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サッカーを辞めようと思った話(サラリーマンの備忘録)

学生時代、サッカーをやっていました。

中学校では弱小チームに所属していましたが、私の進学した高校はなかなかサッカーの強いチームでした。県ベスト8前後、運がよければ全国大会も可能性があるのでは?、と夢を見られるレベルの実力でしょうか。

中学生の頃とはレベルが違いすぎるので、正直、高校でもサッカーを続けるかどうかは悩んでいました。サッカーを続けるきっかけになったのは、偶然、サッカー部への入部希望者が同じクラスにいたからです。決め手だったのが、彼らが高校からサッカーを始める素人であったためです。彼らがいれば、とりあえず自分が底辺ということはないだろうと、安心していたのです。我ながら非常に卑しい根性です。

実際、入部してみるとレベルは高く、練習も厳しいものでした。しかし、中学時代とは比べものにならない高いレベルでの練習は、これまで以上にサッカーが上手くなっていることが実感できました。そして何よりも、日々の生活を豊かにしてくれるよい仲間がたくさんできました。

そんな日々でしたが、先輩達の引退により高校2年の夏頃から私も徐々に試合に絡めるようになりました。さらにサッカーが楽しくなる予感・期待がありました。

ところで、チームには私とレギュラーを争うメンバーが2人ほどいました。彼らはスピードや足元の技術など私より優れた特徴もありましたが、総合的に見てよりチームに貢献できるのは自分であるとも感じてもいました。時を経た今、ドライに見てもそう思います。

しかし、実際に試合に起用されるのは彼らの方が多く、私は試合に出場しても僅かなプレー時間しか与えられませんでした。練習を見れば私の方が優れていることは分かるはずなのに。そんな日々が3ヶ月ほど続きました。

一番の問題は監督が練習に来ないことであったと思います。最近は部活動を外部のコーチが面倒を見てくれることも増えているようですが、当時田舎の公立高校ではそのようなケースは稀で、我々のチームもいわゆる顧問の先生が監督を務めていました。今なら理解できますが、比較的サッカーが強いとは言え、地方の公立高校、さらに地域では進学校に分類される私の母校では、サッカー部以外も含め、部活動の指導に力を入れる余裕などなかったのだと思います。

最もショックだったのが、試合前のシュート練習時に左足のシュートをミスした私に、もっと左足の練習をするよう檄を飛ばされた時です。入部の際、最もレベルの差を感じたのが利き足ではない左足でのキック精度で、以来それなりに練習を積んできました。その成果もあり、その頃には右足と遜色ないキックを身につけていました。少なくとも、レギュラーを争う彼らと私とでは圧倒的に差がある自負もありました。実際ミスキックではあったのですが、私の日々の努力は監督の目にも全く留まっていなかったのだと思わざるを得ませんでした。なぜそんな人にメンバーを決定する権利があるのだろうか。

この件以降、私の中の不信感は倍増しました。そして最も避けたかったのが、この状態が続くと、チームメイトのことを嫌いになってしまいそうなことでした。試合出場を争うライバル達もサッカーを離れ、学校生活を行う上では仲のよい友人です。円滑な学校生活を行う上で、これ以上サッカーを続けるメリットはないと考え、私は冬の高校サッカー選手権予選を最後に退部、サッカーを辞めることを決めました。

しかし、我々はなかなか負けることなく順調に勝ち進み、私の引退もズルズルと延びていきました。その間、私の出場は相変わらず数分程度しか与えられませんでした。そして、ようやく次戦で優勝経験もあるサッカーの強豪校との対戦が決まりました。ようやく引退かと半ば安堵もしていたのですが、その試合の2〜3日前のことでした。チームメイトがその大一番には私を起用するよう監督に進言してくれたのです。

今思うとこれも問題だと多いますが、監督はあっさり次戦で私の起用を決めました。これまで試合に出場していたライバル達は複雑な思いもあったと思います。ただ、これまでの自分の努力を評価してくれる人がいたこと、それを思うと練習後の帰り道で結構泣きました。秋の寒空を泣きながら自転車を漕ぐ高校生は、なかなかキモかったように思います。

結果として、その試合には2-0で敗れましたが、私はサッカーを続け、それから約半年後に友人たちと共に引退しました。日々の努力は誰かが見てくれている。それが分かっただけで救われ、サッカーを続けられることができました。

冬の高校サッカー選手権を見て思い出した、青春の思い出。

#サラリーマンの備忘録 #高校サッカー

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