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Family Affair

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家族のことやインコさんのことを書きます。
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2024年1月の記事一覧

ひなたちゃんが今日はぐっすり眠れてるみたい。昨日までお腹が痛くて夜眠れなかったみたいなのだけど、痛み止めをちゃんと飲んだらさっそく今日のお昼頃にわたしの腕で眠り始めた。明日も痛み止め、飲んでくれるといいなあ。おくすりって、使い方間違えなければ暮らしを豊かにできるんだね。

というか、今はこの子が一番大事♡ 早く元気になってね。

「苦しかったらいつでも声をあげて。かけつけるから」と言ったけど、本当に苦しい時は声も上げられないことに気づいた。でも、きみが一瞬あげた叫び声に、まだ希望はあると思ってしまった。希望を持っては、いけない? まだ大丈夫だと思ってはいけない? あきらめたくない。

自分を温めてくれる近くの愛よりも、自分を温めてくれない遠い愛を追いかけてしまうのはなぜだろう? 本当に欲しいのは、自分を温めてくれる愛なのに。夢を見てしまう。遠い愛がいつか自分を温めてくれるんじゃないかって。でも、本当に貴重なのは、身近でいつも見つめていてくれる愛のほうなんだね。

自分にとって正しいことは選べても、それによる幸運・不運は自分では選べないものだと知った。何もかも、起こるべき時に起こる。だから、選ぶことを恐れてはいけない。人任せにした選択は後悔しか呼ばない。その先に何が待っているかは誰も知らないのだから、自分で選ぶことが大切。

ひなたちゃんのことがあって、以前から準備していた3月にあるとある検定試験を受験するかどうか迷った。迷った末、ひなたちゃんの健康も試験突破も両方目指すことに決めた。忙しくなるぞー! 落ち込んでたからって病気が治るわけじゃないし。わたし頑張るよひなたちゃん。ひなたちゃんも頑張ろうね。

ひなたちゃん(インコ)が重病になった。最近羽根を膨らませてるなと思ったら、寒いのではなく調子が悪かったようだ。これはわたしがひなたちゃんの愛情をおざなりにした罰だ。わたしの荒れた手を「なでてほしい」と欲しがるのはあの子だけなのに。今のわたしを愛してくれるのは、あの子だけなのに。

約束

母は約束を守らない。正確に言うと、わたしとの約束を守らない。 「何時から〇〇だけど来てくれる?」と頼むと、その一時間後に来て何も言わない。謝りすらしない。ちょっと責めると「あんたが待たせるから寝ちゃったのよ」と逆ギレする。 約束は守られる前提でするものだ。だけど、母との約束は「守られたらうれしいなあ」程度の気持ちしか持ってはいけないらしい。 そもそもなんで約束するのか。一緒に何かをしたいから約束する。相手はその人が約束を守るという可能性に賭けて約束をするのだ。そんな崇高

母が信頼していた同僚に裏切られたと言う。「信じていたのに」と。本当に信じていたなら、なぜそんなことをするのか理由があったのかもしれないとか、そんなことをさせた自分に責任はないだろうかとわたしなら自問するのだが、そこは親子じゃないんだなあ。とりあえず愚痴を聞いてあげた。

どの占いを見ても、わたしは今年結婚することになってる。わたしはするのかまわないけど、うちのラスボス(母)を攻略できる人なんているのか? あ、そうか。ひなたちゃん(インコ)と永遠の愛を誓えってこと? それでもいいけど。彼だけです。こんなわたしにちゅっちゅしてくれるのは(笑)

ゴミ捨てが楽しみ。

そもそも、ゴミ捨てはわたしの担当ではなかった。 重いものを持つと腰が逝ってしまうので、朝からそんなんじゃ仕事にならないし、母も特に何の文句も言わなかった。 ある時、母が骨折して荷物が持てなくなった。仕方なくゴミ捨てはわたしがしばらくの間替わることになった。 最初は朝暗くてよくわからなかったが、季節が温かくなるにつれ朝の風景がきれいなことに気づいた。こんな景色を譲ってくれたんだなあと思ったらゴミ捨ても苦じゃなかった。腰痛かったけど。 骨折が治った母。その後もわたしが痛む

今日もわたしのせいにされた。自分が頼んでこなかったのに、いかにもわたしが悪いかのようにふるまっていた。まあ、この問題が解決すれば、そんなこと忘れてまたすり寄ってくるんだろうから、今は我慢我慢。我慢するって決めたんだから、あの人がいない間は、イラつく前に自分の好きなことしようっと。

自分が「月」であることに今さら気づく。

彼から母を大事にするように言われたことを思い出し、2024年こそはちゃんとしようと思い、31日の夕食時から1日朝の4時までずっと母の話を聞いていた。 そして気づいた。わたしは、母の光に照らされている月のような存在なのだと。母がいなければ、光ることもできない。それは、うすうす以前からわかっていたことだった。 よく「自分が人生の主役だと考えないとダメ」みたいなことを言う人がいるか、生まれつき脇役人生の人間もいるのだ。わたしももしかしたら主役になれるのかも、とふざけたことを昨年