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第二次大戦教育の気持ち悪さの言語化を試みる

グロテスクがどうとか、普通に嫌いとかではない。

基本こんな感じ

講義が始まる。
広島のドームを背景に、核が落ちた直後町はどうなったか、
被害にあった人がどうなったかが語られる。

繰り返すが、その過程で不快になったとかではない。

それらのことが語られて、講義が終わる。
…終わり。

視点が過去ばかりに向いている

「核が落ちた、町はどうなった」「被害にあった人がどうなった」
これらが不必要な情報ではない。むしろ重要な事項だ。だが…

「なぜそうなったのか」
具体的には、事象に対する原因の解析、
繰り返さないための方法の考案など、
未来への視点が全くない

自分なりに修正

 「当時の軍部が無茶な作戦とわかっていながら、現場の空気を優先して
作戦を決行。
 作戦の失敗は明確なのに、犠牲者の霊がどうこうとズルズル続け、
その結果核兵器が使用された。

 そうして大勢の人がそれによって吹き飛ばされ、
町は一瞬で更地になり、数万人もの死傷者が出た。
生存者は今なお後遺症が残っている。

 この事態を繰り返さないために、会議に悪魔の代弁者を、
最低2人入れる必要がある。」

参考はこれ

これだけでも大分印象が違うだろうか。
冷たくなったと言われれば返す言葉も無いが。


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