求められていることをする、というのが才能なんだと思う

着地点が決まっていないnoteを。

未だに不眠症はあり、アモバンという薬を飲んでいる。抗うつ剤も卒業したわけだが、これは飲む。夜中に覚醒してしまうこともある。

だが、一方で人生は上向き傾向ではある。体は好調だし、仕事もできている。

思うに、幸せとは自分の人生を自分でコントロールできているという思いから来るのではないだろうか。会社で不慮の人事異動で単身赴任になった。自分の暮らす場所を選べない。これは僕には大きなストレスだった。

大きな出来事もなく、決まったルーティンをこなす日々は僕には向いている。一生こうして過ごすつもりもないしできないだろうことはわかっている。少ない確率だがパートナーができるかもしれない。全くその予定はない。

頭にふと浮かぶ数々の思いが、さっと過ぎては通り過ぎていく。noteの書く記事のこと、仕事のこと、体のこと。時々痛む過去の古傷。

古傷が痛むのは、深く考えてはいけない。それは古傷をもう一度ほじくり返す行為。何かで隠して、放っておくのが1番の対処法だ。

もっと影響力を持ちたいという欲が出てきてはいる。このアカウントもいい記事を書いて伸ばしたい。どんなテーマでも書ける気がするが、どんなテーマを書けばいいのかはよくわからない。自分が書きたいテーマは、意外と他人にはどうでも良かったりするものだ。

もしこんなテーマで書いたほうがいいのに、と思う事があれば、教えてください。きっとそれが求められていることなんだろうな。

求められていることをする、というのが才能なんだと思う。才能は自分では気がつけない。人から見出されて初めてわかる。いい意味で一度、人に求められていることを受け入れてみるということは大切かもしれない。自分の場合、それは痛みを伴う行為でもあったけれど、そこから風向きが変わった。

散文でした。

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