退職エントリ 某通信会社を退職しました

退職エントリというのを書いてみたくて、書いてみる。ただし、退職ルールには【この企業でした業務を口外しない】というルールがあるので、企業名は伏せる。時効が来たらタイトル変更しようかな。

CMをバンバン売っている通信会社でした。新卒で入社し、合計8年は在籍したことになります(とは言っても2年くらい休職していました)

初めに配属されたのはグローバル事業部でした。嬉しかった。元々グローバルな仕事がしたいと思っていた私は、これで沢山出張も行けてバンバン英語を活かせるぞ!と思ったものです。何よりかっこいい。

待っていたのは圧倒的なこまごまとした雑務に近いものでした。まぁ新入社員が海外拠点の人とやりとりをしても通用するわけがなく、リモート会議の議事録を取ったり、国内営業部から海外拠点に仕事の依頼(お客様が出張であなたの国へ行くから、アテンドしてデータセンターを見学させてあげてくれ等)の仲介をしたりしていました。

これはこれで勉強になったものの、私が抱いていたグローバル事業部のイメージとは全然違う、ゴリゴリのドメスティックな仕事と社風でした。

おそらく新入社員の中でもっとも海外拠点(海外法人)のドロドロした部分を見たはずです。絶対にばれてはいけないような情報なども垣間見たりしました。もちろん言えませんが。

二年目になり、グローバル事業部の庶務担当になります。これが言葉とはうらはらに結構大変で、ありとあらゆる庶務業務を一手に引き受けることになりました。グローバル事業本部で庶務。なんだこのローマでおにぎりみたいな現象は。。。と思いながらも、結構頑張って仕事をしていました。ある時、ひょんな業務体制が気に入らず、限界だと部長にメールをしてしまったのです。

完全に社会人失格。今思えばありえないことをしました。直属の上司ではなく、その上の部長まで宛先に入れてメールを打った。結果、僕は地方に飛ばされます。忍耐力というか、社会人サラリーマンマナーを知らない人間だということがよくわかります。我ながら結構イタい。

でも結局のところこれはよかったのではないかと思っています。あのままあそこにいたら腐っていたと思うし、限界でした。現に次に同じポジションについた僕の先輩は休職に追い込まれました。庶務の恐ろしさは庶務という『簡単そう、楽そう、仕事少なそう』というイメージからどんどん業務がふくれあがること。もう少し器用であれば、うまく立ち回れたのでしょうが、ストレスはすごかった。

関東地方の端っこの県に営業として飛ばされた僕は相変わらず新入社員のようでした。何しろ営業ができない。多くの新人が一年目で学ぶようなことを三年目で学んでいるのです。ただし、ここからの僕は頑張った。仕事帰りに仕事課題ノートなるものを作り課題と対策についてうんうん考え、地道に地道に成長していきました。今でもこの体験は僕の中に貴重なものとして残っています。

営業社員として働き始めて約10か月。またしても異動です。今度は東京で店舗立ち上げ要員として呼ばれました。人事異動理由は『外国人が多い場所に出店するから、英語ができる人材がいい』とのことでしたが、これは白い嘘かもしれません。いまだ営業マンになりきれない僕にセカンドチャンスを与えてくれたのかも。

やっと東京に帰れる!とわずか10か月しかいないのにワクワクしたことを覚えている。

全国から同じように集められた若手社員達と働くことになり、この職場がとても楽しかった。研修で既にある他店舗へ出張へいったり、新店舗のアイデアをブレストしたり。数えきれないほどの学びとワクワクがあった。まるで第二の青春時代を過ごしているかのようだった。仕事が楽しいのは3年目以降なんて言葉もあるが、真理かもしれない。

この職場は比較的長くつづいた。外国人のお客様の売り上げを増やすリーダーに抜擢されたり、新人教育に携わったり、バックオフィス業務をしたりと店舗運営のイロハを学ぶことができた。

さらっと述べるが、結婚相手もここで見つけた。

しかし、急転化する。結婚と同時に福岡へ異動が決まった。周囲の多くが驚いていた。とことん人事運がないらしい。組織で生きるのに向いていない。

とはいえ、こんなことは大企業なら結構聞く話。家を買ったら転勤だとか、結婚したら単身赴任だとかいう事例は結構ある。

ここから先はあれよあれよとメンタルが崩れて、休職に至った。

なんだか切ない話ではあるけれど、こうして文字にできたのはある程度の整理がついたからできることだ。

大手企業に入る新卒よ、異動には十分注意しろよ。


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