King Vonの生涯

今回は、King von について紹介します。

King von 
1994年8月9日,イリノイ州シカゴのO’block(シカゴで最も危険な地域で、かつてオバマ元大統領が居住していたとして有名。chief keef が頻繁に曲中にて語ったことによってその名が広く知れ渡った。)にて6人目の子供として生まれたking von 。
父であるWalter E. Bennett(Black Disciplesの元メンバー。)は子を授かった後も、多くの時間を刑務所の中で過ごし、vonの母のTaeshaは彼が滅多に家族のサポートをしないことに怒り、よく喧嘩をしていたそう。
一方でストリートにおいてはWalterは”silk”とよばれホームタウンでのレジェンド的な立ち位置にいたのです。
しかし、Vonが11歳の時に、Silkはライバルのギャングの何者かに銃殺されてしまいます。これについてvonは後にリリースする楽曲において言及しています。
Exposing Me ( Memo600 ft.king von)←削除済み
”Rest in peace to Silk from Ada Park, that was the older me.”
「実の父親=ada parkのsilk、安らかに眠ってくれ。」
彼のInstagramの投稿にも度々silkの名前は出てきます。


I miss you Homie an the streets an most definitely your kids(vonのこと) do too…から彼のsilkに対する深い愛情が感じられる。

人生の大半を過ごしたO block でlil durk やchief keefらと幼馴染の関係で、ストリートから多くの影響を受けながら育っていったのです。
VonはBlack Disciples の創始者のDavid Barksdaleにちなんで(Vonのストリートでの身のこなし方や普段の態度がDavidに似ていると刑務所内で言われたのが理由らしい。)「Grandson」というあだ名をこの時くらいからつけられたらしいです。
勿論7/14リリースのアルバム「Grandson 」もそこからきていますね。

7/14リリースのGrandson。

Vonがわずか16歳の時、彼は初めて刑務所行きとなりました。銃器の不法所持によるもので2年後に逮捕されたが、他にも1人が死亡し2人が負傷した銃撃に関連して起訴されたりと、なかなかの問題児であったがそれだけにとどまらなかったのです。
Vonはその事件から僅かしか経たないうちに、Gangster DisciplesのメンバーだったとされるGakirah Barnesを殺害しました。この事件は証拠不十分により不起訴となったが、後に目撃者の情報から、Von(ともう1人)によるものだった事がわかったのです。

左がvonで右がgakirah。


確かにGakirahはSNS上でBDに対し煽りを繰り返していたが、学校では優秀な生徒でギャングとの付き合い以外には本当に何も悪い所がなかったのです。
その他にもVonが絡んだ事件はあげ始めるとキリがないほどあって、無論彼の命が危険に晒された場面も同様に幾度となくあったように思えますが、そんなこんなで、16歳で刑務所に入ったのを機に、ずっと悪い方向に彼の人生は進んでいっていたのです。
そんな中幼馴染だったLil durkが2018年ごろから音楽業界で成功しているのを目にすると、すぐに飛びついた。音楽を始める事で自分の人生を良い方向に持っていかせたかったのです。Lil durk が率いるOTF(2010年に設立されたラップグループ)

2018年にOTFと契約してからすぐの208年12月6日、Vonは初のシングルCrazy Story をリリース。そして同時に爆発的人気を博します。

Crazy story のジャケット

Crazy storyはストーリーテリング基調の一般的なドリルソングとは一味違います。要するに“Real”なのです。簡単な曲の流れは、Vonが女を利用して男から金品を盗もうとし結果的に別の男を銃撃したというものです。

“He got bricks, plus his neck is icy and it match his wrist.”
「奴(男)は大金を持ってる。で首も腕もギラギラだ」
          ↓
“Now she walk up, she strutting her stuff, this bitch thick as fuck”
「女が胸を張って奴の元に歩いてった、このビッチマジでいい身体してる。」
          ↓
“I was lacking cause there go the pops yelling out”what’s cracking?”
「奴に集中してて気づかなかったが敵たち(opps)が通って「調子どうだ」って叫んでるんだ。」
          ↓
“So I rise, hit one in his arm, hit one in his thigh”
「俺は起き上がって一人の腕を撃ってもう一人の太ももを撃った。」

2019年5月、Crazy Story pt.2にてVonは Lil durkとのコラボを果たします。内容はそれほど変わっていませんが、人気を伸ばして行ったLil durkがフィーチャリングしていたこともあってか、のちに公開されたこの曲のMVがきっかけでBubbling Under Hot100のランキング4位にまで上り詰めることとなりました。他にも、Grandson vol.1やLevon James, Welcome to O’block、what it means to be king等のアルバムを公開し、Lil durkを筆頭にPolo Gや21savage,NLE Choppa, YNW melly など名だたるラッパーとのコラボを果たしました。
個人的に彼の曲の中で最も好きなものは、”Took her to the O”です。日本のクラブで聞いたことはあまりありません。(vonの曲自体あまり耳にすることはありませんが。笑)

"I broke the rules, 'cause this bitch a witness
Plus I just popped through
But she ain't cryin', plus this ho was smilin'
And this bitch looked cute"
「俺は掟を破った。彼女に見られたし、奴(goofy nigga)を撃ったんだ。
なのに彼女は泣いていないどころか笑ってた。しかもそれが俺には可愛く見えた。」

ここは登場人物全員おかしいですね。そのあと彼女は"Fuck that nigga, he from 63rd"と吐き捨てています。63rd は63rd street のことで、vonはよく曲の中で"We not from 63rd"というフレーズを使っていることからもわかる通り、Parkway Gardenの近くのエリアでTooka ville とも呼ばれ、Lil JayやFBG duckの本拠地(Gangster Disciples)でもあります。つまりライバルの地域ということですね。
余談ですが、最近判明したこととして2020年8月に起こったFBG duck殺人に10万ドルもの賞金を懸けていたといわれ、それまで続いていたビーフ状態が解消されたというポストの直後の出来事であったため私にはとても衝撃的でした。

アヒルはFBG duckのこと。

2020年10月、vonは"Welocme to O' Block"をリリース。所属レーベルのOnly the familyとEmpire Distributionを通じてのリリースでしたが、Polo Gを客演として迎え入れた”The code”などに見られるように力強い、かつ冷酷なストーリーテリング基調のVonらしいリリックに圧倒されます。プロデューサーもChopsquad Dj , Tay keith, Wheezy等当時イケイケの人たちが多い新進気鋭のアルバムとなりました。

”Get caught, just stick to the code"
「捕まってもコードだけは守る」
↑ここでのThe codeの意味は、”NO SNITCHING”です。チクらないこと。

Polo G(左) とKIng Von(右)

若者文化のためのエンタメ会社であるComplex Networkはこのアルバムを
"Reflecting  with an acute lyrical clarity on his rise and how newfound fame could impact his own life and the lives of his loved ones"
「彼の台頭と新たに得た名声が彼自身の人生と彼の愛する人の人生にどのような影響を与えるかを鋭く叙情的な明快さで表している。」と評価しました。このようにWelcome to O blockは大絶賛で、シカゴドリル界の頂点にLil durkとともに達しようとしたとき、悲劇的な事件が起こったのです。

Welcome to O blockリリースからわずか約1週間での出来事でした。
2020年11月6日、アトランタのナイトクラブMonaco Hookeh Loungeの外で互いに口論していた二つのグループの間で銃撃戦となり、King vonを含む3人が死亡したといいます。Vonを撃ったのはLul TimというQuando Rondoともコラボしたことのあるラッパーで、2021年3月に10万ドルの保釈金を支払い、釈放されましたが、実際Vonは何度も撃たれ、危篤状態で病院へ搬送されたがその日に26歳という若さで息を引き取りました。
そして2021年8月、Vonが育ったParkway Gardens Complex(複合施設)には弔いとして彼の似顔絵の壁画が描かれたのです。住民の間ではギャングか関連している事件とシカゴの地域を結びつけてしまうとしてこれを撤去するよう主張する人もいますが、彼なくしてはシカゴはこれほどまでに有名にはならなかったと思うと彼の功績を町に表現する手段としてなくてはならないと感じました。

King Vonの壁画。

以上、King Vonについて本当にざっくり書きました。
次回以降ぼちぼちGrand Sonの訳とか書いていきます。

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