好きと軽蔑は共存できる

父親のこと。

20代前半を父親に対する殺意で苦しんで
しばしば眠れない夜を過ごした。

血が煮え立つような怒りで、全身が燃えるような感覚を、今でも覚えている。

私は3人兄弟の長女で
3人の中では比較的父親から関心を持たれていた方だと思う。
関心を持たれていた、と表現したのは
家族に対して、そもそも関心がないように思えていたからだ。

それでも比較的私は愛されている方で
母親の愛情が弟へ向けられていることを感じていた私にとって
それはささやかでも、嬉しいものだった。

とはいえ、あまり家に寄り付かない父親。
年齢を重ねるごとに、父親のおかしさにも気づいていく。

色んなことを理解できるようになった中学の頃は
母親と父親が大喧嘩しているのを
兄弟が寄り添って、これからのことを不安に思っていた。

この頃から、父親に対する嫌悪感は育っていく。

私と父親はよく似ていると思う。
孤独の在り方とか、本当に欲しいものとか、
ほしいものを敢えて言わない、意気地なしな所とか
変にプライドが高いところとか。

だから父親が嫌いだった。

父親はとにかく、自分の孤独を埋めてくれるものが好きだった。
それが刹那的なものだって、構わないようだった

私はそんな父親の軽薄なところが
本当に嫌いだった。

そして、そんな大嫌いな父親が
夫婦喧嘩に割って入った私を
敵とみなして、排除しようとした。

当たり前なことだった
父親は孤独な人だったから、その孤独を突き付けるような
人間は嫌いなのだ。

でも若かった私には
そこまでは分からなかった。

だから、どうしても許せなかった。
薄っぺらい愛情を、喜んで受け入れていた私を
排除しようとしたのだ。

それからたびたび、
父親に対する殺意で眠れない日があるようになった。

誰かを恨むというのは、
結局1番辛いのは自分なのだ。

離れて暮らしていた父親は
私の殺意なんて知らなかっただろう

ただ、私だけが苦しかった。

自分の中に誰かを殺したいという明確な望みがあることが
自分を失望させた。

殺意があっても、殺さなければいい
どんなことを思ってもいい、ただ、実行しなければいいのだ
そうやって折り合いをつけるのに、数年を要した。

そして、ささやかな愛情に喜んでいた自分の幼少期を
受け入れるのに、さらに数年を要した。

そして、結局
父親に対する愛情があることに
降参するのに、
さらに数年かかった。

私は今でも父親を軽蔑している。
彼の孤独は私が1番理解できるだろう
だけど、その孤独との向き合い方を
今でも軽蔑している。
あの、汚い自己防衛を軽蔑している。
それが崩れそうな自我のもとに成り立っているのだと理解していても。

だけど、それとは反対に
父親が孤独な最期を迎えるなら
私が面倒みるだろうと思う。
その孤独に共感し、あのささやかな愛情を
今でも大切に思っているから。


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