そこから来る周囲への憎しみや攻撃、けれど中学校で出会った英語の先生が自分がネガティブに感じていた全てを言葉によってひっくり返してくれた。この体験が強烈に今のミチティーを支えてくれている。

だからいつも、いつの日の登壇も、大切なことを、人としての本質を伝え続けて励ましてくれるのがミチティーなんだろうな。

正直、今日の僕の状態では、登壇者の中で一番心に残りました。

語っている言葉が、常に心のドアを優しくノックしてくれているような、聞いているだけで、ジーンと心が熱くなるそんな時間でした。本当何度聞いても大切なことを思い出させてくれるし、またその質感がミチティーの成長とともにどんどん良くなっている、極上の15分の学びでした✨

最後は、山本昌平先生による「eスポーツを教育へ」という公演内容でした。

はじめに「皆さんは行事を通して何を育てたいですか?例えばドッチボール大会をするなら何のためにやりますか?」との問いをもらいました。

あくまで、競技力のアップではなくて、ドッチボールを通して、成長させたい子どもの姿があり、そこに向かうために、つけたい力があるといった形だったと思います。

こういった行事を通して養っていく力である「非認知能力」の重要性についても話してくださいました。

またこの言葉「異質な他者と違いを認め合い、コミュニケーションを図る」ことで、非認知能力を伸ばしていくためにe-sportsは大変効果があったという実践を聞かせていただきました。

子どもたちが、プロジェクトのスタートから対話や交流を通して、仲間と共に進めていく、するとうまく行っていたように考えていたことが、実際やってみると上手くいかない。残り日数も少ない中、試行錯誤を重ね、当日は元々考えていたプランとは全然違う内容になったけど、対話を重ね、同じ目標に向かってやってきた仲間とのゴールの姿は、達成感で満たされている、そんな表情を色んな生徒がしていました。

この瞬間を想像するだけでも、教師冥利に尽きます。山本先生や徳留先生も嬉しかっただろうなと思います。

今は、先が予測できないVUCAの時代だからこそ、こういった非認知能力を伸ばすプロジェクト学習を効果的に活用して、どんな社会の中であっても「集団に貢献する力」「苦手に向き合う力」「他者を巻き込む力」「感情をコントロールする力」等、学校現場で育てていくことが大切だと教えてくださいました。

この山本先生と徳留先生のチャレンジは、とても教育界で意義深いチャレンジだと思っていて、育てたい力をつけるために、ゲームという道を通ってもいいんだという今までの当たり前の外に簡単に出してくれたし、あえて出てくれた、それを子どもたちが中心となってプロジェクトした。大人も抵抗感あった人もいたと思いますが、職員も巻き込んでいきながら、巻き込めるだけの日々の教育への熱心な活動も続けながら、プラスアルファでやってきたこと、きっと子どもたちの心に残る活動をされたこと、きっとこの体験をした生徒たちは、一生忘れることのない体験学習を受けたんだと思います。

何よりこの企画を担当した山本先生と徳留先生が面白がって、楽しんで生徒や職員とやっている姿が、写真やお人柄から伝わってくるのが、1番の成功の源だったんじゃないかと感じました😌

やはり、教育は子どもに伝える前に、大人が熱い思いやワクワクしたりしながら、やったら絶対面白くなる!って確信を持って伝えたりしていくことが、子どもたちにとっても1番受け取りやすい形で教育が伝わっていくんじゃないかなと改めて、山本先生の登壇から教えていただくことができたように思います。

最後に、登壇者ではなかったのですが、今大会主催のベネッセの春名 大阪支社長の挨拶がまた痺れました。

終始伝え続けてくれた、未来の教育のキーワード。

それは「圧倒的当事者であること」でした。

僕なりの解釈ですが、未来の教育を語っても、そこで終わりにするのではなく、圧倒的当事者という意識を持っていたなら、まずは自分の現場で今日感じたことや学んだことをアウトプットしたり、実践してみたり、そうやって自分の教育へのアプローチを自然とブラッシュアップしていくことにつながると、そのように受け取りました。

また今大会を開いたことで、教育に向き合う大人たちの会場の熱量に感動されていたこともあり、1つ目に、我々はこの圧倒的当事者と感じる人々を増やす。そしてその熱を持った人がリアルで会える場を作り、摩擦によって生まれた熱を社会に広げていくという言葉には感動しました🥲

2つ目に、「子どもたちは未来からの留学生」という事をおっしゃっていました。

確かにそうだなと、だから僕たちも磨き続けることは必然で、同じ内容を教えるにしても、目の前の子どもたちを知り、これからの未来の教育の形も知った上で、未来からの留学生である子どもたちが受け取って、未来に持っていけるようにするためには、こういった熱量の高い、未来の教育を真剣に考えている大人たちのいる場所に、時間を投資することは本当に大切なことだなと腹の底から感じた瞬間でした。

明日教室で出会う子どもたち、家に帰って毎日会う我が子たち、そんな未来からの留学生たちに、「未来って、だいぶ面白そうやで😄」と、少なくとも僕たち(大人たち)が胸張って言えるように、学び続けることはやっていこうと思いました。

過去最長なくらいたくさん書きましたが、こんな素敵な会を入社してまだ間もない状況で、しかも大阪という地元でもない場所で、チャレンジしてくれた庄子さんの存在が2月の講演会を主催してから、より近くなり、より好きになって応援したい一心で、できることをお手伝いさせてもらいましが、想像以上に集まった人と熱の高い会場と人、これを生み出したんだなあと、改めて尊敬と感謝を送ります😌

最後に、現さだ小と元さだ小の仲間が、6人もこのGWの真っ只中に足を運んでくれたことに心より感謝したいです。

近くに、未来の教育を語り合える仲間がいることって、率直に嬉しいです。やっぱり、僕は現場に返していきたいし、現場を支える仲間と1番大切に繋がっていきたいんだと思います。

理想の教育もまずは現場から
理想の教育を伝えるには、現場のコミュニケーションから
理想の教育を形にするには、現場のチームビルディングから
とにもかくにも、日常、自分が所属する、毎日会うあの人と心地よい時間を過ごすためのコミュニケーションから、現場の革命は始まっていきます。

僕が今年も実践している「先生が幸せに働ける学校づくり」こそ未来の教育をより進める、より確かにする「要」なんだと再自覚できたので、今年度も情熱に従って、結果を期待せず、最大限動きながらも、家族を大切にする、そんな自分で「先生も子どもも夢が叶う学校づくり」を進めていきたいと思います。

読んでいただいた皆さん、お付き合いありがとうございました。

人生のほとんどの時間を投資する、かけがえのない職場・現場を共に最高の場所にデザインしていきましょう😊

では、今日もより良い人生を✨

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?