チネイザンと私

お腹を揉むチネイザン。
お腹をもむと人生が回りだす、と何冊もチネイザンの著書を出しておられるyukiさんはおっしゃっています。

チネイザンを始める前、
私は自分がコントロールできずに苦しんでいました。

いつも怒鳴り散らし、
殴りかからんかの勢いを、せめてそれだけはいけないと
止めるのが必死な日々でした。


長男がようちえんでお友達を噛んだ。お友達をたたいた。そしてそれがたまにではなく、よくあることでした。

ようちえんからは、遠回しに、おうちでの過ごし方に問題があるのではないかという話をされていました。

実際に常に怒鳴り散らし、命令口調になってしまう自分の育児が正しいとは思えず、

問題があると思っていました。

長男がお友達を噛むのは、私が日々の暮らしでストレスを与えているからだ

長男がお友達をたたくのは、私が長男の気持ちを尊重できずに押し付けているからだ

そう思って、毎日罪悪感で辛い日々を過ごしていました。


自分が変わるしかない。


まずは、頑張っている自分を認めてあげよう。

自分が全部悪いと思うのをやめてみよう。


でも、怒鳴り散らしたり、怒ってばかりなことは変わらずに

自分の育児には自信がもてませんでした。


そんな中、子育てに関すること以外での罪悪感を解放した時に

アトピーがなくなる、という経験をしました。


心と身体のつながりを感じ、

確信をもって、チネイザンにたどりつきました。


自分の怒りたまった感情を

どうにかしたいとチネイザンを学ぶことにしました。


講習中、人のお腹も揉ませてもらうけれども、

何度も私のお腹ももんでもらいました。


今、振り返れば

自主保育であるようちえんはとても大変でした。


毎日のお弁当、週2回の保育当番、次男の親子組、ようちえん終わった後も遊んで帰れない

ほとんどの時間をようちえんに取られていました。

おまけに、長男のアレルギーもあって、総菜や外食に頼ることは難しかったです。

それでも、子どものことを考えると、環境は最高だと思っていたので

やめるという選択肢はありませんでした。

自分がどんなに大変でも、子どもにとっていいと思ったものは

取り入れていきたいと思っていたのです。


友人からやめることを勧められた時も、何を言っているのか分かりませんでした。


でも本当はしんどいと思っていたのです。

日々、時間がないこと

アレルギーの為の食事制限を申し訳ないと思い続けていたこと(週1の給食は息子に合わせてくれていた)

長男の問題行動を私のせいだと思っていることでの、居心地の悪さ

長男の問題行動に困っているという、責任者の空気

明らかに、次男に無理をさせていること(体力的に)


そんなある時、長男が寒冷蕁麻疹になり、普段の活動ができなくなりました。

医者からも食事指導がありました。

そして、その食事指導がおかしいんじゃないかという発言もありました。


いよいよもって、

ようちえんに通わすことが、しんどいな、そう思うようになりました。

寒冷蕁麻疹を理由に、しばらくお休みすることにしました。

しんどいだろうな、そう思っていた

3人の生活は(長男、次男、私)、思っていたより楽しくて

気楽で自由なものでした。


それでも森の中での活動は

長男にとっては絶対にいい環境だと思っていたので、

なかなかやめる決意はできませんでした。

お友達と引き離すのも、申し訳なく思っていました。


それでも、食品アレルギーでアナフラキシーショックを経験している長男に

また、寒冷蕁麻疹でもアナフラキシーショックの可能性があることが

私には不安で耐えられないものだと思いました(冬でも水遊びする子なので)

そして、ようちえんを辞めました。



ここまでのことがないと、ようちえんを辞めたくないと思っていました。

それでも変わりたい一心でお腹を揉んでいて

私の本当の願い「もう少し、頑張らなくていい生活を送りたい」

それが本心で、それが叶うこととなりました。


そして長男が選んだ保育園に通いだし

お友達に危害をくわえることは、1か月程でゼロになりました。

長男にとって、いい環境を用意したい、そう願い続けていた私の願いが叶ったのです。

それは、安定した私の存在でした。


ようちえんを休みだして、保育園に通いだすまで

3か月ほどありました。

わたしはだいぶ怒らなくなりました。

急き立てることも、だいぶ減りました。


お腹をもんで、どうして自分が怒ってしまうのか、分かるようになりました。

その原因になる気持ちにアプローチしてきました。

自己否定の場所を一生懸命揉みました。


気づいたら、

私は自分の都合で怒ることは、ほとんどなくなっていました。

怒鳴ることはなくなっていました。

怒っても、罪悪感は抱かなくなっていました。

自分が理不尽な事をしたときは、謝れるようになっていました。

だっこして、と言われることを嫌だと思わなくなっていました。

寝ていない子ども達も、愛おしく思っていました。


私は、変わりたいと思っていた願いを

叶えていました。

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