さらば東京
私は、東京ではないところで生まれ育った。
その日々は自然豊かで剣呑としないものだったにせよ、「ここではない」「どこにも行けない」という強迫観念がつきまとっていた。
いま思えば、それは一概に故郷が田舎だったことだけが理由とは言えない、青春期の自分を自分の望みどおりにできないための責任転嫁でもあったと思う。
それでも、その当時に自分にとっては自分の知らない場所と可能性があるはずだと信じることがもっとも未来のある救いだった。
だから大学に進学することが許されたとき、必然としてその所在地は人や物や情報が多く無限の可能性を秘めた場所でなければならない、ということになった。
例えば。
1300万の民がいれば自分の生きた地域の100倍以上の出会いの可能性がある。
24時間営業しているのはコンビニだけではない。午前3時でも多数の店が受け入れてくれる。
全国ツアーという名前の全都道府県を回らないライブも東京が漏れることはない。
知らない仕事・文化・選択肢の存在を教えてくれる。
少なくとも家以外に行ける場所がある。
これらが、私が東京に押しつけたものである。
私は東京にある大学に通いながら、あるいは東京にある仕事場で働きながら、それ以外の時間では孤独と関係と夢想とにいそしみ、たくさんの一喜一憂の手を変え品を変え、無限の可能性の現場で生きていることを無邪気に信じ続けた。
そんな私が東京を離れ、大阪で暮らして7年がたつ。
10年近く暮らした東京をたつ頃、私は東京のことがほとんど嫌いになっていた。
嫌いになった理由は、一面的なものであればいくつもある。
例えば。
満員電車のように人が多いだけで苦しいということ。
無駄な土地がなくて歩き疲れて腰掛けることだけでもお金がかかること。
新しいものが生まれるとき、古いものが消されることに何も感情が動かなくなっていくこと。
可能性を追い求めた分、各所にしみついた自分の数々の失敗の痕跡が目立つようになったこと。
東京に来たばかりの自分が無邪気に色んなことを受け容れたように、東京に集まる人たちも清濁を併せ吞んで生きているだろうことに嫌悪感を感じるようになったこと。
ただ、それらはもっともらしい理由に過ぎない。
構造の本性は田舎にいたときと全く同じだ。
それは一概に東京のせいではなく青年期の自分が、無限の可能性の中の最善の存在になれなかったことへの責任転嫁でもあったんだと思う。
東京に来れば解決すると信じていた気持ちのただの自分勝手な反動だったのだ。
日本で2番目の都市・大阪には、無限の可能性などない。
大阪は大阪万博を境に廃れた街である。
いま精神的に大阪を支えているのはここに住みたい・ここ以外に住む場所がないと思っている人たちだ。
そこに都合のいい可能性を持ち込める余白はあまりない。
でも、東京を"ダメ"にしてしまった私は、もう東京に代わる場所がないと何となくわかってしまったような気がして、明らかに東京とは異なる大阪の日々を忙しくすることで、東京に裏切られ、また裏切らせてしまったことを努めて忘れるようにしてきた。
時間はたくさんかけた。
あと3年もすれば大阪の暮らしが東京で過ごした年数を超える。
40歳だって見えるところまできた。
でも完全に忘れることはできない。
東京に対する答え合わせは何も終わっていない。
私の都合を押しつけた東京のことが時折フラッシュバックする。
押しつけきることまではさせてくれなかった東京のことを忘れさせてくれない。
東京とはいったい何だったんだろうか。
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