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秩序や正義に関する記述 ―草薙理解

くさなぎりかいに繋がりそうな文章置き場
入門書からの孫引きも多くあります

随時更新予定

反発・正邪・服従も有


秩序・正義

ゼウスはこの世に確立された秩序を擁護するために、不正を働き、秩序を乱す人間に罰を下す。神々は「人間に傲慢がないかどうか、秩序が行きわたっているかを監視する」のである(ロイド=ジョーンズ『ゼウスの正義』)

中山元『正義論の名著』p15

【秩序宣言】
「規律を犯す者には裁きが下る」ect.


※アリストテレス『ニコマコス倫理学』

正義とは「他者のものなる善」である。「正しい人は、支配者や共同体の他の成員にとって公益のあることがらを行う人」なのであり、魂の善良さとは別に、その行為の結果が問われるものなのだ。

中山元『正義論の名著』pp30ー31

「適法的である」こととしての正義は、法を守ることであり、法は「万人共通の利害を目指すもの、あるいは卓越性に即して、または何らかそういった仕方で、支配者の位置にあるところの人々に共通な利益を目指すもの」だからである。

正しい行為とは、たしかに個人の倫理的な資質であるが、その目的は魂の調和を維持することではなく、「国という共同体にとっての幸福またはその諸条件を創出し守護すべき行為」という政治的な目的を兼ねそなえているのである。

中山元『正義論の名著』p31

アリストテレスは正義を、不正を回復する矯正的な営みと定義することで、現代にいたるまでの正義の代表的な理論を提示することになった。これは後に交換的な正義と呼ばれるようになるが、その後も正義の概念は、片手に天秤を、片手に剣を持った女神をシンボルとする。正義の女神は不正に奪われたものを計って、剣を持って取りもどすのである。

中山元『正義論の名著』p37

【立ち絵】【部屋】
テミス像


秩序とは一般に、偶然性を馴致する、手懐けるものです。偶然を必然化する。『こうだったからこうだ』とわかるかたちにされているのが表の世界です。

千葉雅也『現代思想入門』p128

【大瀬と遊ぼう】
「近年我々は和の心を忘れがちです  そういった意味でも今やる意味があります」

→偶然性(鞠つき)の必然化


「正義感を持ちすぎるとこうだと決めつけが始まる」

「(賢い人の方が)思い込みと能力の高さを生かして自分に都合の良いような答えを導き出してしまう(ことが多い)」

※カッコ内は筆者補足

古市憲寿『古市憲寿が語る「自由」と「情報」』

多くの「正義の味方」が、敵を倒すために暴力の行使を辞さないように、正義と狂気は容易く結びつくものだ。

古市憲寿『正義の味方が苦手です』p5

二者択一は、禁欲主義の理想と生の軽視との完全な支配下にある。

ジル・ドゥルーズ『ニーチェと哲学』

【インタビュー理解】
「好きか嫌いではない。善か悪かだ」

【お詫び】
「正しいこと大好き 悪い奴らは死ね」


「私はよい」と語る者は、本人が活動し、京楽するかぎりにおいて自分はよいと呼び、そのように命名し、語る。

肯定する者・活動する者は、同時に存在するものでもある。(中略)「そのような者は、事物に栄誉を捧げ、諸価値を想像するのは自分だと心得ている。彼は自分自身のうちに見出すあらゆるものに栄誉を与える。このような道徳は自己賛美である。それが全面におし出すのは充実の感情と溢れるばかりの<力>の感情であり、高くはりつめた内的緊張の幸福感、恵み与えることを熱望する富の意識である

※ニーチェ『道徳の系譜』『善悪の彼岸』
※一部筆者要約

ジル・ドゥルーズ『ニーチェと哲学』

【キャッチコピー】「私が正しい」
【国民栄誉賞】など


無秩序とは、単に我々が求めていない秩序のことである。目的や意思は無くても、何らかの機構は存在する。にもかかわらず、人は自分の期待していない秩序が出てくると、「無秩序だ」といい、自分の残念がる気持ちを客観的なものにしてしまう。

國分功一郎『ドゥルーズの哲学原理』p99

そして、この「法」に従うことは、理性の声を聞いて理にかなった行動をし、神の作った秩序に従うことです。そうして神の領域とつながってこそ、必然と無常の領域を逃れ、自由と恒常の領域に至ることができます。たとえばカントは、普遍的立法の格率に従うことによって自由が得られるとのべました。

小熊英二『社会を変えるには』p255

※カント『実践理性批判』


半ば未開だったむかし、わずかずつ文明化してきて、犯罪や紛争が起こるたびにただ不都合に迫られて法律をつくってきた民族は、集まった最初から、だれか一人の賢明な立法者の定めた基本法を守ってきた民族ほどには、うまく統治されないだろう、と。

同様に、唯一の神が掟を定めた真の宗教の在り方は、他のすべてと、比較ならぬほどよく秩序づけられているはずなのは確かである。

デカルト『方法序説』第二部

自分の意見に反駁・反証する自由を完全に認めてあげることこそ、自分の意見が、自分の行動の指針として正しいといえるための絶対的な条件なのである。
全知全能でない人間は、これ以外のことからは、自分が正しいといえる合理的な保証を得ることができない。

ミル『自由論』p52

人間は経験と議論によって、自分の誤りを改めることができる。
ただし、経験だけではダメである。経験をどう解釈すべきかを知るために、議論が必要だ。間違った意見や行動は、事実と議論によってしだいに改められていく。
しかし、人間を心底から納得させるには、事実と議論をはっきりと示してあげなければならない。事実を見ただけで意味が分かることはめったにない。その意味を理解するには何らかの解説が必要なのである。

ミル『自由論』p53

ヴァイオリンを奏でずにヴァイオリ二ストにはなれない。美徳も同じだ。「われわれは正しい行動をすることで正しくなり、節度ある行動をすることで節度を身につけ、勇敢な行動をすることで勇敢になる」

マイケル・サンデル『これからの「正義」の話をしよう』p331

引用部分
アリストテレス『ニコマス倫理学』


最高善は何らか究極的な目的であると見られる。
(中略)
かかる性質を最も多分に持つと考えられるのは幸福である。

アリストテレス『ニコマコス倫理学(上)』p36-37

われわれはもろもろの正しい行為をなすことによって正しいひととなり、もろもろの節制的な行為をなすことによって節制的なひととなり、もろもろの勇敢な行為をなすことによって勇敢なひととなる。

アリストテレス『ニコマコス倫理学(上)』p71

よきひとたることが努力の要る仕事である所以である。
なぜかというに、いかなる場合においても「中」を捉えることは困難な仕事であるから。

アリストテレス『ニコマコス倫理学(上)』p101

※「正」の一つの種類について

配分における「正しい」わけまえは何らかの意味における価値に相応しいものでなくてはならない。

→価値は万人において同じでは無い。

アリストテレス『ニコマコス倫理学(上)』p232

また、夢、というものは国内をむすぶ紐帯の役割をはたすもののごとくであり、立法者たちの関心も、正義によりもむしろこうした愛に存しているように思われる。

すなわち、協和ということは、愛、に似た或るもののように思われるが、立法者たちの希求するところは何よりもこの協和であり、駆除しようとするところのものは何よりも協和の敵たる内部分裂にほかならない。

事実、もしひとびとがお互いに親愛的でさえあれば何ら正義なるものを要しないのであるか、逆に、しかし、彼らが正しきひとびとであるとしても、そこにやはり、なお愛というものを必要とする。まことに、「正」の最高のものは「愛という性質を持った」それ(フィリコン)にほかならないと考えられる。

だが、愛というものは単にわれわれの生活に不可久的たるにとどまらず、それはさらに、うるわしい。われわれはすなわち、友人に富んだひとびとを賞讃するのであり、多友ということはうるわしきものごとの一つに数えられている。

そしてひとびとは、すぐれた人間というのと、親愛的なひとというのとは、同じものなのだとさえ考えているのである。

アリストテレス『ニコマコス倫理学(下)』p85

【秩序宣言】
「愛!それすなわちOrder」など。
草薙流秩序の基本原理は愛。


自分たちに道徳的分別や繊細な道徳的判別力があると信じられることに高い価値を置くような人々には用心するがよい。彼らは、一旦われわれの前で(或いは、われ、れについて)失策をしたとなると、決してわれわれを赦してくれない。(中略)

忘れっぽい人は幸いである。彼らは自分の愚行をも「綺麗さっぱり」忘れてしまうからだ。

ニーチェ『善悪の彼岸』p220

【国民栄誉賞】→【誕プレ】
大瀬への対応


法律が正しいという理由で、法律に服従するものは、彼の想像の正義に服従するのであって、法律の本質に服従しているのではない。それは全く自分自身のなかにこもっているものである。

パスカル『パンセ』p198

正義とはすでに成立しているものである。したがって、われわれのすべての既成の法律は、それがすでに成立しているという理由で、検討されずに、必然的に正しいと見なされるであろう。

パスカル『パンセ』p207

草薙→本橋

奴隷制がおぞましいのは、人間を商品扱いし、競りの対象とするからだ。こうした扱いによって、人間の価値を適切に評価することはできない。人間は尊厳と尊敬に値する人格として評価すべきであり、利益を得るための道具、利用する対象とみなしてはならないのだ。

マイケル・サンデル『これからの「正義」について考える』p464

反発

反抗=理性と意志を肯定する行為。
× なにかに反する方向の態度
〇なにかを求める方向の態度

※筆者要約

エーリッヒ・フロム『反抗と自由』

正邪

・各自の体験は秘私的であり、各自は単独者。
→各自が''それぞれに''単独者=お互い単独者。
→痛み分け合いは不可能。

・「道徳的であろうとする」「善悪の見極めをおざなりにしない」ということは、その場では聞き届けられなかった呻きにもう少しだけ敏感になることを伴う。

※筆者要約

大庭元『善と悪 倫理学への招待』

【WTCGMI】
「望まぬ不幸は迷惑」
「皆が皆互いにneighbors」
「ヘドロ混じりの世界に宥められるそのpain」
「痛み分けたはずが人は繰り返すリフレイン」


意見の違いがありうる問題の場合、真理は、対立し衝突し合う二つの意見をあれこれ考え合わせることによってもたらされる。

ミル『自由論』p90

ふつう、対立しあう意見は、一方が正しく他方が誤りというより、どちらにも正しい部分がある。

常識的な意見に含まれる真理は部分的なものにすぎないため、常識に逆らうような意見も、真理の残りの部分を補うものとして必要なのである。

ミル『自由論』p112

ことさら言うまでもないが、秩序とか安定をうたう政党と、進歩とか革新をうたう政党は、どちらも健全な政治のために必要な要素である。(中略)
どちらの政党も、相手の考え方に欠陥があるおかげで、良い考え方がもてるようになる。

ミル『自由論』p116

正邪↔秩序(正義)

ヒュームによれば、人が金を返すことを正義と見なし、正義を遵守すべきと考えるようになるのは、そうしたことを人に教える黙約が人為的に作られてきたからである。

自分に近いところにいる人間だけでなく、自分にとって遠い人間にも正義がなされるべきである――こうした動機が黙約による共感の拡張によって醸成され、社会的な結び付きが形成されていく。

國分功一郎『近代政治哲学』p185

すべて悪しき人は、何をすべきか、何をなすべきかを識らないひとなのであり、こうした過ちゆえにひとびとは不正なひととなり、総じて悪しきひととなる。

アリストテレス『ニコマコス倫理学(上)』p111

伊藤→本橋

労働者の権利が守られていなかった当時、資本家は労働者をこき使い、暴利を貪っていた。たしかにこれは事実である。

だが、労働者は生物である。明らかな体力限界をもっている。ろくに休ませもせずにこき使うというのはその人間に無理をさせるということだ。

さて、人間に無理を強いて働かせるとどうなるか?当然、効率は悪くなる。同じ仕事をするにしても、調子がよいときよりも、時間がかかってしまったり、失敗したりする。

するとこう考えなければならない。労働者を使って暴利を貪りたいのであれば、実は労働者に無理強いすることは不都合なのだ。労働者に適度に余暇を与え、最高の状態で働かせること――資本にとっては実はこれが最も都合がよいのだ。

國分功一郎『暇と退屈の倫理学』

【ふみやと依央利】


カリスマ

自発性は、道徳や社会の改善を説くひとびとの大多数にとっても、少しも理想的ではない。
社会改革者たちは、むしろ警戒心をいだく。改革者たちが人類にとって最善のものと考えるあり方を、一般のひとびとに受け入れてもらおうとするとき、個人の自発性はじつに厄介で、かなり反抗的な邪魔者に見えるのである。

ミル『自由論』p139

独創性が人間の社会において貴重な要素であることは、誰も否定しないだろう。新しい真理を発見する人、かつての真理がもはや真理ではなくなったことを指摘する人が、かならずいなければならない。

ミル『自由論』p156

天才は、まさしく天才であるがゆえに、ほかの誰よりもはるかに個性的である。
―社会は、ひとびとが独自に性格を形成する苦労を省いてあげるために、性格の型をいくつか用意し、それにあわせれば済むようにしているが、天才はそうした型にあてはめにくく、無理におしつけると弊害が出る。

ミル『自由論』p158

参考文献

千葉雅也『現代思想入門』2022年、講談社

エーリッヒ・フロム『反抗と自由』1983年、紀伊國屋書店

ジル・ドゥルーズ『ニーチェと哲学』2008年、河出書房新社

大庭健『善と悪 倫理学への招待』2006年、岩波書店

中山元『正義論の名著』2011年、ちくま新書

古市憲寿『正義の味方が苦手です』2023年、新潮新書

國分功一郎『ドゥルーズの哲学原理』2013年、岩波現代全書

小熊英二『社会を変えるには』2012年、講談社現代新書

デカルト『方法序説』1997年、岩波書店

マイケル・サンデル『これからの「正義」の話をしよう  いまを生き延びるための哲学』2011年、ハヤカワ文庫

國分功一郎『暇と退屈の倫理学』2015年、太田出版

國分功一郎『近代政治哲学  自然・主権・行政』2015年、ちくま新書

J.S.ミル『自由論』2012年、光文社

アリストテレス『ニコマコス倫理学(上)』1971年、岩波書店

アリストテレス『ニコマコス倫理学(下)』1973年、岩波書店

ニーチェ『善悪の彼岸』1970年、岩波書店

パスカル『パンセ』1973年、中央公論社

リベラルアーツプログラム『【社会学】古市憲寿「古市憲寿が語る『自由』と『情報』」by リベラルアーツプログラム for Business』
最終閲覧日:2023年4月27日

ページ数が書いていない文章は、大昔の読書メモから引っ張ってきています。

追記・更新記録
2023-05-01:國分功一郎『ドゥルーズの哲学原理』
2023-06-20:小熊英二『社会を変えるには』
2023-08-25:マイケル・サンデル『これからの「正義」の話をしよう』
2023-08-26:國分功一郎『暇と退屈の倫理学』
2023-08-27:國分功一郎『近代政治哲学』
2023-09-01:ミル『自由論』
2023-12-20:アリストテレス『ニコマコス倫理学(上)』
2023-12-27:ニーチェ『善悪の彼岸』
2024-01-01:アリストテレス『ニコマコス倫理学(下)』
2024-01-28:パスカル『パンセ』


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