シルバーの純度と歴史について。

こんばんわ!

さてさて、今日は二回目のブログです。

沖縄はというと、晴れたり、雨が降ったりと、沖縄らしい天気という感じ。

ビーチに行って、写真取りたかったんだけど、取れなかったな。

さてさて、今日はシルバーの純度と歴史のお話。

さあ、どんなお話かいってみよー!


シルバーの純度

銀製品の純度を表すには1000分率を用います。現在日本では「1000」、「950」、「925」(スターリングシルバー)、「900」、「800」という5種類があります。「950」というのは95.0%の銀と5.0%の他の金属(銅など)からなるシルバーという事です。「1000」の純銀は100%銀と言うことです。
スターリングシルバー(SV925)は現在のシルバーアクセサリーの主流で、銀製品にはSV925やSILVERの代わりにSTERLINGの刻印が入っている物も多いようです。SV925の銀合金は、優れた性質を持っており、貨幣用としてはもとより、装飾用、工業用と、さまざまな分野で使用されています。

シルバーの歴史

銀の歴史はとても古く、紀元前3000年頃,、銀製の宝飾品としてウル文化(古代のシュメール人の都市)の埋葬遺跡で見つかりました。採掘された最初の銀は、アナトリア(現代のトルコあたり)周辺の鉱山でした。カルデア人は紀元前2500年頃、他の鉱石から銀を抽出する技術を持った最初の文明でした。
紀元前1000年頃、南部および北アメリカの文化は高度な銀加工技術を使用していました。紀元前900年頃、アテネ近くのラリウム鉱山はこの時より1000年の間、銀を生産する有数の鉱山でした。アジアでは、紀元前200年頃、朝鮮への中国からの移民が、彼らに銀製造技術を伝えました。そしてその後、朝鮮半島から日本へ広がりましたが、日本ではあまり銀の普及が進みませんでした。その頃ローマ人は貨幣や家庭で様々な用途に銀を使用しました。

紀元1世紀頃インドのインダス文明では、飲み物を注ぐ為の容器に初めて銀を使いました。3世紀にはロンドンでローマ帝国の貨幣が鋳造されていました。6世紀頃、銀製造技術は、中国において非常に重要になりました。中国ではこれ以前は、銀製品は非常に貴重品でした。
そしてイギリスでは760年頃から、のちの鋳貨の基礎となった銀ペニーが連続的に使用されるようになりました。

9世紀になって高度な銀製造技術は、メキシコのオアハカ地域に伝えられたと言われています。
10世紀年頃、中国では銀製造技術が一般的になりました。
ノルマン朝初代のイングランド王、ウイリアム1世(1066~1087年)がロンドン塔に造幣所を設け純度925/1000銀を本位として採用。これが今日の「スターリングシルバー」通称925銀として知られるようになったものの始まり。その名の由来は、ヘンリー2世(在位1154~1189年)の時代に銀貨を鋳造していた『スターリング家』が源と言われています。

16世紀に入り、スペイン、パナマ、アンデス地方のコスタリカ人インディアンズは、銀細工師の技術が非常に高い芸術性を持ったものになってきました。
ヨーロッパでの銀の産出はボリビアで始まりました。ボリビア、ペルーおよびメキシコは、1500年から1800年の間で世界の銀のほぼ85パーセントを産出するようになりました。17世紀ニューヨーク(セネカ族、イロコイ族、カユーガ族など)のアメリカインディアンの種族は、ヨーロッパの銀貨を宝飾品に変え始めました。それらは、叩き出し、浮き彫り、焼きなまし、金銀線細工などの現在の銀細工技術の始まりでした。

18世紀、中国での銀の使用は広範囲になりました。そして19世紀になり、銀の宝飾品は採掘精錬技術の進歩のために、より手頃で身近になりました。また電気メッキが発明されたのもこの頃です。1850年代中頃、ニューヨークのティファニーが銀器の生産を始めました。

20世紀アメリカでは銀の有名な鉱山がネバダ、コロラドおよびユタで発見されました。世界で産出量が多いのは、メキシコ、ロシア、アメリカ、カナダ、ペルー等で、これらの国で世界総生産の大部分を占めているそうです。このように、精錬技術の発達と鉱山の発見により、現在では供給量が増えたうえ、様々な回収システムが整備されたことから、金よりも安価になっています。

主に写真フィルムの材料や工業用に使用されるほか、その輝きの美しさから宝飾材料や貨幣用にも使用されています。

シルバーって知れば知るほど面白いですよね?

また次回も書いていきますので、よかったら読んでね。

では!

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