早起きのすゝめ

最近早起きを始めた。
通常は平日2時〜8時、休日は好きなだけ寝ていた。
筋トレを再開したので健康志向になり早寝早起きもしてみようという試み。
平日の就寝時間を2時間ずらして0時〜6時にした。
休日はとりあえず目覚ましはかけないがまぁ早く起きるだろうという算段。
これが思いの外いい調子。
まず寝る前にダラダラスマホを弄らなくなった。
時間がきたら即目を瞑る。
そして朝。
いつも朝の準備だけでバタバタ家を出ていたが、優雅に食事をしてコーヒーが飲める。
仕事も前準備がしっかり出来る上に、少し早く始められるので慌てなくて済む。
そして1日がとにかく長く感じる。
こんなに長かったっけ?って思うぐらい。
「早起きは三文の徳」の三文は諸説あるが現在の価値にして約100円。
私のようなズボラで怠惰な人間は100円を取りこぼさず拾っていかないといけない。
まぁこの早起きが何時に当たるのかは置いといて2時間早起きするだけで、これだけ時間の流れが変わるのなら100円どころではない。
しかも時間をずらしただけなので睡眠時間も確保出来ている。
なんなら眠たかったら8時まで寝てしまえばいいのだ。
つい1ヶ月前に電車に乗った時に広告で「朝活」という言葉を
鼻で笑っていた自分を引っ叩いてやりたい。
スマホを見る時間はたいして変わっていないかもしれないが
少なくとも区切りが出来た。
寝る前のスマホは際限がない。
ついでに言うと生産性もない。(私の場合)
朝のスマホには区切りがある。
会社に行かなければならないからだ。
文面だけ見ると一見時間に追われているように感じるが
全くそうではない。むしろ時間を追いかけている感覚だ。
以前までの休日はひどいもんで昼起床がデフォで下手すりゃ夕方。
1日があっという間に過ぎてしまう。
そして何もする気が起きない。
しかも今の季節外に出るのも億劫なので、外に出たとしても徒歩1分のドラッグストア。
あとはダラダラして終わる。そして月曜日。
「THE 悪循環」。
私もうやめた。
なんで今まで気づかなかったのだろう。
動くスピードが早ければ時間の経過は遅くなる。
相対性理論は正しいと改めて感じた。
解釈が間違っているのはわかっている。
時間は平等だ。誰でも24時間で1日が終わる。
あぁ時間よ。君はなんて素晴らしいんだ。
家を出る時間が少し早くなったので用意の時間を引いて1時間程度丸々余る。
この1時間がとてもよい。
本も読める。しかも時間が決まっているので無駄がない。
面白いからといって寝不足になることもない。
だって会社に行かなくちゃいけないから。
会社の優先順位は高い。何故なら生活に直結しているからだ。
夜更かしして会社に行くのがつらいことはあっても
朝に夜更かしする程のコンテンツを見て会社に遅れるという選択肢はない。
優先順位は明確である。
間に自分を挟んで調節していたが、実際はそんなものだ。
大して重要なものではなかったということ。
正直1ヶ月坊主の私は続けられる自信があるかと問われると正直に言って「ない」。
基本的に始めたことは習慣化されるまえに終わる。
だがそれはそれでいいと思う。
習慣化しなかったことで自分を責めたりはしない。
夏休みのラジオ体操も最高で一週間しか続かなかった。
最初は早起きして行くのだが、朝が早すぎてやることがなかった。
友達と行っていたがそのまま遊ぶことはなく、一度解散して後で集合していた。
団地暮らしだったので商店街(駄菓子屋)が開く時間が生活のペースになっていたからだ。
あのとき時間は無限にあると思っていた。
30年の時が経ち時間の大切さを感じるようになった。
あのときあったものはもう殆ど手元に残っていないような気がする。
まぁでも生きてるだけでよしとしよう。



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