おじろく・おばさ制度が行われていたとされる村を訪問した
おじろく・おばさについてwikipediaより引用
「旧天龍村地域のみに「おじろく、おばさ制度」と呼ばれる特殊な家族制度があった。16〜17世紀頃には存在したという。この制度の下では、長兄のみが社会生活を営み、それ以下の弟妹はおじろく(男)・おばさ(女)として村社会から隔離され、家庭内の労働力としてのみ人生を送る。中流以上の家庭に多かったという。
彼らは結婚・交際をせず、村祭りなどの行事にも参加しなかった。声をかければ会釈くらいはするが、基本的に無気力で人嫌い。家庭内での地位は下男・下女扱いであったが、幼少期から特別虐待されるわけでもなく、むしろ労働力として重宝がられていた。
彼らの性格が分裂病(今で言う統合失調症)に似た症状であるとして面接を行った精神科医の近藤廉治は、「青春期の疎外が作った人格であり、分裂症とは言えない」と結論づけている」
おじろく・おばさは明治5年で190人、昭和40年代ですでに3人しかいなかったらしい 昭和中期にはほぼ廃れていたようだ
今は制度が存在した面影もないだろう
しかし今回無理をすれば行けるし、村の雰囲気を味わってみたいと思い行くことにした翌日6時の始発に乗るためにバスと電車を乗り継いで豊橋駅に向かう5月とはいえ寒いかもしれないと思ってヒートテックを着込んできたがやはり肌寒い
0時前に漫画喫茶に着く 8時間パックのリクライニングシートしかなかったがこれで睡眠が取れる リクライニングシートがあまり倒れないので無理矢理シートの部分で横になって寝た
寒いのと向かいの席の奴のいびきがうるさくて4時間くらいしか寝れなかった
結局リクライニングシートでは寝れず椅子をどかして床で寝た
5時に起きて持ち込んだ菓子パンを食べ、電車に乗る 5月とはいえ朝は肌寒い
しかも電車は冷房が効いてて寒かった
2時間電車に揺られる
目的地が近づき、かなり山奥まで来た 乗客は登山客っぽいの含め自分以外にも4人くらいいた
降車駅の鶯巣駅に近づいたあたりで車掌に切符を回収される 手前の駅までの電車賃しか払ってないはずだが差額はなぜか回収されなかった
鶯巣駅に到着 ここから旧神原村を目指す
郵便局から西へ進む こんな感じの山道が延々と続く 人は全くおらず、車も3回くらいしかすれ違わなかった 鳥の鳴き声が響くだけだった
途中、もう使われていないと見られる謎の建物を発見する
駅から1時間ほどで歩くと国道に出る ここは歩道が狭いのに車の往来がかなり激しく、進むのが怖かった 道沿いは建設会社の詰め所や駐車場が多かった
スピードを出しているダンプが真横を通り過ぎたときは結構ひやっとした
近くで工事をしているからか車の往来は多かった
徒歩で歩くような道ではないと感じた
国道から分岐している道に入る 目的地は赤丸で囲った位置にある場所 グーグルマップで確認すると小中学校があり、そこそこ大きな集落がある しかし駅から徒歩で接近できそうなルートは自分が今日歩いたルートしかない
この時点で10時 目的地はまだまだ先だ
だがこれ以上進むと今日中に家に帰るのが難しくなるのと肉体的にも精神的にも限界だったのとで引き返すことにした
国道を引き返す 行きほどではないが何回か車やダンプとすれ違う 体力の尽きた状態でここを通るのは自殺行為だと思った
12時半頃伊那小沢駅に到着
しかし電車が来るのは1時間後 駅には自販機もトイレもなく、喉がかわいたまま何もできなかった 川の水を飲もうかと思ったが川に降りることはできなかった
16時頃豊橋駅に到着 せっかく豊橋駅に来たから何か食おうかと思ったがどこも閉まっていた 王将も満席で入れずとりあえずすき家に入った
歩いたつもりだが本当に一部しか歩いていないんだなと感じる
グーグルマップで確認すると南側にもぽつぽつ民家らしきものが見られる コンビニすらなく、自販機すらほぼ見かけないような場所だが意外と人が住んでいるんだなと感じる
今回の遠征でかかった費用は7540円だった
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