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こんなに頑張ってるんですアピールは、もうやめる

苦労や薄幸がテーマの演歌を自分のBGMとして流していたのかもしれない。
真冬に荒波の日本海で演歌を歌う自分に酔いしれていたのかもしれない。

苦労して歯を食いしばって死にものぐるいで頑張ってるからこそ良い結果が得られて、認められるのだと思っていた。
良い結果か出なければ認められないし、それは自分の苦労や努力が足りないから更なる苦労が必要だとも思っていた。
苦労が多く努力してる=頑張っている自分を認めて欲しい。といつも無意識は叫んでいたようだ。

運良く叫びが誰かに届いて「頑張っているね」と言ってくれたとしても、いやいや私なんてまだまだ努力が足りませんから!!とせっかくの人の思いを否定してきた。

認められたいのに認められない。
なんてアンビバレンツ!!!

人の役に立たなきゃ頑張らなきゃ生きてる意味がないと思い込み、自分のことは後回しにする事で居場所が確保できると信じてきた。
そう書けば自己犠牲という耳触りのいい言葉に聞こえるけど、「自分を差し出すから、ここにおいてください」みたいなもんで、美しくもなんともないし、プライドもなけりゃ自分もない。
強い意見に流され、何も考えず、自分で決めることもできない見た目は大人のできあがり。

という過去を思い出し、今の自分の立ち位置が人から見るとどうなのかを知り、少しアッパーな自我がほんのり顔を出してみたり、なんだか怒涛の10月末から今にかけてでした。

今年は今までの価値観や言動を見直して、新しいものを取り入れるという時期だった気がする。
今までの価値観を捨てるというのはものすごく怖いし、苦しいし、それこそ受け入れ難い現実にのたうちまわりたくなる。
なんて苦しげなワードを使って書いてしまうのも、今までのやり方。

自傷自罰的なやりかたはもうやめて、肩の力は抜いて、余計なものは背負わずに、平常心で生きて出世していきたいねぇ。

AIが「自分で自分の荷物は持つ 気分であなたの荷物も持つ」と歌っていて、なるほどなぁと感心した。

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