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文章置き場:カフカ短篇集
『田舎医者』
処方箋を書くのはやさしいが、それ以外のことで人々と理解し合うのはむずかしい。
『万里の長城』
人間というものは生来、風に舞う地理のようなものであって、本性においてから軽佻浮薄なのだ。
だがあの当時には暗黙の了解があった。その他大勢組ばかりでなく、えり抜きの少数のあいだでも了とされていた事項である。すなわち、全力を尽くして指導部の指令を理解するに努めよ。とまれある一定の範囲までのこと。その先は思考を止めよ――というのである。はなはだ賢明な原則というべきであって、のちにはことばを換え、喩えでもって語られたものだが、ついでながらそれを紹介しておこう。一定のところで思考を放棄するのは、それ以上に思考をすすめると害があるからではなかった。害があるかどうかはわからない。そもそも害のあるなしとなんらかかわらない問題であり、春先の川のようなものである。春になると水位が高まる。水の勢いがまし、長い堤防にそってとうとうと流れていく。そして太い筋をえがいて海にそそぐ。次には海と溶け合い、一体となる。指導部の指令に対するあるべき思考の姿とはこうなのだ。では、その範囲をこえるとどうだろう。川は岸をこえ、とめどなく流れ広がり、あげくのはてには本来の使命に反して内陸部に湖水をつくろうとしたりする。とはいえ田畑を荒らすだけであって、水位を保てるわけでもなく、そのうちしおしおともとの川にもどるしかない。暑い夏がくると、すっかり涸れてしまったりする――指導部の指令に対して、かのごとくであってはならぬというわけだ。
池内紀 編訳、1987、『カフカ短編集』岩波書店。
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