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「置き忘られた制度の遺物「おじろく・おばサ」の調査と研究」を読んでわかったこと


前回の記事
https://note.com/bright_moraea720/n/nd5eb68c10e2b?sub_rt=share_b

今回はおじろくおばさっていうよりそれを取り上げた論文そのものや著者の実態に迫る形の記事になった
論文の中身が気になる方は検索したら紹介してるサイトがいくつかでてくるんでそちらを見てほしい

国会図書館デジタルコレクションで「おじろく・おばさ」で検索すると37件の資料がヒットする



このうちネットで閲覧可能なのは22件
無料で読めるものの住所や電話番号を入力し利用者登録をしないと閲覧できないので気は進まなかったが登録した 
おじろく・おばさを調査した論文として有名な「置き忘られた制度の遺物「おじろく・おばサ」の調査と研究」はここで閲覧できる

デジタルアーカイブは本の直撮りなので見づらい

論文は1962年に発行された学術誌、国学院雑誌に掲載されている 10ページほどで神原村の住民数人、おじろくとされる人物2人の証言が中心となっている
冒頭では著者である水野氏が「私がこの事実を発見した」と主張している 
現に国会図書館で閲覧できる資料の中で、おじろくおばさに触れているのはこの論文が最も古い
「「おじろく・おばサ」の調査と研究」は1968年に発行された学術誌「伊那」で再度取り上げられている
冒頭で「私は今、当時のメモ帳と、国学院大学雑誌に発表した報告文を基 にして、再筆することにする。」と書かれている通り加筆修正されており、国学院雑誌で投稿されたものと内容はやや異なる
論文では村の住民の様子について「筆者はこの部落に数回赴いたが、部落へ入ると村人は
「他処者 の侵入」と云った白い眼をむけて、いつまでも注目していた。排他的な空気をひどく感じたし、初対面の人々は碌に口もきいてくれなかった。録音マイクを差出すと更に口堅くしてしまって困らされた。」
また「伊那」に掲載された加筆修正版では
「私は再三再四、福島部落を訪ずれたのだが土地の人々は、なかな か受け入れてくれなかった。福島正良さん(福島部落の有力者)が気を揉んでどうにかワタリをつけて下さった」とある
同一著者による1974年発行の秘境伊那谷物語では
「売木、新野・和合(阿南町の一部) 神原・平岡(天竜村の一部)根羽・浪合、平谷・下条・泰阜・大鹿・の各村と大下条・富草(阿南町の一部) 南和田・八重河内・和田・木沢・(南信濃村)上の旧各村の古記録」
におじろくおばさの存在が確認できるとしている
著者がなぜ福島部落にこだわったのかはわからないがよそ者を警戒する空気はまわりの村にもあったんじゃないだろうか
他の村での調査が古記録の存在に言及するに留まっているのはそういった要因もあるように感じる
現地の小中学校の校長は村人の性質について街に出たとき若者が散財するというエピソードを交えながら「退嬰的」「将来を考えていない」「自主性がない」としている
おじろくおばさには「無口・無気力・人嫌い」という特徴があるがこれは村全体の傾向でもあった可能性があるように感じる

国会図書館にある他の資料も見てみると郷土史?と思われる文献がおじろくおばさを取り上げているが、ほぼ「「おじろく・おばサ」の調査と研究」を丸ごと引用したものか、話の流れでそういう制度が存在する、と触れるに留まっているものが多かった また短歌や詩の題材として取り上げているものもあった

論文の著者が何者か気になり、国会図書館で水野都沚生氏の名前で検索をかけると彼が執筆したとされる文献が300件ヒットした

 タイトルを見た感じだと主に長野県の風俗や文化に関する著作が多いようだ 
しかしおじろくおばさに触れているのは先に上げた論文のみだ
他の地域でおじろくおばさと似たような事例があると示唆するのなら神原村のみの調査では不十分なのではないだろうか
加筆修正版の「「おじろく・おばサ」の調査と研究」の冒頭には
「最近、旧知の県立阿南病院長、宇治正美博士から「信州大学医学部、神経科が、おじろく・おばさの医学的究明に着手しているので その人らの精神状態などについては調査にあたった、あなたが文献 を持っていることを教えて、あなたを訪ねるように連絡してある。その節はどうぞよろしく・・・・・・」との挨拶を頂いた」
という一文がある
大学が調査に乗り出したことを匂わせる発言があるにも関わらず、調査の結果を示す論文は少なくとも国会図書館には見られないしネットで取り上げられているのを目にしたこともない あたかも調査自体なかったことであるかのように扱われていると感じるのは自分だけだろうか


1973年2月発行「伊那」に掲載されている米山富士子氏・長窪益代氏による論文「清内路村内での嫁の民俗」内で「「おじろく・おばサ」の調査と研究」と水野都沚生氏に対する批判が掲載されている
「 こういう問題を軽い気持で公に発表す るということに私は疑問を感じた。(中略)新聞、ラ ジオ、週刊誌の関係者にまで知らせそして報告させたという、このような貧困化・差別化されたおじろくを、マスコミ的な扱いをするということが、はたして人道的に許されるべきものであろうか。」と主張している
 またそこから水野氏の論文は同和問題に通じる差別的なものであると重ねて批判している 
同和問題は政治や暴力団との関わりもあり長らくタブー視され、現在にまでその影響は色濃い
おじろくおばさを扱う資料が少ないのは同和関連の団体からの圧力があった可能性もあったんじゃないかと思う 少なくともこの批判とおじろくおばさの資料が少ないこととは何か関係があるのではと私は思う

この論文の著者である米山富士子氏は何者だろうか 
国会図書館で検索したところ、「伊那」に寄稿した論文は前出の論文のみのようだった
また1983年に発行された大阪成蹊学園の創立記念誌の旧職員目録、1965年発行のスキー年鑑に大阪で行われたスキー大会に出場した選手として同姓同名の人物が見られる
また民俗学とは関係がない体育学ではあるが1984年発行の神戸女子短期大学学会論攷に吉谷千恵子 、野々上操らと連名で「バレーボールを主とした正課体育 実技が体力におよぼす影響」という論文が発表されている
これらの人物が論文の執筆者と同一人物かはわからない
グーグルで検索しても全く情報は出てこず国会図書館でもヒットする資料は18件のみで謎の人物となっている

長窪益代氏至ってはさらに情報がなく国会図書館で検索してヒットする資料は5件のみ
ほとんど前出の論文かその引用のみ
それ以外だと1981年発行の伊賀良小学校百年史で児童名簿に名前があるくらいだ 伊賀良小学校は長野県内の学校であり、おそらく論文の著者と同一人物と思われる
またグーグルでも検索してみたが何もヒットしなかった


国会図書館でも確認できるが水野都沚生は「伊那」で複数の論文を寄稿しているため「伊那」を発行している伊那史学会のメンバーと思われる
おじろくおばさの調査続行が伊那史学会で反対されてできなかったという可能性もあると思う


この論文の著者、水野都沚生をグーグルで検索してみたが、彼の著作物は複数ヒットするもののwikipediaのページは作成されていない(余談だが伊那史学会のwikipediaページもない)
この人物は一体何者なのだろうか
複数の資料で高校教諭として紹介されており、正規の研究者ではなかったとみられる

論文が国学院雑誌に掲載されたことを示す一文 水野都沚生氏は「下伊那農業高校教諭」として紹介されている


「「おじろく・おばサ」の調査と研究」加筆修正版で福島氏が水野氏を「高校の先生」と呼んでいるのがわかる


郷土の百年第二集の執筆者略歴に水野氏の経歴が記載されている  住所っぽい部分があったのでモザイクをかけた


2015年に柳田國男記念伊那民俗学研究所で行われた公演の告知に記載されていた水野氏の略歴

長くなりそうなので一旦ここで終わることにする





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