夜明けのすべてVSビックバン

俺は『夜明けのすべて』を見てきた。最高だったよ。特に食べ物との関係性については色々言えるね、これは。
俺がこの作品見るちょっと前、俺はファンタスティックベイビーとバンバンバンを聞いていた。
この2つはきっと対立する。なぜなら俺の心がざわついているからだ。






以下ネタバレを含みます。




俺が『夜明けのすべて』を見終わった時、俺は一刻も早く、たい焼き屋に立ち寄り、アルバイトながら、思いつく限り、配ろうと思った。食べ物をあげるというこの幸福。食べ物をもらうというこの幸福。お裾分けの幸福が彼らの心を融解していったように思える。
北斗くんはかつてはカロリーメイトと炭酸水だけの生活だ。ちょっと最近までの俺じゃないか、、、。俺も同様に、その生活に飽きた後、ラーメンを食い出し、うどんを食い出した。丸亀製麺の天ぷらの陳列に心躍らせ、財布と毎日脳内会議を繰り返して、10枚で並盛りが無料になるうどん札をせっせこ集めた。
では現在に戻る。俺はこの映画を観る少し前、ビックバンのバンバンバンのミュージックビデオを聴いていた(観ていた)。かじるようにブラックピンク、twice、BTSと KPOPを聴いていたのだ(観ていたのだ)。ビックバンはカッコいい。かっこうが良すぎて、俺はカッコをつけていた。ジードラゴンはかっこいい。カッコ良すぎて、排他的になっていた。
食べ物の幸福を味わうと、人と繋がろうとしてしまう。この幸福は分かち合うことができるからだ。しかし、そこに甘んじた時、革命を起こせなくなる。
かっこよさを味わった時、私たちはてっぺんに登ろうとする。他者と比べて、相対的にかっこいいを求めてしまう。それゆえ生じるのは差別化することだ。この欲求には抗えない。この欲求を感じない者はそもそもかっこよくはない。
この水平と垂直の幸福の運動はいかにして折衷できるだろうか。食事を貪るように味わい尽くすことだろうか?大衆に夢と希望を与えることだろうか?
俺がわざわざこの二者を戦わせているのは、この二つは共存不可能だからだ。俺たちはキャッチボールをする時、ワッキャウフフする人と、肩慣らしのウォーミングアップのために行う人の二つに別れるからだ。双方が満足できるキャッチボールなどは存在しない。
俺はこの瞬間迫られたと感じた。
料理人になるか、料理を食べる人になるか。
答えは簡単だ。どちらにもなればいい。
食べ物は面白く、味わうことができる。それは映画もアイドルも同様だ。そこで優劣を決める必要はない。この世界があの映画のようにもビックバンのようにもなるには、料理人にも料理を食べる人にもならなければならない。
俺たちに欠けているもの、それは得意料理を見つけることだ。そのためには、試行錯誤が必要であり、圧倒的な質より量が必要になる。
食材はある。調味料も揃っている。あとは、頭を動かすことだけだ。
そして最も美味しい料理が生まれてしまった時、革命が起きる。

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