鬱というのは心の反乱、心の反逆である

「メンタルが安定してきた。会社の仕事を手伝えるかも」

そう、両親に告げた。ここ最近言おう言おうと思っていたことだ。

いつまでもニートをしているわけにもいかない。少しづつ、お金を稼ぐということをしなければいけない。

実際、メンタルは安定してきた。薬を飲まずにいられない瞬間というのはもうほぼない。時間を持て余しすぎて、「暇で限界だ!」となることがある。

暇を感じると言うのは鬱が治ってきた証拠である。鬱の人は暇な時間さえ苦しむことに忙しいからだ。

ベッドに横たわり、体を無にする。これが出来るようになって鬱はいい方向へと向かった。一種の瞑想なのかもしれない。不安は不安として飼い慣らす。

死にたいと思うのは楽だ。もう考える必要がないのだから。死にたいというのは、現状改善の放棄に近い。だがこの生存戦略(死にたい、死ねばいいと思いただ時が流れるのに任すこと)は飽きてくる。腹は減るし喉は乾くしやりがいもない。

メリットはある。いわゆる底辺、どん底を知っていると言うことだ。

これを知っていると、些細なことには感情は振舞わされなくなる。

僕なりの考え方としては、鬱というのは心の反乱、心の反逆である。それまで生きてきた道、期待、人生に対しての強烈なNOが心から発せられているということだ。NOは自分に対してでもあり、環境に対してでもあり、家族に対してでもある。

鬱になるということ。それにより役立たずになるということ。これが周囲への復讐になっている。僕の場合、おそらくは三十年生きてきたわけだが、人生の大切な選択は親の意向で決まったものが多かった。

好きなことをしなさい、好きなことを見つけて好きなように生きなさい。

こんなふうに育てられた子供は、鬱になることは少ないのかもしれない。(もちろん事例はあるだろう)

いわば、マイルドな毒親なのだ。これはおそらく日本の親の半分くらいは当てはまる、子供の人生を愛するという行為には矛盾しないものだ。

気がつけばエリート高校に入り、早稲田に入り、大手通信会社に入り、結婚をした。その時点で僕の「親の自己実現を擬似的に実現してあげる」という役割は終わったのだ。だからこそ、この後のこじらせが長かった。

さらには自閉症スペクトラムと診断されたことで母親のカサンドラも判明し、父親もアスペルガーだとわかることでいくらかのコミュニケーションが想定内のものになった。それまではキレるぶつかるが頻繁に起きていた家庭だったからね。

障害者手帳も取った。僕はプライドを捨てた。プライドを捨てたから、プライドを傷つけられて怒ることはなくなった。

先程、「役立たず」と書いた。鬱は役立たずな存在になるという復讐だと。これが功を奏すると、あなたに期待を抱く親はあなたを諦めることになる。諦めた先に、それでも普通に雑談したりできれば、それは回復の兆候でもある。

人間は役立たずでも生存できるし、使い物にならなくても死ぬ必要はない。逆に考えてみると、今まで役に立ってきたからこそ役立たずになれるわけだし、優秀だったからできそこないにもなれるのだ。

ここに気がついた時、何かをやりたい欲が少しづつ湧いてきた。

筋トレのことも書こう。筋トレがメンタルにいいというのは本当だ。小説の中で、「銃が登場するならばその銃は撃たれなければいけない」という言葉がある。それと同じで、「鍛えられた筋肉は使われなければいけない」とも言うことができる。今の僕の筋トレのモチベーションになっているのは、「子供が重くなっても片手で抱っこできる腕の力を持つ男になりたい」だ。色んな欲望が混ざっている。実現のためには収入が必要だし、健康も必要だ。

筋トレに感謝したい。筋トレのおかげでテストステロンという男のホルモンが出たし、自分への自信が湧いてきた。筋トレで人生は変わるのは真実だと思う。

一方、仕事面では不安のようなものもある。親父の生活音のうるささや啖呵を切るような喋り方、相手の脳内を読み取れずに一方的に話す癖などは未だにイライラする。いつか爆発しないか不安ではある。なんで実家の親父ってあんなに生活音がうるさいんだろうね。バタバタ、ドアバンバン。聴覚刺激に弱い僕には時に耐えきれない騒音だ。

これからどうなるかはわからない。ゆっくりゆっくり、鍛えていこうかと思う。こういう時、筋トレしていたことのイメージがあるのは心強い。最初は軽い負荷で。重い負荷は怪我をしてしまう。

筋トレと仕事復帰が似ているのは、適切な負荷、適切な休養、適切な栄養でないと正しく成長しないということだ。とても似ている。

追い詰めない、疲れ切るほどに一生懸命にならない、スルーできることはスルーする、生きたことでよしとする。僕がメンタル復活から得たこの知恵は、役立つのだろうと思う。

ライフワークとして、同じ境遇の人の為になることをこれからもこの場でしていきたい。

そして何よりも!人生に変化を起こした自分の勇気に盛大な拍手を送りたい。自分の1番の理解者である自分こそが、こうして褒めてあげることが大切。よく、辛い時期も生きたね。大変なことが起きたけど無事に生きれたね。すごいね。偉いね。欲張りすぎず、焦らず、出来ることにフォーカスしてこれからも生きていこうね。

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